「ラファエル前派展」と「ザ・ビューティフル」を観る (2)

2014年5月 報告者: 虎長

今回は三菱一号館美術館での「ザ・ビューティフル展」観覧の報告をする。

はじめに:

2014年5月4日 (日) の日本経済新聞「美の美」は、三島由紀夫がビアズリーの「サロメ」と「僧正」を好んだと紹介している。この2点とも本展で、ただし前者は2種類(Fig 1, 2)、後者は「大修道院長」(Fig 3)として展示。三島は「僧正」を「線の立て込んだ、明晰さに欠ける」ゆえに気に入ったそうだが、世によく知られたのは「サロメ」だろう。ラファエル前派第2世代のバーン=ジョーンズの家で、ビアズリーは戯曲「サロメ」の作者オスカー・ワイルドに初めて会った。ワイルドは後年ビアズリーに「ボードレールは自分の詩を≪悪の華≫と呼んだが、ぼくは君の絵を≪罪の華≫と呼ぼう」と言った由。確かに一度見たら忘れられない絵だ。

日経の2014年4月7日の「妖しの美女十選  1」に高畠華宵による1926年の「サロメ」が紹介され「ビアズリーからの影響を最も端的に感じさせる」とあるが、このサロメは可愛らしすぎて、リヒャルト・シュトラウスの七つのヴェイルを踊らせるわけにはとてもいかないね。

本展では、「サロメ」も「大修道院長」もロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバートV&A)博物館所蔵のものを持ってきている。 そう、本展はV&A中心のため、絵ばかりでなく工芸品も多く展示されている。テイト・ギャラリーの絵中心の「ラファエル前派展」と異なる。

本展は「ザ・ビューティフル展」と名付けているが、英文併記標題は「ART FORART’S SAKE, The Aesthetic Movement 1860-1900」となっている。本展が日本へ来る前のロンドン、パリ、サンフランシスコでは「The Cult of Beauty」(美への崇拝)という名前。Cultという言葉は日本では「にせ宗教」の印象が強いのでやめたのだろうか?


Fig1

Fig2

Fig3
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1.唯美主義

前述のビアズリーの絵は本の挿絵であるから、物語に関係あるが、一般的に唯美主義の絵は、視覚的な悦びを重視するため、それまでの聖書、ギリシャ神話、アーサー王伝説を主題とした絵とは異なり、物語性のあるものは少ない。

「芸術はただ美しくあるためにのみ存在すべきだ」(Art should exist for no other reason than to be beautiful)との信念は、工芸品ではより直截に表現できると思われる。

唯美主義運動に入っていったのは、ラファエル前派ではロセッティ、バーン=ジョーンズ、ウィリアム・モリス。芸術職人集団としてのモリス・マーシャル・フォークナー商会をリードしたモリスの作品は、本展ではタイル・パネル一点(Fig 4)と壁紙「ひまわり」の展示があるのみだった。

バーン=ジョーンズの工芸品で印象に残ったのは、七宝焼きの金にトルコ石、サンゴ、ルビー 、真珠を象嵌したブローチ、(Fig 5)


Fig4

Fig5

Fig6
2.ジャポニスムとギリシャ文化という理想

本展もロセッティの作品を多く展示していたが、ここではデザインの代表として「スィンバーン著『日の出前の歌』表紙」(Fig 6)をあげる。 日本の紋章を思わせる。ジャポニスムといえば、フランスでの影響が有名だが、イギリスでも大きな影響を与えた。

本展会場に入ってすぐに目に飛び込んできたのが、ウィリアム・ド・モーガンの大皿(Fig 7)。ペルシャ陶器の影響が強いというが、僕には日本的に感じられた。ゴドウィンの壁紙「孔雀」(Fig 8) は明らかに日本の紋章に似ている。同じくゴドウィンの飾り戸棚(Fig 9)は浮世絵の意匠を借用している。ドレッサーのティーポット(Fig 10)は蓋が日本製の象牙メダル。欧州の文化生活は、18世紀までは古代ローマが模範とされたが、19世紀には日本とならんで異国趣味という意味で古代ギリシャに目が向けられるようになった。アルマ=タデマの肘掛け椅子は、その一例とのことだが、なぜこれがギリシャ風なのかは、僕にはジャポニスムのようには直観できない。でも美しい。


Fig7

Fig8

Fig9

Fig10

Fig11

Fig12

Fig13
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3.アート・ファーニチャーとハウス・ビューティフル
日本美術愛好者だったドレッサーとゴドウィンたちは、Art Furnitureを作り、さらに陶磁器、テキスタイル、壁紙などの美術産業製品Art Manufacturesを試みた。ゴドウィンは、やはり日本絵画の影響を受けたホイッスラーとともに型やぶりなホワイト・ハウスを設計(Fig 12) している。 「ハウス・ビューティフル」は大衆市場への芸術的趣きをそえる理想像であり、その名の雑誌も存在した。Fig 13は ウォルター・クレインによる雑誌の口絵。
4.優美な絵画
僕が本展ではじめて作品を観た画家は、ワッツ、レイトン、フレデリック・サンズ、リッチモンド、ポインター、アルバート・ムーアである。リッチモンドの「ルーク・アイオニディーズ夫人」(Fig 14)は新しい上流階級の夫人のゆったりとした服装を描いたところが従来の想像がと異なる。アルバート・ムーアの絵は、どれも大きく、アテネのパルテノンからイギリスが盗んできて大英博物館にあるエルギン・マーブルの浮彫に感じがよく似ている。物語性はなく、女性は無表情。ここでは本展の目玉となっている「真夏」(Fig 15)をあげておく。レイトンの「パヴォニア(孔雀)」(Fig 16)は印象的であるが、当時見た人のようにファム・ファタルまでは感じ取れなかった。

Fig14

Fig15

Fig16
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5.唯美主義運動

唯美主義運動は主義でも運動でもなく、理想や熱意を共有する人々の緩い結びつきであったようだ。「ただ美しくあるために」「芸術のための芸術」というと、社会の現実との断絶を想像しがちだ。ムーアの絵をみると、そのように感じてしまう。

唯美主義運動参加者の多くは社会主義運動とは一線を画していた。とはいっても過去の因習への反発というアヴァン・ギャルド性は有していただろう。ウイリアム・モリスの「アート・アンド・クラフツ運動」のように、社会主義運動との関連の強いものがある。

画家でもデザイナーでもないが、唯美主義の代表者のようにみられるオスカー・ワイルドは、「民衆の芸術化」を主張し、個人主義の立場から社会主義を次のように言っている。
The chief advantage that would result from the establishment of Socialism is, undoubtedly, the fact that Socialism would relieve us from that sordid necessity of living for others which, in the present condition of things, presses so hardly upon almost everybody. (僕の手元にあるThe Annotated Oscar Wildeから)
当時は、社会主義にユートピアを期待する向きもあったのだろう。

6.展覧会場 について
唯美主義運動と同じ時に建築された三菱一号館で、3時間十分楽しめた。テーマ別の展示も刺激的だ。ただ、「ラファエル前派展」の森アーツ・ギャラリーの明るさに比べ、会場が暗すぎる。作品の傍らに貼ってある説明も近くまで寄っていかないと読めないのは、老若に関係なかった。

  以上