関文秀様

関先生お別れの会に対しご丁重なお礼のメッセージをお寄せ頂きありがとうございます。
本会は北村先輩はじめとする先輩・同輩諸兄のご尽力によるところ大であるのに対し何も準備に貢献していない私がこのような文章を認めますのも甚だ僭越ではございますが、もったいなくも追伸で私に触れて頂いたこともあり、拙文を寄せさせて頂く次第です。

安曇野のお話しで思い出が湧き上がって来たのですが、確か1987年であったと思いますが、関先生の一橋大学ご退官記念の会が国立で催され、その翌日、関先生と恒友会・現役ゼミテン有志で安曇野に向かい、関先生のお兄様のお宅にお世話になったことがありました。文秀様もご夫妻で参加されたと思います。
満天の星空がものすごく印象的でした。天空にはこんなに一杯星があるんだ、と心底驚きました。
そして翌日、おいとまする前に、エールを切らせて頂きました。澄み切った空気がピンと張りつめ、そのまま静寂に浸り続けていたいような場面で、大声を発するのに一瞬ためらいを感じた記憶があります。でも思い切って、澄んだ空気を思いっきり吸い込んで、ありったけの声を発した後、一帯の美しい山林を独り占めにさせてもらったような、言い知れぬ喜びを感じたものでした。

そんな素敵な環境に育まれた関先生の大らかさに包まれてゼミ生活を送ることができたこと、実に幸せであったと改めて思います。本会で司会を務めてくれた大貫君と私の二人が一応24回生のゼミ幹でありましたが、関ゼミのアカデミックな要素についての幹事は専ら大貫君に任せ、私は日が暮れてからの幹事でした。国立駅前の今は無き三好屋で行き足をつけては、幾度となく小金井の関先生のお宅になだれこませて頂いたものです。

私、実は知る人ぞ知るクラシック音楽愛好の側面も持ち合わせているのですが、ゼミのレポーターの順番が回って来た時、教室にラジカセを持ち込んで、ショスタコービチの交響曲を幾つか抜粋で関先生とゼミテンに聴いて頂き、それに対する私の分析めいたレポートをさせて頂いたことがあります。流石の関先生もあっけにとられておいででした。また、私の卒論は「文化民主主義論序説」と題し、日本のオーケストラの存続の方策らしきことを書き、関先生の掲げる三大民主主義の一翼を担うがごとく大それた序文を掲げたりもしたのですが、そんな破天荒なことを受容して頂けたのも関ゼミであればこそでした。

就職し、青息吐息の造船業にすがりついて30年になります。旧来型の産業構造から脱皮しようともがく中で、自分が率いる職場でも、ベテラン・若手の二極化した年齢構成、出産・育児と取組みながら奮闘する女性達のキャリアアップのビジョン、雇用形態の異なる人たちの混在、等々様々な組織基盤に関わる課題がありますが、関先生の包容力を時々思い起こしながら、明るく前向きな気風の職場を築いて行きたいと思っております。

今後とも時々、関先生になり代わって発破をかけて頂けますと幸いです。
寒さが増してまいりました。どうかご自愛の上、お過ごしください。

関ゼミ24回生 藤田正一郎 拝