2006年5月27日   

  上海便りー9月以降の日本への期待   


 しばらくご無沙汰しておりました。昨年の4、5月の反日デモ騒ぎから丁度1年程経過しましたが、お陰様で今年は何事もなく労働節(ゴールデンウイーク)も平和裏に穏やかに終えました。去年の騒ぎは一体何だったのかとも思わずにいられません。勿論中国政府のコントロールよろしきを得て今日の平穏があるわけですが、少なくとも表面的にはここ上海に住んでいる日本人に対して敵対的な態度が示されることは最近はないようです。むしろお金をもっている上等なお客さんとして買い物でも、レストランでも好意的に歓迎されています。上海人が若干他の地方の人達と較べて商売上手であることは割引いて考えなければなりませんが。(因みに日本総領事館のデモ被害はまだそのまま放置されています。)
 先週会社の女性の運転手さんから車の中でこのような質問を受けました。「小泉首相は9月には辞めるんですよね。次の首相候補が何人かいるようですが、どのような人がなるんでしょうかね?」。小生も一瞬「えっ!」とうなり、答えに窮しました。この質問は要するに町中の市井の人達ですら日本の国内の政治情勢についてはかなりの情報を持っていて、今の日中関係の悪化は一人小泉首相に起因することであり、首相が変われば日中の新しい展開に期待がもてるかも知れないということを暗に意味していることだと受け止めました。実際こちらのマスコミではこと小泉首相の動静についてはこと細かに報道し、いわく首相はブッシュ大統領や国連のアナン事務総長から直接日中、日韓関係改善についていろいろ要請や注意を受けているというようなことまで伝えています。日中のお互いの相手国の指導者の動きに関しては現状では、中国の方が日本よりもよほど細かく報道しているといえます(特に新華社電は全国各紙に一斉に載ります)。現在の中国政府の真意は9月には靖国を参拝しない新しい首相に継いでもらい、この問題を一刻も早くクリアーして関係を正常化にもっていきたいというところにあるのではないかと思われます。上げた拳を早く下ろしたいのが本音だと思います(小生が言わずもがなですが)。お互いに良きパートナーとして抜き差しならない運命共同体的な経済関係にある中で、政治がややもするとこれを阻害しかねない現状は中国にとっても困ることでもあるわけです。
 小泉さんは結果的に中国の国内事情をよく理解出来ないまま独善に陥ってしまったようです。確かに中国政府や共産党は靖国問題を自らの立場を守るために国内的にも、対外的にも一種の政治カードとして利用してきていることは明らかですし、日本の国内問題や「心の問題」に干渉するのは不当という小泉さんの言い分は一面判らないわけではありません。
 しかし、中国の国内では、例えばテレビ、映画、新聞では戦後60年経った今でもあたかも昨日のように抗日戦争や国共内戦が一大テーマとして扱われ、むしろ一つの娯楽番組の分野を構成するまでになっています。丁度日本でわれわれが戦国時代や江戸時代の時代劇を一つのジャンルとして楽しんでいるように抗日戦争のテーマは大きなジャンルであり続け、日常それがドラマや歴史として扱われ、この分かり易い勧善懲悪劇に大衆は拍手喝采を送り楽しんでいるのです。極悪非道な日本軍が老人や幼児を虐殺するような画面も日常抵抗なく流され、われわれは目を被いますが、大衆はそれに憤り、またそれを乗り越えて今日あることに喜んでいるわけです。何事も忘れ易い日本人ではありますが、アメリカとの戦争の状況を60年経った現在毎日このように伝えているでしょうか。日本では一寸考えも及ばないことが日常的に行われているのです(戦争の経験者もお互いに殆どいなくなっているのに)。このような今も続く特殊な国内状況を正確に理解しておくことが日中関係では大変重要であるわけです。勿論中国のマスコミは政府・党の完全統制下にあるので意識的にそのように誘導されている面があることは疑いありませんが、そのことの善し悪しは別にして一般民衆は否応なくそれに感化され、しかも共産党員が殆どの役人や学校の先生達から日頃指導や影響を受けているとすれば、戦犯が祀られている靖国をその当の相手国の指導者が参拝することがどのような大きなインパクトを与えるかは火を見るより明らかです。「心の問題」として信念を押し通すことは個人の中ではそれはそれでいいかのも知れませんが、歴史を背景とした微妙な国際関係の中で相手の国情を理解しないままそれを無視した行動をとり続けることは百害あって一理なしと言わねばなりません。いまや中国側の本心はことをなんとか収めたいと思ってはいるものの、立場上喉に刺さった骨をそのままにしておくわけにもいかず、したがって新しい人が悪役の小泉首相に早く交代してくれることを願っているのが現状で、その辺の雰囲気が大衆レベルまで伝わっているのだと思われます。でも次の首相がまた靖国に行けばさらに事態は悪くなるかも知れません。前述の会社の女性運転手さんの質問には、「有力な候補者が2名いる」と一寸細かな国内事情を説明しておきましたが、靖国に行かない人に是非後を継いで欲しいものと願っています。
 かつて20年ぐらい前に「おしん」が中国でもテレビ放映され、この番組があるときには町から人通りが消えたといわれたそうですが、最近また「おしん」がテレビで全国的に再放送され、これに広告スポンサーが殺到し、放送途中で広告ばかりが続いて肝心の番組がなかなかみられないような現象が起きるほどの人気となっています。また今若い人達の間では村上春樹の小説に圧倒的な支持があり、「ノルウエイの森」や「海辺のカフカ」を読んだという若者が会社にもいます。国際政治にかなり影響されている状況にあるとはいえ、大衆の心や生活、考え方はどこの国でも同じようなところにあり、共に普遍的なものや新しいものを求めているのだと思います。草の根レベルでは様々な場面もあり、抗日戦争の勧善懲悪劇を横目でテレビで見ながらもJ(日本)ポップスを聴きながら一生懸命資生堂の化粧品を顔に塗っている若い女性達が沢山いるというわけです。  それにしても小泉さんは惜しいことをしたと思います。国内では先人の出来なかった改革を幾つも成し遂げ、景気も順調に回復させた小泉さんが、僅かに靖国に拘らなければ、近隣諸国との関係も良好に維持することが出来、ことによったら国連の常任理事国にも選ばれて、名宰相として広く世界的に指導的位置を獲得出来たかも知れないと思うからです。本当に惜しいチャンスを逸したと言わざるを得ません。それにしてもいまや去ることを待っている人達が少なからずいるというのは何とも淋しいことではないでしょうか。

了