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俳句に因んだ名舞台
小喜楽こと 森口 昭治(Tクラス)

昨年の12月も結局、国立劇場(三宅坂)に行く事になった。
一昨年の劇場創立50周年記念興行である、3ケ月間にわたる真山青果の『元禄忠臣蔵』通し狂言を観て以来、1年振りの『三宅坂』であった。
演目は、師走の出し物に相応しく今回も『忠臣蔵』に因んだ三部作であった。
二代目中村吉衛門(播磨屋)を座頭に、播磨屋、高麗屋(市川染五郎)、萬屋(中村歌昇、歌六)一門と中村芝雀(京屋)等が演じる『堀部弥兵衛』(宇野信夫作)、『清水一角』(河竹黙阿弥作)そしてお目当ての秀山十種うち『松浦の太鼓』の忠臣蔵外伝3部作と言う構成であった。

私の最大の関心事は、ただただ『松浦の太鼓』の主人公『松浦鎮信』を演じる当代播磨屋(二代目吉衛門)にあった。
今まで意外と播磨屋の舞台を見る機会が少なく、歌舞伎を観る機会が増えたここ2年ばかりは何故か『吉衛門』の演目を意識するようになっていた。
池波正太郎原作TVドラマの『鬼平(長谷川平蔵)』役で一躍人気を得た吉衛門の歌舞伎の舞台での演技を追っ駆けてみたかった。一昨年の忠臣蔵(第一部):『大石内蔵助』を初め、『河内山宗俊』『熊谷陣屋』『極付幡隋長兵衛』等々であるが?やはり長谷川平蔵に代表される町方の人情味溢れる指導者的役柄に当代吉衛門の本領が見える。

さて、今回のお題である『俳句と歌舞伎』であるが、『松浦の太鼓』に登場する2人の俳諧師である『宝井其角』(蕉門十哲の第一人者、中村歌六)と『大高源吾』(赤穂浪士の一人、其角の弟子で号は『子葉』、市川染五郎)のことに話しを進めたい。
2幕の芝居である『松浦の太鼓』の序幕『両国橋の場』で、2人の俳人が出会い、例の俳諧句が出る。
年の瀬や 水の流れか 人の身は <其角>
       明日待たるる その宝船 <子葉こと大高源吾> 

年末にこの句を聞くと、何故か気分が引き締まる。
増してや、『両国橋』を背景にした舞台から響く2人の名優の台詞回しに、この句の遣り取りの真髄が聞こえる。歌舞伎の中に生きる『俳句』を代表する歌と言える。正に俳句の持つ力が、物語を生む。

歌舞伎としてのこの作品は、『仮名手本忠臣蔵』を増補した『新舞台いろは書初』の十一段目(1856年初演)をもとに、明治の初めに『三世勝諺蔵』が独立した芝居にしたと言われ、初代吉衛門の実父である明治の名優『三代目中村歌六』の当り狂言として何度も演じられ、その子である初代吉衛門(俳人としては『秀山』を号す)に引き継がれた。初代播磨屋の芸容の大きさにより練り上げられ、この戯曲が一層優れた芝居に成長したと言われています。
その後、当代吉衛門の実父、先代;八代目松本幸四郎(初代松本白翁)を経て、初代の母方の孫にあたる二代目吉衛門(当代)も播磨屋の芸風を生かした『松浦鎮信』を得意とし、播磨屋のお家芸である『秀山十種』の一つとしてその芸風を今に守り伝えています。

ところで、戦後を代表する名優の一人、初代吉衛門もその俳号を『秀山』と号し、自ら俳句を嗜む歌舞伎役者でした。
歌舞伎界は又、役者を初め戯作者、演出家、演劇評論家から多く俳句人を生み出しています。久保田万太郎、真山青果、戸板康二、小山観翁等枚挙に暇がありません。歌舞伎と俳句に通じる『道』があるや?に思えてなりません。

最後に、この芝居の終焉を飾る『大高源吾』(子葉)の蕉門流の辞世の一句
山を抜く 力も折れて 松の雪 <子葉>
によって、師走を彩る名舞台は幕となります。

そこで、小楽も一句
忠臣と 母とを偲ぶ 雪太鼓 <小喜楽>
12月14日が命日であり、心臓病で亡くなった母の心臓の鼓動を思わせるように、づんづんづん・・・と言う歌舞伎特有の『雪降り』の演出擬音が、討入りの日の赤穂義士達の緊張感と相まって、まるで積もる雪共々胸打つ鼓動の様に聞こえるのは、私だけでしょうか?

今年一年もどうか『良い年』で有ります様に!

平成20年正月
© 2008 S43
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