さくらの季節に恩師の墓参りを思いついた。
ほんとは、ゼミテンの1名が老〃介護が終わって、やれやれと云っていたので慰労会のつもりであった。
「いやあ、、まだそんな気持ちになれんのだわ」・・無理は云えない。
「墓参りにしよう!花見もいいし。今頃は大学通りは真っ盛りらしいぜ」。恩師の墓は国立・府中にある。それで、出かけた。総勢5名。
少し、解説しよう。
社会学部 唯物史観歴史学 日本近代史専攻 佐々木ゼミナール ゼミテン総勢13名。(物故者3名。遠隔地2名。つきあいの悪いヤツ2名。残余が6名―今日は1人欠員)
まあ、間違いなくいろんなヤツがいた。唯物史観だから中核はやはり左翼である。しかし、世界は中核だけで動いている訳ではない。少なくとも学問的集まりを一方的世界観で縛るような幼稚な集団だったとは思っていない。――と、まあカッコいい。
恩師は、地方史に造詣が深かった。実利的でもある。地方都市(町、村でもいいが)の「○○市史」を引き受けるのである。カネ儲けのためではなく、その歴史的事実の実証性を手図から掘り起こすことが出来るのだ。歴史学者にとってこれは大きい。(と、思うのだがどうか)
それらを吾らが側で見る。(邪魔であったろう。手伝っても足手まといになるだけだ。)
日本最大の大地主、本間家に連れて行ってもらったことがある。夏合宿も地方でやった。
要約する。
ミンナ、学問はしなかったが学問的雰囲気の中で暮らせた。雰囲気を与えてくれたのは恩師である。だから、アタマが上がらない。
解説を終ろう。花見である。いや、墓参りだ。
国立駅に集合し、大学通りを谷保天神の方向へ花見がてら歩く。染井吉野が真っ盛りである。美しい。ゆったりしたウオーキングが出来た。
幹事が「墓のある場所」を聞き間違えて2時間程うろうろする。東京近郊の近代「墓」はツルツルしていて、ことごとく真新しい。墓石の展示場のようだ。
線香の匂いすらしない。移りゆく国土を思ってしまう。これでいいのか。
――オレのせいじゃあないぞ!――恩師の声が聞こえそうな気がした。
そのあとは、谷保駅前のソバ屋で昼間っから宴会になった。あれ持ってこい、それ持って来いのオジサン宴会である。ホントに、元一橋生なんだろうか?
前後不覚約2名。今回に限り歴史学論争なし。そして、全員酩酊して帰った。恩師は喜んでくれただろうか。
――モリカン記(Zクラス)――
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