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この町には、白人と黒人が殆んど同じような生活をしている。混血を黒人の方に入れると白人より黒人の方がずっと多い。パナマ運河開墾の時に使われたアフリカ奴隷が、ここに移り住んで来たという話だ。白人は髪の黒いスペイン系が多い。あの粗野で冷酷な征服者ピサロの末エイだろうか。或はヨーロッパの落ちぶれた祖国に見限りをつけてきた移民者だろうか。いずれにしても、この土地ももはや彼等に住みよい土地ではなくなったようだ。彼等の一見華やかで、明るい顔の中に、過去の民族に特有な、諦めと、憎しみのこもった悲しげな陰がはっきりと浮かんでいる。彼等の生活は、ちょうど、彼等の祖先が無力なインカ人達に行ったように、アメリカやドイツの資本という侵略者に、手向かう術もなく、圧迫され続けているのだ。

船へ帰ると、今度は荷揚げ人夫らしい黒人が、一房百五十本ぐらいついたバナナをかついで来て、売ろうとしている。いくらだと聞くと、ラッキーストライク一個(即ち20本)だという。あまりの安さに驚きながらも、相手の気の変わらない間にと、すぐ買った。ところが、出港が間近になるに従って、どんどん値が下がって、しまいには、ラッキー二、三本になり、それでも売れないと、大声で何か怒りながら、海へドサーンと捨ててしまう。後で聞いた話では、彼等は別に気前がよいのではなく、もともと僕等に売りつけるバナナは積荷の時にそっと盗んで来たものか、或は傷んでいて捨てたものだったのだから売れ残りをわざわざ持って帰る必要がなかっただけなのである。

中米から南米へかけての港町では、ラッキーストライクの価値が奇妙なほど高い。

一番交換率のいいのは、アメリカのドル、次がラッキーストライク、それから日本の雑貨類、最後が、自国の権威ある紙幣である。

驚きのうちに船はブエナヴェンチューラの町を離れ、次の驚きの地、エクワドルのガイヤキルに向う。

 

 

後記:今なら差別的表現として禁じられる用語もありそうですが、上保青年22才の若々しい感受性がストレートに伝わってくる大好きな文章です。私たちの記憶には、この時代の上保慶一像が鮮明に生き続けています。

2000年3月 楠木 孝雄記

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