音楽部で思い出すこと      
                     5組 山崎 坦

十二月クラブ・ホームページに「卒業記念写真帖」にある「音楽班」 (クリック) (註:戦時色濃厚となり、その筋のお達しで、班などと称さねばならなくなった。)=「Music Society」を収録していて思い出しました。
私などよりは、部活に熱心だった(7組)菅沼精一君、(6組)杉浦正直君、(4組)二見正之君、(5組)小林悦生君方々に語ってもらいたいのですが、みんな物故されているのです。

昭和13年頃でしょうか、夏休みに、軽井沢・千が滝高原アパートに5組井上君、小林君、6組山本(恒)君と小生が数週間過ごしたことがありました。東大の1年上の大塚?さんというかたもおられて、この方がバス、小林君と小生がバリトン、井上君テナー、で4部合唱を楽しみました。フォスター、スコットランド民謡、シューベルト、モツァルトなど、101ソング集やらを、グリーン・ホテルの音響のいいロビーで毎日のようにハモッテ楽しんだのです。
世が世ならダークダックスの様になっていたかもしれません。

戦前のオーケストラといえばN響のみでしたし、会場といえば日比谷公会堂しかありませんでした。
5月5日6日日比谷公会堂でN響の演奏会がありました。曲目はベートーベンの第9で、合唱は国立音楽学校の合唱団でした。本学の合唱団もこの中に入れてもらったのです。
指揮はローゼンシュトックでした。
鳥肌だった感激は忘れることは出来ません。

昭和16年 ピアノ井上園子 チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトがオーケストラの感激的聞き納めで、戦線に向かいました。

生還した焦土では米軍のファーイースト・ネットワーク ラヂオからながれるポピュラー・ジャズをたのしみました。

それから、
今手許のアルバムを見てみますと1970年1月ロンドンえ行っています。。
戦後25年経っています。大阪万博の年。前年東名高速開通。4年前新幹線開業。
私はロンドンえはたびたび出張していますが。その時は、まだアラスカ、アンカレジ経由でした。
三菱商事ロンドン支店に音楽部 7組菅沼君(ヴァイオリン) (昭和18年卒)竹内克彦君(チェロ)がおりました。
(当時の支店長も先輩でした。)16年卒の石井照夫次長、31年卒の横瀬一郎君(後本社常務)と前記 音楽部2名 で コベント・ガーデン(ロイヤル・オペラ・ハウス)観劇に参りました。
オペラ「フィデリオ」ベートーベン作曲、指揮 コリン・デイビス。レオノールにギネス・ジョーンズ。フロレスタンにジョン・ウィッカースでした。
感激しました。観客の中には涙を流している人もいました。

失敗談があります。 Sonyの新鋭録音機(まだ大きくて文芸春秋より厚いほどでした。)をひそかに仕掛けて、時差ぼけで睡魔が襲ってきたとき、テープ切れの警報がピーピーとなってしまいました。オペラ進行中です。シェイムでした。

徹子の部屋で熊川哲也(バレー・ダンサー)が新コベント・ガーデン・オペラ・ハウスの柿落としに踊ったと話しているのをTVで見ていて上記の事を思い出しました。

来る2004年6月13日にはリニューアル兼松講堂の柿落としに本学オーケストラも国立音大・桐朋学園大オーケストラと合同で、超一流の指揮者・尾高忠明氏、超一流のピアニスト・園田高弘氏が出演してくださることになりました。
素晴らしいことです。誇らしいことです。

本日3月23日日経新聞・文化欄に
「兼松講堂 第2楽章へ」
◇一橋大の誇る近代建築、本格的音楽ホールに改修◇
佐藤正治君・梶本音楽事務所副社長

#ロマネスク様式を採用
#音響の専門家が絶賛
#記念オーケストラ演奏

と紹介しています。