最終更新日:1999年3月4日
この文書に関する一切の権利は一橋大学鉄道研究会が保有します。無断複製・転載を禁じます。
私は、今のところ自動車の運転免許を持っていない。従って、どこかへ行くには、公共交通機関を使うか、徒歩や自転車で移動するしかない。それが当たり前だと思っていたから、中学・高校時代、結構いろいろな場所に自分の足で出かけていた。一応、東京の東半分の地理はそれなりに理解していたつもりである。
そんな私にとって、最近普及しだしたカーナビゲーションシステム(カーナビ)は「土地勘のない人が頼る道具」としか思えなかった。地図でだいたいの位置関係が把握できていれば、目的地の近くまでは来られるし、そこから先は周りを見回して目的地をさがせばいいのである。地図をぐるぐる回して進行方向に合わせるカーナビなんて無粋なもの、とも考えていた。
しかし、である。先日、とある方に車に乗せていただいて都心部を走ったときのこと。その方も都心部を車で走った経験は少ないそうなのだが、首都高のランプに入ろうとしてもランプが見あたらないのである。同乗の二人が地図とにらめっこして、ここのランプなら入れると考えても、悲しいかな、ランプの真上を素通りしたりする。
カーナビを馬鹿にしていた私は、重大なことを忘れていた。車を運転している場合、瞬時に判断を迫られるばかりでなく、戻ったり右折したりが非常に難しいのである。目標物の目の前まで来ていても、それが反対車線であったりしたら無意味である。なるほど徒歩なら次の信号をわたって戻ってくればいいのだが、都心の道路でそれは無理だろう。車で走る場合、あくまで流れに沿って目的地まで着かなければならないのである。
先ほどの話は日曜の夜だったので渋滞には遭わなかったが、平日の昼間にそんなことをしていては、時間をとられるばかりでなく、さらに渋滞に拍車を掛けることにもなるだろう。意外と、都心の渋滞の原因はうろうろ道をさがしている車なのかもしれない。
スムーズに車を誘導するには、カーナビは有効な手段であるのかもしれないと再認識した次第である。
もちろん、都心なんて個人の車で走らない方がいいのだろうが。
(霜崎祐介)
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