2007年(平成19年)12月15日   

  上海便り−シルクロード天山南路(2)遺跡に思うこと  


 前回の天山南路報告から大分日が経ってしまいました。
その後、中国産食品などへの海外特に日本からのバッシングの影響が私どもの会社へまで思いもつかないクレームの形で及びそれに追われる日々となりました。検査機関や中方の食品メーカーが必要以上に神経質になって、日本向け製品に関し両国政府が夫々にきめている条件以上の基準まで要求し始め、私どものような原材料メーカーに次から次と検査、分析を求めるようになってきました。その項目も微に入り細に入るもの多く、かなり膨大な件数にも及び、その対応のための時間と費用が馬鹿にならないものとなっています。どうも木だけ見て、森を見ない類のようにも思われます。ともかく現在、各種対日輸出食料品は徹底的に検査が繰り返されていることだけをお伝えします。
 さて、シルクロード(之路)という言葉には何か夢を抱かせる響きがあるように思います。有史以来東西文明を結ぶ路として、夫々の文化や宗教を双方向に伝え、それらを育んできました。人類のルーツを辿る上で何か郷愁を誘うものがあります。天山南路は特に東西の十字路、交差点として幾多の民族が行き交った場所であり、私も以前からこの地方には特段の興味を持っていました。この地方に二度行ったのも自分の目で、その文化と歴史を確かめてみたいという思いからでした。
 今考えるとその期待は少し空振りに終わったところもあるように感じます。勿論、その土地、土地では、各民族は歴史と文化を今に伝えていてその末裔を目の前に見ることは出来ますし、その人達によってその伝統を理解することも出来ます。ウイグル族などは見ると聞くとは大違いの典型だろうと思います。しかし同時に私達は知らず知らずの内に、物の痕跡、即ち遺跡などによって歴史と文化を確かめたいという欲求を強く持っています。
 今回の旅の一番の目的は庫車というところで仏教遺跡を訪ねることでした。庫車は紀元前2世紀頃から10世紀頃まで仏教国、亀茲国が栄えたところで、スバシ故城、キジル千仏洞、クズルガハ千仏洞など天山南路で遺跡が最も多く残っているといわれて有名なところです。玄奘三蔵もインドからの帰路ここに逗留したそうです。
 タクラマカン砂漠縦断を経て胸を膨らませて勇躍たどりついた庫車の遺跡はいささか期待にそぐわないものでした。紀元前後頃から造られ始めたものですから、泥などを主体とした遺跡は時間の経過と共に朽ち果ててその遺構も残り少なくなっているのは当然ですが、硬い石や岩盤を素材にして造られた石像や石窟などは人工的な破壊を加えない限りかなりの程度で原型を残しているのではと期待するのは自然なことだと思います。キジル千仏洞やクズルガハ千洞は石窟遺跡で、殆どが外からは隔離された洞の中に彫られたり、書かれたものですからかなりのものがまだ当時のまま見られるのではないかと期待も大きなものがありました。しかし実際には数多い洞の中に入ってみるとまともに見られるものはきわめて少ないということを知らされました。折角の彫像や画が原型を僅かに残す程度にまで破壊され尽くしていたのです。ガイドも石窟の中の様子を説明するのに「この彫像や画の元の形はこうであった筈」と想像を逞しくして表現するのがやっとのことのようでした。何故こんな状態にまでなってしまったのか、後でガイドから説明を受けて漸く理解に辿り着きました。
 もともとシルクロードは、多くの民族が行き交う文化交流の場所であると共に、各民族間の宗教戦争が巻き起こる中心の地でもあったのです。新疆のシルクロード沿いの街は紀元前から仏教が根付いた地域が多かったようですが、その後ウイグル族などのイスラム教徒をはじめチベット仏教徒なども各地に侵攻、漢民族仏教徒などとの間で幾度となく宗教戦争が繰り返されたのです。同じ仏教徒でも漢民族、チベット族の間でも抗争はあったわけですが、特にイスラム教徒と漢民族とのこの地域での同化政策をめぐる覇権争いは激しかったようで、偶像崇拝主義をとらないイスラム教徒は容赦なく石窟の石仏や画を破壊していったとのことです。アフガニスタンでタリバンがあの大きな摩崖佛をいとも簡単に破壊してしまったのも、彼らはイスラム教徒でもともと偶像崇拝なんかしていなかったんだと思いつけば何となく合点もつくというものです。
 しかし、このような破壊は実は宗教戦争だけに起因したものでなく他にも様々な原因が挙げられます。@宗教戦争の他、A天災(地震、水害)、B盗掘、C今世紀初頭の各国探検隊の採掘(盗掘?)、D文化大革命、等々。キジル千仏洞の石仏は東京国立博物館にも大谷探検隊が持ち帰ったものがあるそうですが、ドイツ、フランス、英国、ロシアなどが数え切れないほどの沢山の石仏や画(壁ごと剥ぎ取る)を持ち帰って自国の博物館に並べているようです。
 また文化大革命での排仏毀釈はシルクロードに限ったものではなく、それこそ中国全土津々浦々に及んでいますが、古寺などの仏像は文革によって被害を受けたもの多く、真新しい仏像を造り直して何とか体裁を繕っているのが現状です。どこのお寺に行ってもピカピカの仏像ばかりが目に付くのに驚かされます。このような状況に比べると奈良や京都の古寺の仏像などが千数百年の時間を経て今なお原型のまま見られるというのは大変幸せなことだと思います。最近訪ねた楊州のさる寺には何と、奈良の唐招提寺の鑑真和上の木造のコピー(本物と見分けがつかないまでにそっくり)まで置いてあったのにはびっくりしました。
 天災は止むを得ないこととしても、宗教戦争による破壊や各国探検隊の持ち帰りで失われた上、文革による手ひどい破壊によってとどめをさされる憂き目に会うなど中国の貴重な文化遺産の辿った悲劇には、なんとも言いようのない思いがいたします。
 庫車の遺跡についてはすれ違いのまま期待外れに終わった感もありましたが、その背景にある中国の文化遺産の歴史を考える良い機会を与えてくれました。
 それにしても、偶像崇拝主義をとらないイスラム教徒のウイグル族のガイドに、庫車のかつての破壊の傷跡生々しい数少ない仏教遺跡の説明を受けるとは何とも現代の皮肉かなと思った次第です。  

了