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ホイットニー先生のこと
山崎 坦 (昭16学後)
1999年12月号如水会ゝ報に齊藤圭史郎君(昭40経)が寄稿した「ホイットニー先生の記念碑探しに寄せて」を読んで以下に全文を収録しました。
1975年4月号如水会ゝ報に渋沢輝次郎(昭8学)先輩が「ホイットニー一家のこと」を寄稿されており、拝読するにこの文章の方を先に紹介した方が良いかとも考えました。 (Click)
併せて「W.C.WHITNEY」先生で検索したところ、なんと詳細資料や写真は母校・図書館・資料室のURLであります。早速母校に問い合わせたところです。
1部以下クリックしてご覧下さい。
Title, W.C.Whitney(検索形: Whitney, William
Cogswell(1825-1883)). Creator, Francois M. Nakayama(よみ:ナカヤマ, マサミ 検索形:中山,
正美). Subject.NDC, 720. Description, ホイットニーは、1825年アメリカ合衆国ワシントン郊外ジョージタウン
... hda1.lib.hit-u.ac.jp/cgi-bin/retrieve/ |
キャッシュをクリックするとWhitney先生の肖像も見られます。
○
以下は母校えの問い合わせ。
○
送信者: "yamazaki hiroshi"
宛先:”林 哲夫”(学術・企画主担当)
Cc: "高橋 治夫"( 如水会業務部長)
件名 : W.C.Whitney資料など
日時 : 2007年2月23日 14:56
林 哲夫 様
山崎 坦(昭和16年学部後期)です。
如水会十二月クラブ・ホームページ管理者です。
http://www.josuikai.net/nendokai/dec-club/
前略
古い如水会ゝ報にW.C.Whitney先生のことが度々紹介されております。
弊HPでもより詳細説明しようと思い検索しましたところ母校の図書館・資料室(磯野記念館)にもっとリンクを張ったり解説をすべきだと思い当たりました。
ついては母校図書館の資料になかなか行き着けないので、ホイットニー先生関係の資料URLをご教示願いたく
よろしくお願い申し上げます。
また今後所蔵の恩師肖像画の紹介や一橋出身者に知らせたい母校の各種資料につきURLなどご教示頂きたく、
あわせてよろしくお願いいたします。
草々
○
早速返事を頂きました。
○
日時 : 2007年2月23日 15:29
拝復。附属図書館(学術・企画主担当)の林です。
ホイトニーに関する文献リストは、現在、
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/bunken/whitney.html
に置いてあります。
なお、「学内肖像画・銅像等コレクション」
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/HDA/portraits.html
については、大学のウェブサイトの
HOME > 大学案内
http://www.hit-u.ac.jp/guide/index.html
の「大学の概要」のセクションにリンクを設けてあります。
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/HDA/portraits.html
のページで、「作品名称(モデル)」欄の像主人名をクリック
すると、それぞれの文献リストへ跳びます。
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如水会ゝ報 平成11年(1999)12月 第836号 p4
橋畔随想
ホイットニー先生の記念碑探しに寄せて
さいとう けいしろう
齊藤圭史郎
(昭40経)
ホイットニー先生の記念碑探しは一通の葉書から始まった。
如水会評議員の久我太郎先輩(昭22学)からお葉書に続いて書状を頂き、
一橋大学の前身商法講習所開設時の功労者
W.C.ホイットニー先生の墓所がロンドンのハムステッド墓地にあり、
先生の墓所に
一九七二年にロンドン支部有志がホイットニー家の了解を得て
記念碑を建てたことを知ったと連絡があったからである。
記念碑建立から二十七年が経過し、
現在の如水会ロンドン支部としては初めて聞く話であり、
この際どうしても墓所を発見しなければならないと思い、
取り敢えずハムステッド墓地に出掛けた。
