アルト・ヒトツバシ(2)

この先の小径を辿って、檪林に分け入ると、そこに”ブリューベル”がありました。 (ケティー連想)
小さな喫茶店です。
二人姉妹の少女がおりました。

多摩湖線商大予科前の小さな電車駅から予科校門にむかって右手の林の中です。

この辺りには学校以外に人家はなく総て檪(レキ・くぬぎ)林で、なるほど、これが武蔵野というものかといった風情でした。

先年おとづれて見た小平辺りには愕然としました。

「アルト・ハイデルベルグ」という戯曲があります。
「学生王子」というミュージカルにしたてられました。
”THE STUDENT PRINCE”(学生王子)
http://www.asahi-net.or.jp/~ky5s-mti/jamca/prince.html
「卒業40周年文集(波涛)」”アルト・ヒトツバシ(1)
「回顧」 「学生生活(クリック)         5組 山崎坦


昭和11年(1936年)軍部クーデター 二・二六事件のあった年に予科に入学しました。
まだ頭髪を伸ばしていないから1年坊主でしょう。
外の世界と関係なく青春を謳歌しました
予科の帽子は角帽ではなく、帽章にはCCのないマーキュリーの杖でした。
いつでも制服を着ていました。寮では着物でくつろぎました。

隅田川にでかけて、ナックル・フォアーやエイトのボートで遊びました。漕いだり、オーリングで楽しみました。漫漕。

なんとまあ天真爛漫な少年達..。

私の大好きな写真。(5組亦楽会旧友)
67年昔です。







卒業記念写真帖から未収録の写真を取り出してみました。 (写真はクリックすると拡大します。)
青春のシュトルム・ウント・ドランク時代。やがて頭髪も伸ばし、本科になれば角帽をかぶって、煙草や酒も嗜むようになりました。
(予科入学写真帖) (小平一橋寮第一回寮生・北寮13号)。 
 けれども学園の外では戦運急を告げていて軍事教練が学業に入っておりました。
















                                                       
4枚目の頁の左下の1枚。
前列左より 赤松要、上田辰之助、板垣与一、山田雄三先生方も軍の指導に服せざるをえなかった。