特別展「禅―心をかたちに」を観る
2016年11月11日 虎長

 東京国立博物館で10月18日~11月27日開催の展覧会を、好天の11月3日に訪れた。
通常の美術展とは違い、美術鑑賞と禅宗、特に臨済宗の初歩的な勉強との両方ができた。

はじめに - 「心をかたちに」の意味:

Fig 1 国宝 油滴天目南宋時代
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 特定の経典をもたない禅宗は、文字や言葉によらず、師から弟子への直接的なかかわりで自分の心をつかみとり、悟りの境地に至る」そのため、仏像は他宗より少なく、師の肖像画と禅の精髄を表すエピソードを絵にしたものが多い。これが、「心をかたちに」というサブ・タイトルの意味らしい。禅寺でも、お坊さんが経を読むし、仏像も置いてあるので、この説明は今一ピンと来ないが、展示品の内容とは合致している。
 日常生活に結びつくべき禅宗は、茶の湯との関連が強いため、本展では茶器の展示も多い。ただ、国宝級の茶碗などを見ると、確かにすばらしいが、「日常生活云々を言っても、茶の湯は庶民のものか? 上流社会のものか?」と疑問を感じてしまう。

臨済宗・黄檗宗15派本山
 出展物は東京国立博物館所蔵のものもあるが、15派本山からのものが多い。京都五山、鎌倉五山の力は弱まり、その中に入っていなかった大徳寺・妙心寺が勢力をのばした。臨済宗14本山と臨済宗系統である黄檗宗1本山を併せて、現在はこのように呼ぶ。京都・鎌倉以外の地方の寺もかなりあるが、わが故郷静岡の臨済寺は入っていない。

臨済宗について:
 僕の実家の旦那寺は静岡の曹洞宗だが、臨済宗関係の事柄に触れることが多かった。子供の頃、臨済寺によく行った。家康が幼少時、今川義元の人質で勉強していたところ。なぜか僕らはリンザイジではなくリンサイジと呼んでいた。鎌倉時代の僧、東福寺の開山で初めて「国師」の号を贈られた聖一国師は、今の静岡市出身で静岡茶の祖。江戸時代の臨済宗中興の祖、白隠禅師は、駿河は原(今は沼津に合併)の出身。という訳で、この二禅師の事跡は地元の新聞などで、よく目にしたものだ。また、僕が今住む鎌倉では、建長寺、円覚寺、寿福寺を、偶に自らの興味で、主には観光案内をするために何度も訪れた。と言っても、そこで坐禅を組んだこともなく、禅の知識はほとんどない。

 禅が達磨さんから始まったこと、道元が曹洞宗を、栄西が臨済宗を日本にもたらしたこと、曹洞宗の坐禅が壁を向いて坐り、臨済宗の坐禅は向き合って(または壁と逆の側)坐ること、 位は知っていたが、本展のために予習して、更に次のことを知った。曹洞宗はひたすら座禅を続ける。臨済宗の坐禅は公案(禅問答)を前提としている。「そのため、百姓の(ように地道な)曹洞宗、武家の(ように論戦する)臨済宗」という言葉がある。
 本展で知った、もう一つの面白い言葉:「(勉強好きな) 建仁寺の学問面。(寺院経営のうまい) 妙心寺のそろばん面」

達磨さんの絵と彫刻:
 展示会場の入り口にあると思われる達磨像(Fig 2)。あまりに大きいので、一瞬スクリーンに拡大した写像かと思ったが、近くへ行って本物と分かった。白隠の筆による、迫力満点の作。画面左上に「直指人心見性成仏」という達磨による禅の教えが書いてある。同じく白隠による「慧可断臂図」(Fig 3)は達磨に弟子入りの意思をしめすため慧可が自分の腕を斬る直前の一瞬。雪舟による絵(Fig 4)のように、斬り落とした直後の絵が多いそうで、Fig 4はより静謐である。達磨さんの顔は、大体きまっているが、向嶽寺の達磨像(Fig 5)の表情は、より優しく、円覚寺の坐像(彫刻)の顔は若々しかった。

Fig 2

Fig 3

Fig 4

Fig 5
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禅僧の肖像画と彫刻:
 南宋時代の無準師範(中国人)像(Fig 6)は国宝で、聖一国師の中国での師の像であり、温和な顔。臨済宗の祖 臨済義玄(中国人)像(Fig 7)は重要文化財で、一休の賛のいる室町時代の肖像画。今にも厳しく怒られそうな強面だ。
 スタンダードな禅僧肖像画では、なぜか沓は置いてあっても履いていない。一点だけ履いている春屋妙葩像があった。右手には棒や錫杖をもつものだが、一点だけ右手を頭に当てている愚中周及像があった。狩野探幽による以心崇伝像は、崇伝のいかにも政治顧問らしい「やり手」の顔をうかがわせる。建長寺の蘭渓道隆(中国人)坐像(彫刻)(Fig 8)は印象に残った。修理前は漆塗りだったそうだが、原型が現れた修理後のものは実に写実的。眼はコンタクトレンズのようもので、虹彩を金で描いている。

Fig 6

Fig 7

Fig 8 (a)

Fig 8 (b)
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武将の肖像画:

Fig 9
 狩野光信による秀吉像は、よく知ったスタンダードな秀吉像。狩野永徳による信長像(Fig 9)は、スタンダードよりも、もっと神経質な面を表している。キリシタン大名の大友宗麟像がなぜあるのかと思ったが、晩年は大徳寺を頼りに臨済宗に帰依していたそうだ。


仏像:
 方広寺の宝冠釈迦如来および両脇侍坐像(Fig 10)は異国風だ。説明には「宋風」とあった。度肝を抜いたのは、江戸時代、中国人仏師 范道生作という萬福寺の羅怙羅尊者像。釈迦の実子で醜い顔、自分の胸を開き、仏が宿っていることを見せている。

Fig 10

Fig 11

調度品:
 元時代の椿尾長鳥堆朱盆(Fig 12)は「鎌倉彫の祖かな」と思わせた。茶碗で印象に残ったのは、16世紀朝鮮の大井戸茶碗 銘「有楽」。同じく朝鮮15世紀の高麗青磁陽刻双鶴文花生(Fig 13)は枕を転用した花活けで、面白かった。

偈頌(げじゅ):
 仏徳を韻文で讃えて教理を教えるもの。無学祖元筆の「与長楽寺一翁」(Fig 14)が雄渾な筆遣いで感銘深い。

屏風絵:
大画面を使った迫力満点のよいものが多かったが、省略する。

Fig 12
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Fig 13

Fig 14

おわりに:
 臨済宗は鎌倉時代に中国から輸入しても、「日本独特のものに早い段階で土着化したのだ」と思っていた。ところが、中国の高僧に学ぶこと、中国から文物を輸入すること、中国の仏師をよぶことなど、室町時代・戦国時代・江戸時代と連綿として中国との関係が深かったことを、本展により知ることができた。
 会場を回っているときに、「お坊さんによる禅の言葉のお話が11時からあります」との館内放送があった。展示物観賞を中断して、聴きたいと思ったが、午後に神田へ映画鑑賞に行く予定があり、断念した。本来の意味を離れて日常誤用している禅語が多いらしいので、是非聞きたかったのだが…。幸い、本展のHPに「今週の禅語」という紹介ページがあるので、それで勉強してみたい。
 開場の出口近くに「坐禅をしてみませんか」というコーナがあり、「眼をすべて閉じると雑念が入るので半眼を保つこと」との説明。「すべて閉じることもある」と思っていた自分の無知に恥じ入った。