終戦60周年記念日に思う
5組 山崎 坦
2005年8月15日(月) 仏壇に線香を上げて戦没学友の冥福を祈りました。
私共一橋同期の戦没学友は35名です。
「戦没学友名簿」を見て下さい。(クリック)
学友名をクリックすると追悼文が出ます。
クラスメート天谷君追悼の和田君の文章を読んでください。(クリック)
劇団四季「南十字星」のモデルのような心打たれる話です。
中学校同期の学友は陸軍士官学校、海軍兵学校、商船学校
に進学した人が大勢います。
親戚の従兄弟(シベリヤ)、家内の兄(ビルマ)や従兄弟(南海の空に散る)たち。
正午 英霊310万人に 天皇陛下以下の日本人が黙祷を捧げました。
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日本は天皇制があったために現在のイラクのようなことにならなかった。
日本国という国家のかたちを持っていました。
日本軍は支那で負けたことはなく戦闘能力はありましたから、降伏などもってのほかでした。
終戦時皇族将校が降伏命令伝達に派遣されたのです。
一糸乱れず戦闘を停止しました。
満州方面では不法にもソ連がこの機につけこんで攻めてきて殺戮をほしいままにし、
日本軍60万人をシベリヤ送りにしました。
左翼政党は無機質の頭で天皇制を否定しますが、
或いは 清盛や信長が不遜にも 天皇になろうとしましたが、
田上先生の美濃部憲法・天皇機関説の説明を読んでください。(クリック)
三島由紀夫は終戦25年に
「このままでは日本はなくなって、無機質な経済大国が極東の一角に残るのであろう」
と言っておりました。