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卒業記念アルバム 30周年文集
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 6組 鈴木 栄喜 

 卒業してから既に61年が経過した。
 80才を過ぎると頭脳も老化現象に災わされて記憶の連続性が失われ、思い出すことが断片的にならざるを得ない。頭を叩いて思い出すことを命じても、どうしても思い出がつながらない。従ってこれから書くことに脈略がなく、箇條書きになって了うことを先づ御諒承願いたい。
 1.30周年文集は小生も編集責任者でもあり、初めての文集のこととて頁数は後刊のものよりも大分薄いが、当時の幹事長の坂田君とも度々相談した記憶が生々しい気がする。パラパラと読返してみると、投稿者が112名いたのに、それから44名が物故して了ったのは何とも悲しいことである。
 2.昭和16年夏、クラスメイトの犬居・大野君と広島→浜田方面に旅行した。
広島では片山君宅に泊めて貰い、浜田では石原君宅に泊めて貰って、宿泊費を節約した結果になって了ったのは、何とも恥かしい話しではある。
 その后、石原君は戦時中の昭和19年にニューギニアで戦病死し、片山君は昭和59年に病死して了い、両君共頑健そのものと思えただけに、運命の皮肉と云わざるを得ない。
 文集記事で、片山君は「俺は長生きするぞ」との題で手相見から73才迄生きると云われたとの記事を書いているが、まことに残念なことである。
 3.6組の磯村玉三君は4修で予?に入り、教室で教わることはその場で全部覚えて了い、学期試験時その為の勉強はしないのに、トップの総代で学部に進み、病気をおして痛々しく歩いている姿が今でも思い出される(昭和16年2月病死)。彼の墓所である豊橋の苔提寺にお参りした時御母堂にお逢いしたが、“この親にして此の子あり”と思わせるに充分な御仁に思えた。
 4.12月クラブの海外旅行には毎年参加し(10回)、国内旅行にも毎回参加し、そのアルバムが127冊となって書架(3基)を飾っているのもなつかしい。老年呆けで記憶はバラバラであるが、此のアルバムを見ると往事が思い起こせるのは有難い話しではある。
 5.人生50年と云われたのは昔の話しで、内心100才迄とは思わないが、90数才迄生きていける自信を感ずる毎日の生活である。

 以 上 

 

 

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