最終更新日:1999年3月4日
この文書に関する一切の権利は一橋大学鉄道研究会が保有します。無断複製・転載を禁じます。
パークアンドライドの実地調査が終わって一息ついた9月、私は実地調査のときに使わずに一回分だけ余ってしまった青春18きっぷの使用法を迷っていた。いろいろ行ってみたい所があったからだ。しかしいろいろ考えた後、私は最終的には車窓から見える渓谷の景色が素晴らしいといわれる飯田線に乗ってみることにした。
そんなわけで、私は9月8日の午前5時すぎに家を出て、中央線の下り列車に乗って飯田線に向かった。そして午前9時前に上諏訪駅で飯田線の電車に乗り換えた。この日は平日だったため、上諏訪駅では学校に向かう高校生や仕事に向かう人々の姿が見られた。
飯田線には余り乗客がいなかった。しかも乗客の大半がお年寄りだった。しかし半日で学校が終わったのであろうか、11時30分頃に飯田駅に着いたときに多くの高校生が電車に乗り込んできて車内がにぎやかになった。彼らは駅に着くごとに少しずつ降りていった。その後12時前に天竜峡駅に着き、そこで30分ほど待って豊橋行きの電車に乗り換えた。電車の中は再び閑散としていた。私は車窓の景色を眺めながら居眠りをしていた。
私が目を覚ましたとき、電車は長野県と静岡県を通り越して愛知県に入っていた。ちょうど学校が終わるころの時間帯だったため、電車に乗ってくる学校帰りの高校生の数がどんどん増えてきた。豊川駅を電車が出発したときには3両編成の電車が満員になっていた。そして午後3時40分頃に終点の豊橋駅に電車が到着した。
今回の旅で強く感じたことは、飯田線は高校生たちの貴重な通学の足になっているということである。特に私は6時間半も同じ路線の電車に乗り続けていたため、時間の変化に応じて高校生たちの登校と下校の様子を見ることが出来た。小さな駅で降りて自分の自転車のあるところに向かっていく彼らの姿を見て、彼らが学校に通うためには駅は必要不可欠なものだとつくづく感じた。そして一つ一つの駅が大きさの差はあるが、商店街を形成していることもよく分かった。一般的に駅は集積効果を持つといわれるが、今回はそのことを改めて認識した旅になった。
(太幡直也)
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