恒友会の皆様方へ
 先日は、父のお別れ会を催していただき、誠に有り難く幾重にも御礼申し上げます。
一橋大学を愛し、誇りに思う気持ちは人一倍の父でしたから、恒友会の皆様に、このようにして送って頂き、感無量であっただろうと思います。
 一部の方から問い合わせを頂いておりましたのに、先日の会におきましてはご報告申し上げそびれましたが、お別れ会の前日の12月7日に父の郷里の長野県安曇野市におきまして、 関恒義平崇道老翁神霊50日祭と納骨を無事に済ませることができました。父は自分の生まれ育った安曇野も愛し、誇りに思っていたはずですから、喜んでくれているものと思いたいですが、私があちらに行った暁には、余計なことをしやがってこの馬鹿野郎、と怒鳴られるのかもしれません。
 平成19年頃に体調を崩した父が入院した後からは、恒友会の皆様が自由に父のところに訪問することが叶わぬ状況になりましたことにつきましては、この場をお借りして、伏してお詫び申し上げます。
 自分は父の息子であったという理由だけで、一橋の優秀な皆様方に幼少の頃からお相手をして頂き、心から感謝いたしております。
故中山様、高橋様、北村様、歴代の恒友会会長の皆様方には厚く御礼申し上げます。
 自分が家内と結婚した年、自分も家内も東京医科歯科大学の大学院生でしたが、実験をしている6階の研究室の窓の眼下を原水禁のデモ隊が通り過ぎたことがありました。先頭を歩いていたのは、あろうことか父と開高健氏、奇しくも、父がちょうど今現在の自分の年齢のときでした。
いろいろな思いはございますが、今の自分の年齢のときの父は
 鷹は飢えても穂を摘まず
破天荒でしたが、息子の目から見ても孤高で精悍な父でした。

寒さ厳しき折、皆様方におかれましては健康に留意され、良いお年をお迎えになられますようお祈り申し上げます。

追伸 川崎重工の応援団長 格好良かったですね
             関 文秀 拝