2008年(平成20年)5月21日  

  上海便り−四川大地震のもたらした変化  


   空前の大災害となった四川大地震ではまだ死者の数も増え続け5万人にも達するだろうともいわれています。犠牲者には衷心から哀悼を捧げたいと思います。救援活動の中で、昨日、今日は家族から取り残された子供達の心のケアーが新たな問題といわれています。
 19日には地震が発生した同時刻の14時28分に全中国国民が3分間の黙祷をし、今日21日までの3日間を哀悼の日としました。人間の意志を遥かに超越した次元でのこのような大災害は人の考え方や価値観にも変化をもたらすようです。
 普段他人のことなどあまり顧みず、何事にもまず自分のことを優先するこの国の人達が、競って整列して献血に協力したり、国中挙げて献金に走る様子は、行列の習慣に馴染めず、また献血や献金などにはとんと無関心だったこれまでの姿からすると想像も出来ないことでした。また地震現場の混乱の中で、マスコミが当局の意向など意識している間もないまま自由にニュースを発信していることもこれまではあまりなかったことでしょう。大地震を機に中国人の考え方や意識に少し変化が起きる曙光が見えるような気もします。
 12日の地震発生時から今日までの10日の間にもマスコミの報道ぶりに変化がみられました。12日の地震発生後、温家宝首相が直ちに現地に入りし陣頭指揮に当たったのは大変素早い行動でした。しかし政府の災害担当責任者が海外出張中で、政府の災害認定などの初動動作に遅れが生じ、その後これを取り繕うために、共産党中央宣伝部がマスコミを総動員し、「政府が懸命に対応している様子を中心に報道にあたれ」という指示を飛ばしたようです。そのためCCTV(中国中央電視台)を始め終日地震報道一色の各テレビ局は、温家宝首相が指揮したり、負傷者を見舞って激励している様子、また中央政府はかくかくの支援体制を遅滞無く敷いているという説明、等々の政府のプロバカンダ色の強い映像を連日見飽きるぐらい繰り返し放映していました。肝心の全体の被害や救出の状況はどうなっているのかというような客観的な報道は二の次で、何とも歯がゆい思いがしたものです。
 温家宝首相の演説画面をいくら放映したところで、また何万人の救援隊でも遅れての現地入りであれば、たった今、瓦礫や土砂の下敷きになり一刻も早い救助の手を必死に求めている何万人、あるいは何十万の人達の救いには時間との戦いで、間に合うわけはありません。15日に胡錦濤主席が現地入りしたらテレビ放映はまた同じことの繰り返しとなりました。特に地震発生地域にはチャン族チベット族も多いので批判の矛先が政府に向けられないよう弁護する理由があったのかもしれませんが。
 ただこのようなマスコミ操作は指導部が当たったというより、共産党中央宣伝部などの取り巻きが行ったという見方が大勢であり、日を追ってプロバカンダ色は少なくなってきました。むしろ胡錦濤主席、温家宝首相の現地での指揮ぶりには客観的に内外共に評価が高いようです。
 残念なのは、@救援の初動動作の遅れ、A外国からの救援申し出に対する当初の拒絶(その後受け入れ)で、災害時の救命は一般的に72時間(3日)程度が限界といわれているので、これなかりせば犠牲になった何万もの小中学生の命がもっと救えただろうと思います。
 その後のマスコミの報道ぶりは怒涛のようで、CCTVを初めとする各テレビ局、新華社、人民日報、青年報等の政府・党機関紙を始め一般各紙、外国報道機関等を含めかなり自由な報道合戦が展開され、このときばかりは当局の規制も気にしない報道の自由があったといえるようです。
 一般市民は災害規模のあまりの大きさに圧倒されて、当初の政府対応の遅さに気づきながらも、とにかく災害救助が先と救援に心を合わせており、個人、団体単位で出来ることは何でもやっていこうと義捐金、献血などの救援活動に懸命に取り組んでいるのは前述の通りです。
 この間、あのチベット事件を巡る排外的な愛国運動やカルフールでの不買運動もいつの間にどこかに吹き飛んでしまった感もあり、「中国国民がこんなに団結したのは初めてだ」と感激して語る若者達もいます。特に今年前半は、(1月)豪雪による交通マヒ、(2月)餃子事件、(3月)チベット暴動、手足口病発生、(4月)聖火リレー妨害、列車転覆事故、(5月)四川大地震発生、と毎月これでもかこれでもかというように相次いで大事件に見舞われており、その都度国民の求心力が少しづつ強まって来ていたのかも知れません。
 また聞くところによれば、外国から救援隊を受け入れたのは今回が国として始めてのケースだそうで、これも諸外国での教訓に謙虚に学んだ結果といわれています。未曾有の大地震を機に、諸外国にも少し門戸を開き始めた一つの証かも知れません。またその後のテレビ、新聞報道などでも、外国の救援隊の活動を好意的に客観的に伝える傾向が目立ち、その活動は市民の間でも高く評価されています。(実は外国の救援隊を迎え入れるのには受け入れ準備が大変なようで、その事情は日本でも同様と聞きます。)
 義捐金熱では、テレビでどこそこの団体、個人がいくら献金したとか一々具体的な金額を公表して献金熱(ブーム)を煽り、有名人の中には献金額が他の人と較べられて少なかったために非難されるというような行き過ぎた弊害も見られています。また日本からの第1次救援隊に対しては胡錦濤主席の肝いりもあってかマスコミ、市民などから破格の評価を頂戴し、これはこれでわれわれとしては大変嬉しいことではありますが、いささかこそばゆい感じもないわけではありません。何事もことがいき過ぎれば、これは本当に本物かと疑ってみたくなるのは小生ばかりではないと思います。また報道の自由もこれからも本当に確保されることが出来るのでしょうか。
 大地震をきっかけに僅かに変化の曙光が見え始めたこの国が3ヶ月後のオリンピックを経てさらに開かれた、人の痛みが分り合える国に変わることを期待したいと思います。
 尚、地震に見舞われた地域は、偶々丁度一昨年夏に小生が訪れたパンダの里臥竜や四姑娘山があるところで、周辺はその昔「蜀道難、難于上青天」といい、蜀(三国時代)の道は天に昇るより難しいといわれた3〜4千米級の険しく風光明媚な高地です。復旧には相当な時間がかかり、地震への警戒も容易には解けないと思いますが、エーデルワイズが咲きそろうあの美しい山並みの風景をまた早く見せて欲しいと願っています。  

了