刑事訴訟法を改正する法律案の提案埋由 ――第二國會における法務總裁の説明―― 只今上程に相成りました刑事訴訟法を改正する法律案の提案理由について御説明申し上げます。 新憲法は、各種の基本的人権の保障について格別の注意を拂つているのでありますが、就中、刑事手続に関しましては、わが國における從來の運用に鑑み、特に第三十一條以下数箇條をさいて、極めて詳細な規定を設けているのであります。しかも、これら新憲法の規定は、英米法系的色彩の濃いものでありまして、これを完全に実施するためには、大陸法系的傳統の下につくられた現行刑事訴訟法には、根本的な改正を加える必要があるのであります。更に、また、新憲法は、第六章におきまして、司法権の独立を強化し、最高裁判所に違憲立法審査権や規則制定権を與えると共に、その構成にも特別の配慮を致しているのであります。そのため、あらたに、裁判所法や檢察廳法の制定が必要とされたのでありますが、この方面からも、現行刑事訴訟法には、幾多の改正が免れないことになつたのであります。 政府におきましては、さきに、臨時法制調査会を設け、憲法附属の他の諸法律と共に、刑事訴訟法改正法律案の要綱についても、審議答申を得まして、これにその後の研究の結果を加え、昨春、一應の成案を得るに至つたのでありましたが、色々の事情でそのままこれを提案する運びにならなかつたのであります。それでやむなく、新憲法の要求する最小限度の手当をするため、この案の中から要点を拔き出して、應急的措置を講じて、新憲法施行の日を迎えた次第であります。これが即ち日本國憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律でありまして、殊に犯罪搜査の点について一大変革をもたらしたものであります。以下、簡單に應急措置法と略稱いたしまするが、新憲法下の刑事手続は、この應急措置法と現行刑事訴訟法とが二者一体となつて、その下に運營されてきているのであります。政府におきましては、その後も引き続き研究を進めてまいり、昨秋、最高裁判所の規則制定権との関係等をも考慮に入れ、さき程申し上げました案に更に修正を加えた案を完成したのでありました。而して、今回、更にこの案に対して、有力な学者、裁判官、檢察官、弁護士等の意見を参酌し、根本的な修正を加えまして、最終案を決定し、國会に提出し、ここに御審議を受ける運びになつた次第であります。 本案は、御覽のように、七編五百六箇條から成る極めてぼう大なものであります。これを現行刑事訴訟法に比較しますと、編別、章節の区分は、大体後者にならつているのでありまして、大審院の特別権限に属する訴訟手続及び私訴の二編がなくなり、第一編総則で、被告人訊問の章がなくなり、あらたに証拠保全の章が設けられ、又、第二編第一審で、予審の章がなくなり、第三章中に証拠の節があらたに加えられた外、一、二章節を併せたものがある程度であります。條文の数は、附則はこれを別として、九十七箇條を減じましたが、これは私訴等を削つたことや、手続の細部的のもので裁判所の規則にゆずつたものがあるためであります。 次に、本案の内容にはいつて、御説明申し上げることにします。本案は、長年慣れ親しんできた大陸法系的刑事手続と新憲法にあらわれた英米法系的刑事手続とを渾然調和させることによつて、あたらしい刑事訴訟法の確立をめざしたものでありまして、改正点は、極めて多岐にわたり、その一つ一つが何れも重要なものを含むものでありますが、その一々の詳細は別に政府委員から説明させることに致しまして、私からは、特に重要と思われる四つの点について申し上げることにしたいと思います。 まず、第一の点は、公訴提起の方式の改正であります。從來は、公訴の提起と同時に搜査書類及び証拠物を全部裁判所に提出していたのでありますが、本案では、起訴状には、裁判官に事件について、予断を抱かせる虞のある書類その他の物を添附したり、又はその内容を引用したりしてはならないことに致しました。從來の方式では、どうしても、裁判官は、公判廷に臨み被告人に面接する前に、記録を調査し、事件の概貌を頭に入れることによつて、予断を抱き易い傾がありますので、今後は、公判廷に臨むまでは、裁判官は、できるだけ白紙の状態におき、公判の審理によつて初めて事件の心証を得るようにさせたのであります。これによりまして、眞に公平明朗な裁判が確保されるわけであります。なお、本案の考え方としましては、公訴の提起は、裁判所に対し審判の範囲を限定すると共に、被告人のために防禦の範囲を明確にさせることをも目的とするものであります。この後者は、從來、わが國ではその重要性が十分意識されていなかつたのでありますが、本案では、この方面をも極めて重視しているのであります。從いまして、公訴の提起は、口頭によることを許さず、必ず書面によることとし、且つ起訴状に公訴事実を記載するには訴因を明示してすべきものとし、罪名を記載するには罰條を示すべきものとし、起訴状は、これを必ず被告人に送達すべきものとし、又、公訴事実の同一性を害しない限度で起訴状に記載された訴因又は罰條の追加、撤回又は変更を許すが、この場合には、被告人に十分な防禦の準備ができる余裕を與えるべきこと等を定めているのであります。これらの点は、わが國の刑事裁判の実務の上においても、被告人の人権を保障する面においても、眞に画期的のものであろうかと思います。 第二の点といたしましては、公判の審理及び証拠に関する部分の改正であります。前述の公訴の提起の方式の改正と表裏しまして、本案では徹底的な公判中心主義が採用されることになります。殊に、後で述べまする控訴審に関する改正と相まち、第一審の公判が名実共に全刑事手続の中心となるように構想されているのであります。