ロージナ茶房
小さな喫茶店エピキュール。ブルーベル。
山崎(S16学後)です。
2006年平成18年6月3日(土)に開催された
第1回一橋大学ホームカミングデー (Click) 記念講演の中で、
竹中平蔵 総務大臣(S48)も、母校、国立キャンバスを懐かしみ
「ロージナ茶房」は原点であった、と語っていました。
たまたまMLのみなさんの交信に符合していました。
戦後のみなさんにとってのロージナ、
戦前の私たちにとってはエピキュール(国立本科)、ブルーベル(小平予科)だったのです。
懐かしい青春の一頁です。
○
2006・06・01
こんばんは。日下(s59)です。
いきなりで恐縮ですが、中路先輩の大学ホームカミングデイのご案内をみて、
ロージナ茶房
を想い出してしまいました。
あの喫茶店はいまも健在かと思いますが、最近行かれた方はいらっしゃいますか。
学生時代は部活のミーティングや友人といろいろ議論したのを憶えています。
学生時代は、大学での講義や図書館での自習もさることながら、
ロージナ茶房などでの青臭い議論がとても貴重であった気がしています。
2階の階段の近くとか1階の奥の狭い部屋が気に入っていたように思います。
社会人となってからはさすがにロージナ茶房でのような豊かな時間を持つのはむずかしくなりました。
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こんにちは、Thu, 01 Jun 2006 00:03:03 +0900 の [jfn-6:6870]
ロージナ茶房 へのReplyです。
S55経山下です。
前月、社用で国立に行ったとき、
そのとき、入りはしませんでしたが、健在のようでした。
検索してみつけました。
http://www.e-oyako.com/cgi/shopdb/shopdb.cgi?METHOD=show&ID=55
また、以前、府中に勤めていたので、府中にも支店(?)がありました。
こちらは、再開発でビルの中に入ってしまったようですが、
私は、学生時代府中から国立までバスで通っていた一時期があるので、
府中本町のロージナもなつかしいです。
ちなみに「ロージナ」は「故郷」という意味のロシア語ですよね。(родина)
(語源的には「ナロード」とродが共通。30年前の知識です。)
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山下様
日下@s59です。
ロージナ(故郷)茶房の近況とHPご紹介ありがとうございました。
写真をみて、なんとまあきれいになっていることに驚きました。
自分もロシア語をとっておりました。忘れていましたが(^^;
それにしてもホームページのお店紹介ですが。
営業時間
9:00〜23:00 → うれしいですね。深夜までやっている。
定休日 無 → 学生からベテランまで、いつでも立ち寄れる。
駐車場 無
→ 大学通りの景観を愉しむには歩くが一番。
ということでまた行きたくなりました。
3フロアで120席もあるんですね・・・この大きさもまた魅力ではあります。
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昭和58年法@池です。
懐かしいですね。
ロージナ茶房のショーウィンドウに飾ってあるミニチュア人形
は小学校の時分から私に異国への憧憬をかき立ててくれました。
「しもん」「ロフト」「チョコレートスープ」「カフェダンラシャンブレット」...
