講演「現代社会と科学」を聴く
2011年11月 本多
11月17日11時半、如水会館(一橋大学同窓会館)に入るときに、講師の益川博士が同時に入ってこられた。新聞の写真でお顔は拝見しているので、すぐに分かった。益川博士は、ロビーの数人の人たちに「やーやー」と手をあげて挨拶。社会科学の一橋関係者に知人がいるとも思われないが、講演には東京工業大学関係者など在京の自然科学系の人たちも聴きにきていることを、後に講演開会の辞で知った。 これは毎月第3木曜日に行われる新三木会の講演の一つであり、ノーベル賞受賞の物理学者 益川敏英博士のお話しなので、ぜひとも拝聴したい、との気持ちで参加した。理由は二つある。
益川博士は、今回の講演のためのみに京都から出てこられたという。13時から2時間弱の講演を以下に要約する。ところどころに僕自身のコメントを青字でいれる。聴いている間は、「話があちこちに飛ぶ」と感じたのだが、自分で書きとったメモを今見てみると、お話しの順序をたどって以下の4部に整理できることが分かった。 1.科学とは、2.自分史、3.現代の科学、4.科学に接する態度 科学はより多くの自由を準備する(与えるのではない)どう使うかは人間である。自由とはヘーゲルの法哲学によれば、「必然性の洞察」である。「ここに二つのレバーがあり、お金が出てくるレバーを引くか、毒ガスがでてくるレバーを引くか」の選択のような「選択の自由」のことである。科学は「こうすればこうなる、ああすればああなる」という意味で多くの自由を人間に準備するものである。
「自由といえども則(ノリ)を超えず」とは福澤諭吉の言葉と思っていたが、岩波書店から「福澤がそのように言ったという記録はない」と言われた。誰が言ったか、ここでなく後でコッソリと教えてほしい。「自由」は明治時代に日本が発明した言葉なので、中国の古典が出典ではないと思うが。 [本多コメント:僕はカントの「義務とは自ら欲し、自ら従うことだ」の変形かな、と思ったが、帰宅後調べたら論語の「七十にして己の欲するところに従えども則を超えず」の「己の欲するところに従う」を誰かが「自由」と短縮したらしい、ことが分かった。]
基礎から応用へ重層的に発展したのが現代の科学である。基礎科学の重要性の例:昆虫を熟知するファーブルに蚕の病気は直せなかったが、昆虫を知らず、医学の基礎を知るパスツールは直せた。 光の速度測定実験は1849年、1850年に行われた。1864年にマクスウェルにより電気や磁気の体系的な学問が明らかにされた。電磁波が光と同じように屈折・反射することを証明する実験は1900年に行われた。マクスウェルの理論が実際に応用されるのは、1940年頃である。
*父親は尋常小学校しか出ていなかったが、理科系の知識があり、息子である益川博士が子供の頃、銭湯への往復で問答をした。
学問は自由を準備するものだ。基礎からきっちり勉強しないと駄目。 [本多コメント: もっと詳しく言うと、エジソンは部下で数学的物理学の基礎のあったニコラ・テスラと交流の安全性で衝突。テスラはエジソンから離れ、テスラの3相交流の特許を買ったウェスチングハウスが勝った。上に立つ者は、自分と異なる意見の部下のいうことを聞く包容力が必要ですな。]
基礎科学ができてから、人の役にたつまで百年かかる。1864年のマクスウェルの電波理論が、敵機察知用レーダーへの応用のための導波管の設計などに使われるようになったのが1940年頃。 1911年にオランダのオンネスが実験で超伝導を発見したが、量子力学で説明できるようになったのは1950年代半ばのBSC理論。朝永振一郎博士の中間結合理論は不完全に終わったが、BSC理論に使われた。リニアモーターカーの新幹線まで更に50年かかる。 [本多コメント:超伝導を量子力学で説明できるようになると言うことは、実験から理論へという方向。更にリニアモーターカーの実用へは基礎理論から応用へという方向といえるだろう。]
科学の成果が生活の場にバイパスを通ってやってくることもある。NASAジェミニの人間カプセルの回転により温度を平均化する技術は、3年後にはオーディオ製品に応用された。 科学を装ったエセ科学を押しつけられる危険がある。可能性をいくつか上げて検証し、間違ったものを消去(スクリーニング)していくことが必要。これを「科学肯定のための否定の作業」と呼ぶ。 [本多コメント:エンゲルスの「自然弁証法」からの影響を感じた]
一般社会人には科学はますますよそよそしくなって来ているだろう。 現代では科学者の自分の専門以外のことに発言しないで、怪しげなものを許容してしまう風潮がある。許容しない文化をつくる必要がある。科学者を集会に引っ張り出しなさい。 高層ビルがTVゴーストをもたらすので、高層ビルに塗る特殊塗料を開発した日本のペイント会社がある。その塗料が戦闘機に使われている。鉄が戦艦に使われることも、鉄鋼マンは子供や孫のことを考えたら、知らないとは言えないでしょう。 高校までは基礎体力作り。そのあと特化するのは本を沢山読んでから。自分の好きなものを見出して「あこがれとロマン」で成長し、科学に近づくことができる。失敗したら引き返せばよい。 講演以上。 質疑応答:
Q: 武谷・坂田の学問発展法則「現象論・実体論・本質論」に関してQ1とQ2がある。
A1:武谷の3段階論は「何が原因となって学問がひきおこされるか」の議論。
[本多コメント:「価値からの自由」と本質論という僕の質問、特に前者が理解されず、学問発展法則そのものの説明をしていただくことになった]
Q2: (a)昨今の大学の自立・経済性重視の中で、産学協同は大切ではあるが、市場原理主義に振り回されると目先のことを優先せざるをえなくなり、(b) 現象論・実体論にとどまり、本質論に進まなく恐れがないか? A2: 研究の場ではそんなことはない。しかし教育の場では時間が足りなくて実体論まで進めないことはある。
[本多コメント:A1を話されている間に、上記質問の(a)の部分を忘れられて、(b)の部分だけの回答となった。僕の質問の仕方が悪かったか。]
本多による本レポートの結び: 立花隆はその著「小林・益川理論の証明」の序文でほぼ次のようなことを書いていた。マスコミは小林博士のくそまじめな性格、益川博士のとぼけたおもしろみばかりを取り上げて、理論そのものには触れていない。マスコミは程度が低い。僕自身、博士の受賞講演を読んだが、クオークが6種類あると仮定(CKM行列)CP対称性の破れ、などさっぱりわからない。立花隆は、両博士のノーベル賞受賞以前から、この本を書くために取材を重ねていたそうで、気持ちは分かるが、マスコミに厳しすぎる気もする。 しかし、立花は、マスコミの勉強不足をたたくのでなく、日本の科学離れを嘆いているのだ。この本は、理論そのものの説明でなく、なぜ証明されたのかの説明をしている。日本の多くの物理学者が背後におり、すぐれた加速器がるということだ。 今回の講演では触れられなかったが、みんなで研究する「民主的坂田昌一研究室」のことは益川博士の他の講演では触れられており、これは立花の本で指摘された「背後に日本の多くの物理学者がいる」ということと通じる。 本講演では「基礎の大切さ」が強調されたが、他の講演か対談で「自分は理論家で実験はだめ、小林君は理論も実験もできる」と言っておられたことが想起された。 今回は「先生は英語が苦手のようですが?」などという質問が出なくてよかった。
本レポートを読んで興味を持たれた方々には、益川敏英「科学にときめく」 以上 |