英語の先生 5組 山崎坦記
私ども12月クラブメンバーが東京商科大学予科に入学したのは昭和11年(1936年)です。
その時入学試験に英語のディクテイション(書取)がありました。 東京商科大学豫科入学受験證票 について (click)
外人教師が問題を読み上げます。
「スウィッエアランド イズ ・・・・」
とスタートした時 特に田舎から来た受験生は エッ?と思ったとは あとの語り草です。
英語の外人教師は スピンクス先生
タイスリッジ先生
ラッソウ先生
の3人でした。
スピンクス先生は長身の、パイプもよく似合うスマートなアメリカ人。
タイスリッジ先生は陰気なスコットランド人。
ラッソウ先生はオーストラリア人 と記憶しています。
GHQの1等書記官?情報将校の少佐がスピンクス先生でした。チヤールス ネルソン スピンクスがフルネームです。
他に5組6組のフランス語外人教師はモーリス プルニエ(梅の木 森三?)先生でした。
残念なことに鈴木明郎君は6月にご逝去された由、上記の事情は大野順一君にお伝えした。