カナダに来て37年 5組 張 漢 卿

 

 卒業して60年、その間、国籍を二度も変更したというのは、私だけでは無かろうか。戦前の台湾に生まれたから、当然の事ながら、最初は日本の国民であった。中学校の春休みに、三日がかりで東京にあがり、商大予科の入学試験を受けた時も、日本の学生として受けたし、本科卒業後、日銀と正金の合弁事業であった、上海崋興商業銀行に就職した時も、日本からの職員として赴任したのである。

 だが、終戦と同時に、国籍は中華民国に切り替えられ、台湾に帰って、国民党の統治下で第二の人生を始めることになった。蒋介石政権の独裁振りにも愛想を尽かしたが、其れのみならず、もし国共対立が悪化して、中共の攻撃を受けることにでもなったら、どうなることかと心配して、家族ぐるみ海外に出るべく決心した。

 選んだ行き先は、未知の国、カナダ。45才になる、他国の風来坊に対して、その学歴と職歴を信用し、快く公務員の職を与えてくれたオンタリオ州政府の視野の広さには、37年後の今日でも、感心している。

 そう言えば、当時はカナダにとっても、転換期であった。もともと、英国の自治領たるカナダの外交は、英本国が握って居たが、20世紀に入って、二度も世界大戦に出兵して、本国イギリスを助けた手柄で、自らの外交をもつようになった。当初は強大な隣国アメリカを、手本にしていたが、だんだん行き詰まって、カナダ独自の方向を模索した挙げ句、アジア、アフリカ諸国との関係を、積極的に強化することによって、徐々にアメリカ離れの外交姿勢を取るようになった。

 猫の手も借りたい、そういう転換期に、私のような変わり者が、突然顔を出し、一宿一飯ばかりか、それ以後、定年までの20年も、面倒を見て貰えたというのは、前世の功徳とも言うべきであろう。ところが、失望して出てきた台湾の方も、中共の攻撃を受けるどころか、逆に躍進また躍進を重ねて、世界有数の富裕な国になり、その意味では、私の見当は、てんで外れたことになる。人生は誠に、塞翁が馬である。

 だから、カナダに来て苦労したのを、別に後悔はして居ない。もともと人付き合いの上手な方でなく、役所の為とか、会社の為に、粉骨砕身する柄でも無いから、競争意識の猛烈な台湾の社会には、向かないと自覚はしていた。ただ幼い子供四人の為に、出来るだけスペースの大きい国を求めて、カナダに出て来たのだが、今ではそれぞれ仕事の為に、アメリカに二人、オランダに一人と、ばらばらに別れ、息子独りだけが、トロントに残る結果になった。

 カナダは、先進国の仲間でありながら、国土が余りにも大きく、人口が余りにも少ないので、後進国のような長閑さが、いたる処に漂っており、「草を枕に、空を仰ぎて、声高らかに」と、学生時代の歌を思い出すことがよくある。そうでは有っても、アメリカの裏庭みたいな存在であるから、表の方で、今何が起きているかは、カナダ人の多くが、いつも気にしているところである。

 2000年の昔、ローマ帝国は、周辺の異民族を征服して、「ローマの意志に基づく平和」を打ち建てた。下って、18世紀の工業革命で富国強兵に成功したイギリスは、ナポレオンを破り、ついに「日没することなき大英帝国」の大業を成し遂げた。アメリカも、強敵ソ連が自己壊滅した今日、やはり自国の意志に基づく、所謂「パックス、アメリカーナ」を打ち建てようとして居るのであろうか、気掛かりでならない。

 そもそも、欧米の文明が、一切を圧倒した時代は、過ぎつつあるのでは有るまいか、世界は今やアメリカの一極だけになったのではなく、寧ろ多数の極に、なりつつあるのでは無かろうか。強国と弱国を問わず、恐るべき近代兵器が、容易に手に入る21世紀に於いて、自国の本土だけは戦争の被害を受けない、と断言できる超大国が、あり得るものであろうか。

 化石学者によれば、曾て数千万年も、地上を闊歩した恐竜でさえ、ある日突然落ちて来た隕石に災いされて、尽く消滅したとのことである。まだまだ歴史の浅い人類が、自らの力で自らを亡ぼす工夫を、そんなに急ぐ必要が有るのであろうか。

・・追記・・(クリックしてください。「回想」の項目に追記とご家族の写真があります。)