宗圓没後は長男の直一(2000.9.21没)が子爵を継いだ。 直一は戦後、海上保安庁海事検査部長、財団法人日本舶用品検定協会会長などを務めた。 長女の初子は茂山鉄鉱開発株式会社専務取締役の津田利機に嫁ぎ、子の津田眞澂(1926~2005)は一橋大学名誉教授、経済学博士、労働学の権威である。 なお、津田眞澂の墓所は東京都台東区の寛永寺第二霊園(竹内家)にある。
(22)津田あけみ『父と母とわたくしの上海』(中央公論事業出版、1981年)※著者は1943年7月~44年9月まで両親(竹内昇、信子)ととも上海で生活し、小学校一年生として静安区の上海第三国民学校に通学した。「父母にとって『上海』は別の場所であった。・・・そのころの日本の社会とは別天地のフランス租界の中で、信じられないほどの心身とも豊かな生活を送った場所なのだ」。父母は「上海生活を、共通の心のふるさととして、記憶しつづけた」。