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アンデス行

 

 

サンチャゴで一週間余の準備を終った我々は、12月26日(1958
年)、初夏の太陽を一ぱいに浴びながらスクーター旅行第一番目のコースアンデスに向った。実際にアンデス山脈を横切ってアルゼンチンへ入るのはサンチャゴよりずっと南へ下ったオソルノ附近であるけれど、アンデスもその附近まで南へ来てしまうと「アンデス越え」などと云うには気がひける程低くなってしまうので、南下する前にサンチャゴから7000米の高峯「アコンカグア」の見えるウスパラタ峠(4000米)まで往復する計画なのである。

総勢13人、石原隊長以下我々6人に、サンチャゴで何から何までお世話になった大使夫人と有閑マダム、有閑お嬢さん方7人が加わった。

途中我々の随行車、キャリヤーのブレーキオイルのパイプが破れて、危うく成宮が轢き殺されそうになったりしたが、夕刻予定通りリオブランコ着。日本で何十回も書いたり読んだりしたロスアンデス、リオブランコ等という土地を通ると初めてのような気がせず妙になつかしい。

12月27日早朝、リオブランコのホテルを出発する。昨日ブレーキの故障したキャリヤーとちょっとした不注意からトルコンオイルを漏らしてしまったスクーター(S101)を置いて行く。(まだ工具、部品、オイルは税関にひっかかっていた)スクーター3台、ハイヤー2台となる。

道はリオブランコの渓谷に沿って断崖を横切って行く。道幅は大型のハイヤーがやっと通れる狭さで、片側が山、片側が谷、両側とも絶壁になっているから前方から車が来ると数100米もバックしなければかわれないけれど、ここの交通量が日に1,2台であるからそんなことを心配する必要はない。数百米深くどろりと瀞んだ渓谷が、白く泡立って急がしい渓流になる頃から道はみるみる急峻になり、氷河で出来たらしい堆積堤を電光形に登って行く。細かい岩の急傾斜のガラ場に作られた申訳程度のグヅグヅした坂道は、10度近い勾配があって、いよいよクラッチを低速に入れ、フルスロットル25粁でうなりをあげて登る。曲り角はことごとく完全なヘアピンターンで、足場も悪く25粁で走ることも出来ず、歩くよりも遅くしてそろそろと回る。もしこんな所で曲り切れなかったり、端の方でもたもたすると(この坂は全コース「路肩軟弱」であるから)1000米の下

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