この部分に関する改正として特に重要なのは、一旦指定された公判期日の変更には、愼重な手続を経なければならないものとし、審判の迅速化をはかり、又、從來のような被告人訊問の方式をやめ、被告人に默祕権を認め、唯、被告人が任意に供述する場合にのみその供述を求め得ることとし、被告人の当事者的地位を高め、又、長期三年を超える罪にあたる事件については、弁護人がなければ開廷できないものとし、このような事件につき弁護人がないときは國選弁護人を附するものとし、被告人の保護を一層厚くしたこと等であります。なお、弁護人は、拘禁中の被告人と官憲の立会なしに面接等をすることができることになつている点も御留意願いたいと思います。次に、証拠の点でありますが、公判廷における自白であると公判廷外の自白であるとを区別せず、自白だけを唯一の証拠として有罪の認定をすることができないものとし、從來のような自白を偏重する傾向を是正し、又傳聞証拠を極度に制限し、例えば搜査官憲の調書やこれに代る証言等は、例外的に、極めて限られた場合にのみ証拠となし得るものとし、その場合を詳細に規定し、証拠の一節を設けた次第であります。なお、いはゆるアレイメントの制度は、被告人の保護に欠ける嫌があるのでこれを採用せず、又、交互尋問制は、なお、研究を要すべき点がありますので、明文上はこれを取り上げす、唯、運用の面でこれに近い方式が採り得るようになつていることを附言しておきます。 第三の点として、審級制度の改正について申し上げます。まず、控訴審を從來のように覆審としないで、事後審としたことが一番大きい改正であります。從來は、御承知のように控訴審では、事件を最初から調べ直して、あたらしい判決をする構造になつていたのでありますが、本案のように、第一審の手続が極めて丁重になり、且つ、被告人の保護の方法も十分厚くなつた以上、控訴審で、從來のように覆審することは実際上の見地からも不可能に近いことであり、且つ、被告人の保護のためにも絶対不可欠ともいうことができないので、本案では、覆審の制度はやめ、事後審の制度としたのであります。即ち、控訴審は、專ら、第一審の判決の当否を批判する審級とし、原判決に不当な点があれば、それを破棄し、原則として、原審に差し戻し、調べ直させることにしたのであります。なお、控訴の申立をしたときは、別に控訴趣意書を提出すべきものとし、その方式を詳細に定めて、原判決の攻撃すべき点を明らかにさせることにしたのであります。尤も、控訴審では、控訴趣意書で攻撃してきている点以外の点でありましても、いやしくも破棄の事由にあたるものを発見したときは原判決を破棄し得ることになつている点に御留意願いたいと思います。次に、上告審は、最高裁判所のみがこれを取り扱うこととし、上告理由は、憲法違反があること若しくは憲法の解釈を誤つたこと又は判例違反があることに限り、以て上告審の主たる任務が憲法問題の裁判と法令の解釈の統一にあることを明らかにすると共に、別に、最高裁判所は、法令の解釈に関する重要事項を含むものと認められる事件については、特別に上告審として事件を受理することができるものとし、又、量刑不当、事実誤認等があつて原判決を破棄しなければ、著しく正義に反すると認める場合にも、原判決を破棄することができるものとし、以て最高裁判所が具体的事件について妥当な解決をはかり得る途を拓いたのであります。この最高裁判所の権限は、現行刑事訴訟法と應急措置法との中間をゆくものとして、適切なものであろうと思います。なお、刑事につきましては、控訴審は、全部、高等裁判所、上告審は最高裁判所で取り扱うものとする前提の下に、本案はできていることを附言いたしておきます。 最後に、檢察官と警察官及び警察吏員との刑事訴訟上の関係について申し上げます。申すまでもなく、警察は、警察法の制定によりまして、当然犯罪搜査の職責を負うことになり、警察官及び警察吏員は、從來のように檢察官の補佐又は補助としてではなく、独立の主体として、犯罪の搜査をする建前になつたのでありまするが、なお、檢察官との関係につきましては、別に法律で定めるところによるとされておりまして、これは、兩者の関係があたらしい刑事訴訟法で終局的に確定されることを予定していたのであります。本案においては、この点につきましては、まず、刑事訴訟法上の概念として、從來の司法警察官吏に相当するものとして司法警察職員、司法警察官に相当するものとして司法警察員、司法警察吏に相当するものとして司法巡査の用語を用いることとし、警察官及び警察吏員は、他の法律又は國家公安委員会、都道府縣公安委員会、市町村公安委員会若しくは特別区公安委員会の定めるところによつて、司法警察職員として職務を行うものとし、檢察官と司法警察職員とは、搜査に関し互に協力すべきものとしているのであります。而して、警察官は、從來のように自己を補佐し又は補助する者に対する指揮ということではなく、独立の搜査主体たる司法警察職員を予定し、これに対し、公訴を実行するため必要な犯罪搜査の重要な事項に関する準則を定めるための一般的指示権、搜査に協力を求めるため必要な一般的指揮権及び自ら犯罪を搜査する場合において必要あるときの搜査の補助をさせるための指揮権の三種の権限を認められ、これに從わない場合には、懲戒又は罷免の訴追をすることができるものとされているのであります。檢察官と司法警察職員たる警察官及び警察吏員の刑事訴訟法上の関係は、このように定められたわけでありますが、これは、警察法の理念にも背馳せず、且つ、わが國の実情にも適合し、尤も妥当なものと考えられるのであります。 以上簡單ながら刑事訴訟法を改正する法律案の最も重要と思われるところを略説いたした次第でありますが、何分、先程も申し上げましたように、本案は、基本的人権の保障を強調する新憲法の附属法典として尤も重要なものの一つであり、國内的にも國際的にも注目の的となつているものであり、極めてぼう大、且つ、あらゆる点で画期的なものを含んでいるものであります。何卒愼重御審議の上、速やかに御可決あらんことを望みます。
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