八八 現行盗と非現行盗
ローマの「十二表法」では、盗罪を分って現行盗[#「現行盗」に白丸傍点](Furtum manifestum)および非現行盗[#「非現行盗」に白丸傍点](Furtum nec manifestum)の二種としている。
この現行、非現行の区別の標準については、ローマの法曹間においても、既に議論が岐《わか》れて、種々の異説が存したことであって、第一説[#「第一説」に白丸傍点、以下傍点]は、盗取行為をなしつつある間に発見逮捕せられる場合が現行盗、盗取行為終了後に発覚したものが非現行盗であるとし、第二説[#「第二説」に白丸傍点、以下傍点]は、現場において発覚したと否とに依って区別し、第三説[#「第三説」に白丸傍点、以下傍点]は、犯人が贓品を目的地に運搬し終るまで発見せられなかったことを非現行盗の要件とし、第四説[#「第四節」に白丸傍点、以下傍点]は、犯人が偶《たまた》ま盗品を所持している際に発見逮捕せられた場合には、これまた現行盗であるとしておった[#傍点終わり]。そして、ガーイウスは第二説を採り、ユスチニアーヌス帝は第三説を用いたが、要するに、盗犯を現行中[#「現行中」に白丸傍点、以下傍点]の発見逮捕[#傍点終わり]と現行後[#「現行後」に白丸傍点、以下傍点]の発見逮捕[#傍点終わり]とを標準として分類し、近世の法律における如く、盗の方法に依って強盗、窃盗と分つ分類法を用いなかったのは注目すべき点である。
しかしなお一層注目すべきは、現行盗と非現行盗と、刑罰の軽重[#「刑罰の軽重」に傍点]が非常に異なる事である。即ち現行盗の犯人は、もし自由人ならば笞刑《ちけい》に処した後《の》ち被害者に引渡してその奴隷となし(いわゆる身位喪失の刑)、奴隷ならば先ず笞《むちう》った後ちこれを死刑に処する。しかるに、非現行盗にあっては、犯人をして盗品の価額の二倍の贖罪金を被害者に支払わしむるに過ぎないのである。同一の犯行であって、単に[#以下傍点]逮捕の時の如何[#傍点終わり]に依り、刑にこれほどの軽重を設けるのは、如何なる趣意であるか。近世の思想をもってしては、到底了解し得られないところであるが、[#以下白丸傍点]法律なるものは私力が公権力化するに依って発生するものであるという法律進化の理法[#白丸傍点終わり、以下傍点]をもってすれば、この難問も釈然氷解するのである[#傍点終わり]。けだし初期の刑法は、個人のなすべき復讐を国家が代って行うという観念に基づいて発生したものである。そして刑法なる国法を設ける目的が、私闘を禁じて団体員をしてその団体の公権力制裁に依頼せしむるというにあるならば、その公権力制裁の方法は、[#以下傍点]個人をして自力制裁を行いたいところを耐えて、国家の刑罰をもって満足せしめる程度[#傍点終わり]のものでなくてはならぬ。どうしたら個人が満足するか。恐らく自力制裁の場合におけると[#以下傍点]類似の方法程度[#傍点終わり]をもって犯人に苦痛を与えたならば、被害者を満足せしめるに足るであろう。今、国法未だ存せずして盗人が被害者の私力制裁に委《まか》せらるる場合を想像せよ。被害者がもし盗人を現場で捕え、または追掛けて取押えたならば、被害者は怒に委せて盗人を乱打し、遂にこれを殺戮《さつりく》するか、または奴隷として虐使するのが、殊に原始時代にあっては普通の人情であろう。また盗人が、例えば盗品の衣類を着用して通行する際に被害者に発見せられた場合には、同じく後日の発覚であっても、他の場合よりは被害者の憤怒が遙かに烈しいであろう。これに反して、犯人が後日になりて逮捕せられたならば、被害者の感情は普通の場合では既に大いに和らいでいることであるから、あるいは叱責の上謝罪金を出さしめる位で済むかも知れぬ。故に原始的刑法の盗罪に対する公権力制裁においては、この点を斟酌《しんしゃく》して、相当の区別を設けるのでなくては、もって私力的制裁に代わるに足りないのである。[#以下傍点]被害者の血の冷熱を量刑の尺度とする[#傍点終わり]ローマ十二表法の一見奇異なる規定も、むしろ法律進化の過程における当然の現象というべきである。
---入力者による注意書き・その他---
底本:
岩波文庫「法窓夜話」 穂積 陳重 著 1980年1月16日第一刷発行
入力・校正・ファイル作成者:
高橋 真也 (t-shinya@mbox.kyoto-inet.or.jp)
公開日:
1999年10月1日
底本との異同:
底本にあった内容がいくらか抜け落ちている。以下に箇条書きする。
1.頁数の数字(ノンブル)
2.一部(節のタイトルなど)の漢数字がゴシック体であること
3.ページの上部に横書きされていた節の題名
4.挿画・写真
5.外国語の日本語訳(著作権保護期間外のものを除く)
6.文庫編集に当たって付されたと推測される注釈
7.解説文
4.、5.、6.、7.については著作権保護の立場より省略した。
ただし、ルビについては知的営為による産物ではあるものの、読者の便宜を考え、これを採用した。
また、底本では傍点、白丸傍点としているところは、それぞれ下線、青字に下線とした。
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