15年前の1993年、私は初めてベトナムを訪れた。
最初にホーチミン空港に降り立ったときの印象は空港といってもまだ軍用機の古いシェルターが目立ち、およそ国際線の離着陸する空港にはほど遠く軍用を兼ねているようであった。
市内に入る道路は50CCクラスのバイクであふれ、驚くことに1台の小型バイクに家族とおぼしき面々が4−5人乗りをしており、夜はどうやら涼をとる目的の家族ドライブの二輪車が走り回っていた。よく見るとミニバイクの多くは我々には懐かしい「ホンダ・カブ」に似通って見えた。聞くところ、ベトナム人はブランド指向、特にトップ・ブランド指向が強く、したがって正確なブランドネームは忘れたがホンダの二輪車が圧倒的人気であった。
ベトナム訪問は日本のある大手製紙メーカーと共同でベトナムで製紙原料チップの原木となるユーカリ植林事業プロジェクトを実現する目的であった。
当時、日本の製紙メーカーは原料に使う木材チップを北米・大洋州・南米から集中的に輸入していたが既に熱帯雨林などの森林破壊が国際的に問題視されていた。
チップを長期的に安定確保するには海外で製紙メーカー自ら植林事業を手掛ける必要があり、できれば距離の近いアジア・大洋州地域で、と言うことから大手製紙メーカーを先頭に商社や紙消費量を多い大手印刷会社や出版社などが積極的に参加するケースが出てきた。NGO活動が天然林を伐採して製紙原料に利用することは自然環境の破壊に繋がると厳しい反対運動を繰り返していたがこれらの海外植林
事業はグリーン環境保護に貢献できるとして注目され始めていた。
植林プロジェクトには大規模な植林適地を確保できることが肝要だが、既にベトナム戦争も終結し、社会主義国家ながら解放政策も手がけ始めたベトナムは土地が国有であり、植林適地の確保には政府の協力が得やすいとの期待があった。
ベトナム入り後、同国の地方各地の現地視察を繰り返し、土地情報を集めた。
現地視察では道もまともにないところにトラックで入り込み、突然のスコールに見舞われ、水が溢れ、乗っていたトラックの車輪が半分も沈むような苦行も味わった。
電話も無い地区の農民代表を訪ねたが途中で予定が遅れ遅れになり、到着した時は既に日が沈み、集会場はすっかり暗闇の中で、それでも我々に期待して蝋燭の火で待っていた人々には感動し、この人達のためにはなんとしても植林事業を実現しなければと心に誓うような経験もした。地方の住民には外資による新たな事業は当然大歓迎と思われた。
ところが実際に土地交渉を進めてみて大変な障害にぶつかった。国有地ゆえ中央政府との交渉が優先されると考えていたが、実際は各地方の人民委員会、さらに地方毎の共産党組織とも並行して交渉が必要であり、ハノイと地方を行ったり来たりさせられた。またようやく交渉で割り当てられた植林地が近隣住民により無断で農地などに利用されており、それらの土地が農民の既得権益のごとく扱われ、中央・地方の政府もその解決には驚くほど消極的であり、結果割り当てられた土地も目減り・入れ替えが日常茶飯事であった。やっとの思いで割り当てられた土地の中には高地の岩だらけの荒地や自費で道を開かなければ入り込めない閉ざされた土地などもあった。
それでもその後2年間ほどベトナムに通い、最後に対象として絞った地域が首都ホーチミン市とベトナム中部の都市ダナン市のほぼ中間に位置するクイニヨンという港のある町の周辺の土地であった。クイニヨンはその頃評判になった「フォレストガンプ、
一期一会」の小説で主人公がベトナム戦争に送り込まれ、最初に上陸した地として触れられたことがある程度で我々には全く未知の土地であった。約1万ヘクタールの土地が割り当てられた。
すべての準備を整え、1996年からいよいよ植林作業を開始した直後、とんでもない事故に遭遇することになった。力仕事に使っていた牛が地雷に触れ爆発した事故だった。
実はその土地は現地視察で何度も足を踏み入れた土地であった。よく無事であったと後ながら胸を撫で下ろしたものだった。その土地からは確か8個の地雷が発見された。
ベトナムではベトナム戦争の間に多くの地雷が地中に埋められたと聞いた。
それでも共同で取り組んだ大手製紙メーカーの海外植林実現への熱意は盛んで、自身の原料確保に加えて環境問題への取組姿勢も真剣そのものであった。
樹木の成長には同化作用によるCO2吸収固定化があり、地球温暖化対策にも直結することから、植林事業の温暖化防止への貢献度を「京都議定書」に盛り込む様大手製紙メーカーは働き掛けた。
ベトナムでの植林事業は後輩達に引き継がれ、その後10年間でほぼ計画した土地での植林が実行された。その期間に労働力の協力を願った周辺農民に彼らの土地にも植林を促すため、ほぼ6千ヘクタール分の苗を無償提供している。
我々の手掛けた植林事業や他の海外企業による同様の事業に加え、ベトナム農民が植えた植林も増え、それらの植林事業から供給される原木によるチップは日本に73万トン(2006年)輸入されている。チップ輸入量全体の5%強となる。
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