国立にあった名店は、みんな潰れてしまいました。
飲食店で30年続くのは非常にまれで大変なことなんだと知りました。
30年前から同じ名前でやっているのは
「イタリア小僧」「マギーメイ」「蕎麦屋の更科」あたりですかね。
あっと「VILLA」もやってますね。
私は32歳で結婚するまでずっと国立を見続けてきました。
国立を離れて14年目になりますが、
国立、とくに国立市の商店街に対しては複雑な思いがありますね。
イタリアントマトもいつの間にか五右衛門になってしまいましたね。
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岩城@S47です。
何たるタイミングの良さというか偶然というか、 ロージナが話題になっているので、報告します。
一昨日(31日)、如水会館で国際部主催の 「Mr.Holemann 謝恩会」が催されました。
昭和37年(1962年)以来、離日するまでの 25年余りの間、国際部の顧問として、
部員の英語の指導をしてくれたことへの感謝の会をホールマンチルドレンが開いたのです。
立川の米軍基地に勤めていた(民間人)彼が(なぜか国立に住んでいた)、
この長きに渡って一橋国際部(昭和48年以降は津田塾大も)と関わるきっかけになったのが
ロージナなのです。
私が入学した頃はロージナでの「Holeman Meeting」の後、
度々彼の自宅へ押しかけ、大きな冷蔵庫から出てくる冷凍食品や缶詰に驚き、
まだ珍しかったホットドックやフライドポテトをご馳走になりました。
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山崎 坦(S16学後)です。
戦前の国立にはロージナ茶房はありませんでした。
私共が懐かしく思い出すのは、
駅を背にして右手、ロージナよりも駅に近い、山下さんのメールのなかのURL
http://www.mapion.co.jp/front/Front?el=139/26/58.110&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/41/40.815&size=500,500
でみると三井住友銀行辺りでしょうか
小さな喫茶店「エピキュール」がありました。
桜並木もあったのかなと思われるほど、
店といえばマージャン店、ビリヤードくらいで、住宅は殆どなかったんではないでしょうか。
静かな大学街でした。最近の様子には吃驚しています。
学校も一橋のほかには国立音楽学校があったくらいでした。
エピキュールの先の富士見通りの彼方に仰がれた富士山を
憲法の筧克彦先生(東大も教えておられた。)
が手を合わせて祈っておられました。
刑法の牧野英一先生(東大も教えておられた。)は
「エピキュール」の名前を見て、’しゃらくさいね’と言われたとか。
エピキュールと同じように懐かしいのは「Blue Bell」という小さな喫茶店です。
70年前の1936年に小平の予科にはいったころ、全寮制でした。
周辺の武蔵野の檪林(レキリン=くぬぎのはやし)の小途を行くと、
森の中に、二人娘のいるブルーベルがありました。
当時「コンチネンタル・タンゴ(シャンソン)「小さな喫茶店」が流行つており、
アルト・ハイデルベルヒ」の物語を読んでおりました。
17歳でした。
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大野(S16学後)です。
Bleu Bell 。 Epicure,
牧野先生のシャラクサイとは正に正鵠ですね、
70年ほど年々歳々、時は流れましたね、
刑法と憲法の講義は人類学で楽しい限りでした。
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方丈記ですね。(山崎)
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2006・06・05
張 漢卿 (S16 学後)
Edward Chang , Toronto, Canada
喫茶店「エピキュール」
予科二年の時、谷虎三郎君と二人で富士見通りに面したお菓子屋さんの二階を借りて、
一年間国立で暮らしました。
ひょろひょろの多摩湖線電車に愛想を尽かした日は、
小平から国立まで歩きました。
清々しい秋空を眺めながら櫟林をくぐり抜けて国立に着いた時は、
疲れを癒すべく駅前のエピキュールでとぐろを巻きました。
最低限度の生活必需品を売る店が一軒ずつしか無かったが、
吉祥寺の萬宝書房が出店を出していたのには感心しました。
タクシー屋も無かった頃でしたから、
大学通りは運動場のように広々として車の影を見ませんでした。
両側の並木は銀杏だけで、桜があったとは覚えていません。
「小さな喫茶店」は懐かしい。
「、、、二人はただ黙って向きあって居たっけね」で終わるのは、
我々17歳のセンチメンタリズムにピッタリでした。
このタンゴには、序曲とも言うべきメロデイーが付いていました。
正確には覚えていませんが、
以下の歌詞お手元に良い資料が有ったら、適宜に直 して下さい。
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http://www.youtube.com/watch?v=8HwtE5MYg08
♪それは去年のことだった、
星の綺麗な宵だった
二人で歩いた思いでのこみちだよ、
懐かしい あの 過ぎた日のことが浮かぶよ
このみちを歩くとき なにかしら悩ましくなる、
春先の宵だったが
(間奏)
小さな喫茶店に はいったときも 二人は
お茶とお菓子を前にして ひとこともしゃべらぬ
そばでラジオが甘い歌を やさしく歌ってたが
二人はただ だまって むきあっていたっけね♪
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小さな喫茶店 In Einer Kleinen Konditorei
1935 中野忠晴ヒット
曲:E.Neubach 詩:F.Raymond 訳:青木爽
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名門一橋に入って本来ならば学業にいそしむべき処を、喫茶店と映画館で時間を潰していたのは、
学部に上がる入試がなくてのんびりしていたからでしょう。
我々は甘やかされていました。
お大事に。
ED