まで転げ落ちてしまう。日本での話だとこのあたりは、運転を誤って谷底へ墜落した自動車の残骸がたくさん見られるという事であったが、それ程ではない。しかしここを通る人は必ず自分がそんな残骸になった姿を想像せずにはいないだろう。こんな所で一度速度を落とすと後が大変だ。惰性のなくなった車は、あわててフルスロットルにもどしても、いたずらにタイヤを、めり込んだ砂利の中で空転させるだけで、前進してくれない。仕方がないから下りてフルにふかしたまま力一杯押し上げてやる。2500米に近い高所でのこの重労働は、数秒で心臓が破裂しそうになり、全身から冷汗のように冷たくべたべたする汗がどっと噴き出して来る。やっと15粁ぐらいのスピードまで押してから車に飛び乗った時は、目の前の道がぐるぐる廻り、視界が曇る。たまらなくなって道端にひっくり返って休んでいると、御婦人方の乗ったハイヤーがキャーキャーワーワー云いながら追い越して行く。いい気なもんだ。
20回近く押したり乗ったりしている間に2つの堆積堤も終り、チングルマのような白い高山植物の咲いた平へ出る。ホテルが一軒あって冬にはスキー場になるというポルティージョだ。ホテルの横に氷河に削り取られたアルペン的感じの山を映したラグーナデルインカ(インカの湖)という小さな湖がある。平地でも澄み切ってるチリの空は2600米の標高でますます青みを増し、正午に近い太陽の、紫外線を豊富に含んだ光を浴びて、あらゆるものが銀色に輝いている中で、この小さな湖は、おちついたエメラルドグリーンに静まりかえっていた。
ポルティージョからは標高差にして約1500米を一気に登るのだ。スクーターでの登行はこれ以上不可能なので残念ながらここに残し、車に乗る。今までのアルバイトの疲れがどっと出て、車の震動が心地よい眠りに誘う。ゆっくりと注意深く登って行く。白茶けた、ざらざらした大粒の砂の急斜面には、我々の知らない明るい色の高山植物が揺れている。その中にあまり目立たず、白く細長い花びらと、薄緑のやわらかそうな葉をもって、ふんわりと咲いている深山薄雪草のような花をみつけて、はっとした。エーデルヴァイスだ。本場のアルプスではもうとっくに取り尽くされてしまって、それでも多くの登山家が、血眼になって命をかけて岩場に探し求めると云うエーデルヴァイスの花だった。この世界の登山家の珍重するうっすらと白く潤んだ小さな花を、比較的人里近いこのアンデス山中に多くさんみつけて、まだ人間に荒らされていない自然が、また一つ増えたような気がして、ほっとするのだった。
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