Zクラス会 開催  | 
 
日時 : 11月9日(火)18:30から 
場所 : 如水会館 「けやきの間」 | 
 
 おじさんのクラス会があった。無論、自分もその一人である。 
むかし二十歳の青年が、60歳のおじ(い)さんになって近況を話し合っている。 
 近況? なんで近況なのかな。 
聞いていると、だいたいが「これこれで、いかに、どのようにシアワセであるか」を説明、自慢しあっている。聞きようによっては、これは異常である。 
簡単な話。不シアワセな人間は参加出来ない。参加してもいいが、ハッキリ言って面白くないはずだ。当然である。 
・・みんな、元気そうで何よりです。お忙しい中お出で頂きました。・・ 
(この挨拶には、意味のないオベンチャラを通り越す重大な事実誤認がいくつも含まれている。最も重大な錯誤は、みんな(が)元気とは限らない、事である。参加しない(したくない)人間の方が多い事を忘れている) 
 ひねくれた「悪魔の辞典」にこうある。 
「クラス会=同級生の内で、シアワセな人種だけが集まる無神経な会合」  | 
 
 そんな予感がしたから、今回の「おじさんのクラス会」は気乗りがしなかった。 
しかし、そんな気がしながら、結局出かけた。「シアワセ」だったからではない。不シアワセなんだろうな、と根拠もなく漠然と蔑まれるのが嫌だったからである。 
「不シアワセ」なら「不シアワセ」らしく、説明付きの哲学的なおじさんになりたいのだ。 | 
 
 余談が過ぎた。本筋にもどそう。 
吾がクラス会は予想に反して比較的平穏な時間が流れた。哲学的気分にはなれなかったが、殺伐、乾燥した空気でもない。これなら、次回参加も検討に値した。 
 人は「不条理」にあってはじめてホントの人生を知る、とはよく言われる事である。 
普通、人間は他人の不条理には全くといっていいほど気がつかない。 
自分の幸福感、充実感がデカ過ぎると、かすかに見え隠れする他人の不条理などは「そんなこともあるさ」くらいにしか見えないのである。 
 しかし、(ここが肝心なのだが)歳月はいろんな事実を運んでくる。そして、その中には当然ながら数多くの不条理、「不シアワセ」も混じっているのである。 
 友よ、多くを語るなかれ。近況を知ることも友情なら、時に近況を知らないことも友情である。 
要するに集い。要するに歳月を想う。それでいい。それだけでいい。 | 
 
以下は、今回クラス会の参加人名である。次回は参加人員倍増あれと願うばかりである。 
高橋、柘植、田端、長谷川、馬場、林、日野、平林、廣部、松尾、森(完)、山内、山本(克)、吉村、渡辺(得) | 
 
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