06・23
太平洋戦争 沖縄戦 終結の日


この日(?頃)牛島司令官が自決をされたのだそうだが、5組松井孝夫君は司令部付きだったようだから、
行を共にされたのだろう。
同君の姉上の追悼文は次の氏名下線部分をクリックしてお読みください。

「戦没学友名簿」より 5組 松井 孝夫 20・6・22 戦死 沖縄戦線首里付近より本島摩文仁において

 追悼文中の5組小池真登君は19・07・09 ビルマ・インパール作戦において戦死された。
同作戦に隣部隊で参加していた5組小林悦生君は戦後小池君の最後の情報をクラスメートに報告してくれたが、
小林君ももういない。

上記三君ともクラスチャンで5組のボートをこいでいた。
その後松井君。小池君はボート部で活躍した。両君とも立派な体格であった。
[卒業記念アルバム・部活。端艇班。]クリック
姉上の追悼文でその後の奇遇もわかる。
松井君は日焼け?地も黒かったか、クロというあだ名、ユーモアを解するナイスガイであった。

小池君はアメリカで育ったから英語は堪能であった。そのかわり漢文には閉口したようで、
漢文の試験答案に、自分の出自を述べて良く出来ない言い訳を書いていた、ということが笑い話になっていた。
父君が三越百貨店の写真部長だったから、クラスメート有志の卒業写真を撮っていただいた。
アルバム(Click)の最後の写真です。

 < 四十周年文集(波濤)5組(故)谷虎三郎君手記   友 よ>


クラスメート予科(第2外国語フランス語の5組)入学時の41名中一割の4名が戦死した。

戦後復員して生をまっとう出来た学友達も現存は9名(2006・06・23)となった、
十二月クラブ全体では戦死35名(一割)現存102名である。

  ご冥福を祈る。   5組 山崎 坦