「マーラー きみに捧げるアダージョ」を観る
2011年11月8日

このオーストリア・ドイツ映画(パーシー・アドロン、フェリックス・アドロン監督)は,かの地では2010年公開。日本では2011年4月末ロード・ショーだったという。「かまくら銀幕上映会」が鎌倉芸術館(松竹大船撮影所跡地)で 11月8日に鑑賞会を催したので、前売り券(またはシニア)1,000円で観にいった。

芸術館へ向かう道すがら鎌倉学園高校の男子生徒の列に合流した。この映画は「妻アルマの若い建築家グロピウスとの浮気に悩むマーラー」が主テーマと聞いていたので、「え、男子高校生を団体でこんな映画の観賞に連れて行くの?」といぶかったが、彼らは大ホールの「鎌倉学園定期芸術鑑賞会」へ。 この映画を上映する小ホールの方は火曜日ということもあり、当然婆さん・爺さんが多く、入りは3分の2。

以下は感想である。映画から引用した言葉は、日本語もドイツ語も印刷されたシナリオからでなく、僕の読み取りと聞き取りの記憶によるものなので、完全に正しいとは限らないことを断っておく。

1) 題名について

原題は「Mahler auf der Couch」という。Couchは英語から来たドイツ語なのでカウチと発音する。医師フロイトが患者を横たわらせる寝椅子のこと。「マーラー きみに捧げるアダージョ」なる題名は音楽好きな観客、ロマンチックなものを求める若い観客をよびこむための日本での興行作戦かと思う。アルマを愛してはいたが、自己中心的に彼女をしばりつけていたマーラーが、そのことに気付いたあとに作曲した交響曲第10番の第1楽章アダージョ(この映画で最も多く使われている)は、アルマの不倫の衝撃を反映しているとも言う。 交響曲第8番はアルマに捧げられているが、10番がアルマに捧げられたとの記録はない。10番の草稿に残されたマーラーの殴り書きメモから、アドロン監督が「10番はアルマへのラブレター」と解釈したそうだ。

2) シナリオの元ねた

映画の最後の最後に「Quevelle(拠り所とした資料)」がいくつか書かれていたが、その最初のものは「Alma Mahler: Erinnerungen und Brief( 回想と手紙)」であり、映画もそこから大きく逸脱してはいないようだ。マーラーの死後にアルマが書いた回想録は、意識的、無意識的に自分に都合よく書いたということはあるだろう。

3) 挿入音楽

映画に使われているのは上述のアダージョと、交響曲第3楽章ポコ・アダージョと、交響曲第5番第4楽章アダージェットのみ。このアダージェットは「(結婚前に) アルマとの逢瀬により作曲され、彼女に捧げられた」との指揮者メンゲルベルクの話しをもとにしており、映画でも、そのように画かれていた。 ただしアルマ自身が「これは私だ」と言ったという、交響曲第6番第1楽章第2主題は映画に出てこなかった。

4) ケン・ラッセルの映画との比較

 今回の映画は、マーラーが一人でアムステルダムに向かう列車から始まるが、これで思い出すのは鬼才ケン・ラッセルの英国映画「マーラー」(1974年)である。僕がテレビで観たのは、日本初公開という1987年より以前だったと思う。マーラーとアルマとが乗った列車を中心に、回想場面が挿入される手法で、ユダヤ人問題がよりクローズ・アップされていた。場面も人を驚かす奇矯なものが多かった。 交響曲第1番第 3楽章の葬送行進曲にあわせて進む変な葬列など、マーラーの音楽のアイロニカルで奇抜な点をきわだたせていた。今回のアドロン父子による映画で使われた音楽は、よりロマンチックなものばかりであった。
ケン・ラッセルの映画でのマーラー役は当時30歳のロバート・パウエルで、ちょっと若すぎる感じはしたが、神経質そうで、マーラーにもっと似ていた。今回マーラー役のヨハネス・シルバーシュナイダーは、神経質というよりも「アルマとの19歳の年齢差をいつも気にしているおっさん」という感じで、晩年のマーラーには年齢的にふさわしいかもしれない。

5) 狂言まわしとして登場のフロイト

映画の最後の方でフロイトが「奥さんの不倫さわぎはあなたの目をさまさせるためではなかったでしょうか」と言い、それに対してマーラーが笑顔で握手をもとめる、という場面は、今回の映画が、ケン・ラッセルのものと異なり、しごくまともな(平凡な)ものであることの証左とも言える。このフロイトは飄々としていて、本物のフロイトの写真から僕が勝手にえがくイメージとちょっと異なる。「国王のスピーチ」の「どもり矯正教師」を思い出させる。「レナードの朝」の医師オリバー・サックスの方がもうすこし重々しかったように記憶する。