そこは現在二万六千体の墓石がある
一八七六年以来の古くて広大な共同墓地で、
墓所確認には墓石ナンバーが必要とのことであった。
久我先輩からのお便りの中に、
ロンドン在住の曾孫のジヨン・ホイットニーさんとの交信の手紙が同封されていたので
電話をして墓石ナンバーが分からないか尋ねたところ、
墓碑の存在すらご存じなく、
逆に先祖のことで興味あるので分かったら教えて欲しいとのことであった。
ジョン・ホイットニーさんは現在六十八歳でラジオ放送制作会社を経営されたり、
多くの芸術関係の団体の役員に名を連ねておられる。
久我先輩に事情をファックスにて連絡したところ、
久我先輩のご手配で如水会事務局白石業務部長から
一九七二年四月号如水会々報に西川義朗先輩(昭17学)が寄稿した
「地下に埋れていたW.C.ホイトニー先生の墓碑」
と
一九七三年十一月号に横瀬一郎先輩(昭31経)が寄稿した
「ホイットニー先生記念碑建立」
のコピーをファックスして頂いた。
その中にはっきりと
墓石ナンバーJ10ー46番
とあったので再度ハムステッド墓地に出掛けた。
管理人事務所の壁に二万六千体の墓石ナンバーが細かい字で書かれた見取り図があり、
定規を当てて 「J10−46」 の墓所を探し出してもらった。
西川、横瀬両先輩の寄稿文から分かったことだが、
ホイットニー先生は明治十五年(一八八二年)米国からご家族と一緒に再来日の途中
ロンドンで病を得て八月二十九日に客死され、九月一日にハムステッド墓地に埋葬された。
Jl0列はすぐに見つかったが、
46番の如水会ロンドン支部が二十七年前に建てた記念碑は容易には見つけられなかった。
管理人のピーターは既に倒れて芝生の下に埋まっているだろうと言ってシャベルを持って来てくれた。
ピーターと二人で46番はこの辺りと確認してひょっと大きな木の下を見ると、
少し後ろに傾いた碑があり枝を分けて這いながら近づいて見ると、
W.C.WHITNEY.M.A.
と読めた。
ピーターが碑を覆っていた木の枝を切って、記念碑がはっきり外からでも見えるようにしてくれた。
早速証拠の写真を何校か撮った。記念碑には次の様に書かれていた。
W.C.WHITNEY.M.A.
TEACHER OFB00KjKEEPING
IN SH00H00K00SHUUJO
TOKYO
LONDON JOSHUIKAl
一九七三年に横瀬先輩が「ホイットニー先生記念碑建立」 の中に書かれたとおりであった。
「記念碑を建てるにあたり見積りを取ると五〇ポンド前後でできることが分かり、
当日如水会ロンドン支部の集まりに出席していた会員二十五名に割り掛けて
合計五〇ポンドを寄付頂いた」と書かれている。
記念碑の写真も記載されていたが後ろに別の墓石が黒く丸く見えており、
まさか二十七年で近くの木が大きくなりその下に隠れてしまっていたとは想像できなかった。
ホイットこー先生の墓碑発見については
一九七二年に西川先輩が
「地下に埋れていたW.C.ホイトニー先生の墓碑」 に詳紙に述べておられる。
ロンドン留学中に何回もハムステッド墓地に出掛け、
一九七一年四月やっとのことで埋葬台帳から八十九年前の墓石ナンバーを探しだし、
「雑草だらけの中からセクションJ10ー46を縦横から狭めてゆき、
こことおぼしき区画に辿り着くことができた。
落葉をはらってみたものの、その地域の墓石は根強い芝に覆われており、
丁度墓掘り人夫が近くにいたのでシャベルで掘りおこして頂いた。
地下深く墓石は埋没されており、
その墓石がホイトニー先生のものであることを確認するため、
少し掘り広げてもらって土を取り払い墓碑に刻まれていた
「BORN JAN 25 DIEDAUG 29」
を読み取ることができた」 とある。
墓石はそのまま埋め戻され、その場所に翌年記念碑が建てられたことになる。
それから二十七年が経過して今回西川先輩と全く同じホイットニー先生の墓所探しを行ったが、
墓石ナンバーJ10ー46は西川先輩の寄稿文で分かったので容易に探すことができた。
ホイットニー先生の墓所の存在を確認できたので後日献花するため再度ハムステッド墓地を訪問した。
二七年前に埋葬された人の墓探しに興味を持った管理人の太めのピーターとはすっかり顔馴染みになった。
日本人が来たらお前もJ10ー46を探しているのかときっと言うことだろう。
ホイットニー先生の墓所のある辺りを
以前は○lder Portionと言ったらしいよと
○lder Portionと言う言葉は聞いたことがないと言うピーターに伝えておいた。
(如水会ロンドン支部長 東レヨーロッパ社長)
”