自動車でも止るとづり落ちでしまうと云われる急勾配の悪路も、一
時間程で終り、ついにチリとアルゼンチンの国境海抜4000米のウスパラタ峠に着く。
今まで見えなかったアルゼンチン側アンデスの高峯群が現われる。
日本の山々を見つけている僕等には、このスケールのまるで違う山脈の大きさがわからない。峠からU字谷をへだてて見る山々は時には、全く期待はずれなほど小さく感じられ、それが又突然とてつもなく大きく感じられるのである。地図によれば、殆ど皆6000米以上の高峯だ。
この眺めは美しいのだろうか、とにかく、ちょうど乾季で蒼く澄み渡った空と、真白い万年雪の対照は強烈な美しさを持っていた。アルゼンチン側の足下を大西洋に流れる渓谷、ここからは2000米以上下なのに、その間をさえぎる潅木一木もなく、一粒の水蒸気も感じられない。じっと眺めていると、だんだん距離が圧縮されて、手をのばせば、とどくような錯覚に陥る。赤い山腹に黒い山肌、それらは、直接に自然の偉大な力を、恐ろしい勢いで我々に押しつけ、あらゆる人間的なものの接近を拒む冷たさを感じるのだった。
一時間程休んでから、小さなケロンを積み、我々の感覚にはピンとこないアンデスの山々に別れた。
その日再びリオブランコに泊り、翌29日にサンチャゴへ帰った。
後記:アンデスの大自然に対峙してのきめの細かい描写に、後年風景写真に凝って、同じ季節の同じ風景を何年間か撮り続けた美への探求心の片鱗がうかがえます。
2600米のポルティージョに残したのは、S101で、S-82の2台(上保と成宮)はこのあと3200米の地点まで頑張って登っています。道路に置き去りにしてあとハイヤーに乗った事実を雑誌の原稿に書き辛くて、この表現になったのかな?と推測します。
|