6) アルマ

今回アルマ役のバルバラ・ロマーナは演技がよかったが、若いときのアルマを演じている頃からすでに「おばさん」の感じが出てしまっていた。「芸術家たちの触媒としてのミューズ」としては、美人ではないが、大柄であり、本物のアルマからそう遠くないイメージだ。本物のアルマを写真で見ても、エリーザベト皇后みたいな美人ではない。 本物のアルマは容貌だけでなく、 全人格がよほど魅力的だったのにちがいない。マーラーの死後、アルマは画家のココシュカの愛人となり、グロピウスと1年だけ結婚し、詩人のフランツ・ヴェルフェルトと再婚という遍歴を重ね85歳まで生きたから大した女性に違いない。

7) 事実と虚構

この映画は「起こったことは事実であり、どう起こったかは創作である」と断っているので、いちいちいちゃもんをつけるつもりはない。が、8月末(映画ではそう断っていないが)のアムステルダムにしてはマーラーの服は晩秋か冬のものに見える。フロイトの服は夏物らしかったが。また史実ではフロイトの診察は午後数時間だけだったとのことだが、映画では一緒に食事をしたり、夜を徹して翌朝まで診断したりしている。 この映画も診断という現在と(伝記で聞いたことのある)過去のいろいろな出来事が交錯する手法でつかれているため、診断時間も実際よりも延ばさないと、過去の出来事をカーバーできないであろうから、これは創作としてかまわないことである。

8) 心の動き

マーラーの心の動きは、この映画では、彼の複雑な音楽と異なり、わりと単純に理解できた。フロイトが「アルマは貴方の何ですか。妻か?、恋人か?、友達か? ・・か?、・・か? ミューズか?、中心点か」と聞かれて、マーラーは「そう, 中心点だ」と答える。分からないのはアルマの心の動きだ。周りのいろいろな人が観客に向かって「証言する」手法(テレビのドキュメンタリーでよくやる)がとられているので、様々な 角度から視たアルマ像もあるし、アルマの言うことがいろいろ変化するので心象を統一的にとらえることはできない。多分、アルマがマーラーに対して、マーラーに関して言っていることは、その都度本当なのだろう。だから、「統一的にとらえられない」この映画を批判するつもりは僕にはない。

9) ドイツ語に関するトリヴィア:
9-1)この映画のドイツ語は比較的わかりやすかった。でも、オーストリア訛りではウィーン

の新聞記者くらいしか話していなかったのが寂しかった。
9-2)マーラーとアルマとの会話で「二人で作曲するなんて..Kolleginではないのだから」の
Kolleginは「同僚」と訳されているのはよいが、「(マーラーの作曲を)手伝うのはKameradinだから」のKameradinは「仲間」と訳されていたように思う。むしろここでは「伴侶」と訳すべきではなかったか。
Kamerad(in)にはBerufskamerad仕事仲間、Kriegskamerad戦友、Schulkamerad学校友達、Speilkamerad遊び仲間、Lebenskamerad生活仲間=伴侶などがあり、ここでは最後の例にあてはまると思う。
9-3)結婚する前、マーラーはアルマを「Frau Schindler」と呼んだ。現在では未婚女性でも
FraeuleinでなくFrauを敬称として姓の前につける。40数年前にドイツ語を習ったとき、「お嬢さんと呼びかけるつもりで、Frauelinと言ってはだめですよ。ウェイトレスにお姐さんと呼んでいるニュアンスになるから。でも姓の前に英語のMissの意味でつけることはできる」と教わった。最近 ドイツ語の独学を再会したら、「現在では未婚女性でもFraeuleinでなくFrauを敬称として姓の前につける。」と知った。この映画の場面は1901年頃だから、Frauelein Schindlerではないのか、と思ったが、1901年頃は「現在」なのかもしれない。あるいは、Frauとしないと、現在の観客にとって奇異に感じられるのでFrauとしたのかもしれない。この点はドイツ人に聞いて見ないと分からない。

10) 結び

この映画は音楽映画というより、夫婦の愛憎を描いた作品といえる。マーラーのマージナルマン―どこにも属さないで境界線上にいる人間―[注] という点は描かれていないし、指揮者としてのマーラーは殆ど画かれていないが、それらはこの映画のテーマではないと割り切れば、不満は残らない。僕のようにマーラーや、世紀末ウィーンに興味のある観客にとっては、観る価値のある映画だったといえよう。

以上

[注]アルマの回想によると、マーラーは次のように言ったという。「私には三重の意味で故郷がない。オーストリア人の中ではボヘミア人として、ドイツ人の中ではオーストリア人として、そして世界中でユダヤ人として。どこに行っても侵入者であり、歓迎してくれるところはどこにもないのだ。」