12月8日
今日の午前、女子5人のうち3人が帰国した。非常に頼り甲斐のある女性もいたために今後の朝食が憂慮される男性陣であった。
本日午前は裁判所傍聴であった。ホーリー氏の事件の続きである。この事件について簡単に説明しておくと、車に乗っていた4人のうち誰が外に向かって発砲したかということが争われている事件である。この日の昼食はダウンタウンプラザと呼ばれるショッピングモール内のファーストフードで済ませたような記憶がある。
午後は司法取引を見にjail(=逮捕されて拘置される場所)に行った。ここで司法取引が成立すれば被疑者(=逮捕されて拘置されている人)は裁判を受けずに、直接、刑を受ける事になる。これがアメリカ司法の最大の特徴でもあり、9割方このような形で事件が処理される。さすがに雰囲気は重々しかった。傍聴席には親族らしき人もちらほらいる。ただ、余り被疑者に反省の色は見られなかったように感じる。なんか胡散臭い場所であった。
ちなみにこの日の夕食はまたもTOKIOであった。ここのウエイトレスは日系人が多いので日本語を話せるのがありがたい。ただ、天ぷらの揚げ方は非常にヘタクソで、えびの4倍くらい衣がついている。板前にはもっと修業せよと言いたい所である。
|
12月9日
この日は男性3人・女性2人が帰国した。これで残るは8人。全員ヤロウという、非常に華やかさに欠ける団体となってしまった。
5人が出発する前、皆で朝食を優雅に食している時、突然ゼミの後輩が階段を駆け降りてきた。
「先生、小便のトイレの元栓が壊れてしまって・・・」
「で、大丈夫なのか?」
「かなりやばいです」
慌てて駆け上がってみると、トイレは床上浸水状態で、二人の後輩がまるで船の甲板を掃除しているかのように、水を外に出すまいとモップで水を中へ中へと押し戻していた。先生はユースの人と交渉に入り、僕はユースの人に頼んでバケツを借りるべく1階へと駆け下りた。でも僕には1つの不安があった。
「バケツって英語で何て言うんだっけ?」
しかしバケットと言ったら通じたのでバケツを借り、その後は必死に汲み出し作業を行ない、雑巾がけをした。必死の復旧作業の結果、ユースの人に「Good Job!」と褒められるほどにピカピカになったが、今日一日これで何もする気がしなくなった事だけは確かであった。
しかし予定は予定と割り切る先生の指揮の下、今日の午前中は、ホーリー弁護士が担当している事件を引き続き傍聴。朝の疲れでかなり眠かった。この日全ての手続が完了し、後は陪審員の判断が下されるまで時を待たなければならない。ホーリー弁護士は「だいぶ減ったねえ。優秀な連中が最後まで残ったというわけか」と言っていたが、僕らには皮肉に聞こえてしまったのは、自分に自信がないからか、それとも勉強していない事から来る負い目からだろうか。
午後は弁護人事務所に行き、弁護士事務所を見学。ここでも歓待を受け、その後連邦地方裁判所に行った。今まで行っていたのはカリフォルニア州の裁判所で、この時行ったのはアメリカ合衆国の裁判所である。連邦地方裁判所は恐るべき概観を誇り、まるでホテルのようであった。少なくとも僕が就職活動中に入った大蔵省よりも圧倒的に立派であった。帰りは珍しく雨が降り、濡れながら帰る事になってしまった。
大分メンツも減ったので、今日の夕食は自炊をした。先生はかなり張りきっていて、食事もそれなりに美味しかった。よかったよかった。でも疲れた一日だった。
|
12月10日
明日の午前には出発するので、今日が実質的に最終日である。昨日のようなアクシデントもなく無事に朝食を済ませた我々は、午前中に連邦地方裁判所で傍聴し、午後にはバスでロースクール(Law School)へと向かった。きちんと書くと、Univesitiy of California,Davis(カリフォルニア州立大学・デービス校)の法律学大学院に行ったということになろうか。後藤先生はここに現在留学しているのであり、ゼミで生徒を教えたりもしているらしい。あちこちで「Goto is the best professor」と言われ、先生も無表情ながら満更でもなさそうな風情であった。大学は非常に設備が充実しており、こんな設備があったら僕だって勉強するわいと、一橋の設備の貧弱さを本気で怨んだものである。
先生は一旦下宿に戻りたいとの事で下宿に戻ったので、その間僕らは各自大学生協で買い物などする事にした。こちらの大学生協はとにかく充実しており、ボーリング場やゲームセンターも在るし、パソコン・衣類なども豊富である。もちろんその分大学外には何もない事を考えると、日本とどっちがいいのかは疑問である。
夕食は先生の友人であり、デービス校で教鞭を執っているフィーニー教授に招かれたのでそちらで御馳走になった。広い家であった。しかも独りで住んでいるらしい。しきりに薦められるので、ニンジンを生のままで食べていた。ニンジンを生で食べるのはいいがもう少し細く切って欲しいものである。フィーニー教授は非常にジェントルな紳士で、僕も将来こんな風にスマートに人と接したいものだと感じたのであった。
帰りはユースまでバスで帰るわけだが、わずかの差で乗りそこね、結局寒空の中一時間も待つ事になった。大学生協で購入したばかりのウインド・ブレーカーがすぐに役になってしまった。皆、バスの中で疲れ果てて寝てしまったと言う事は言うまでもない事である。
12月11日
今日は帰国である。ユースなので掃除をしなければならず、その為皆いつもよりも早く起きた。こちらの掃除機はとにかく巨大で、馬力はあるが重いし小回りが利かない。何処の会社がこんなものを作るんだと思って見てみたら、日本のS社であった。何とか掃除も終わり、ユースに別れをつげ、先生と一緒にバスに乗り込んだ。空港で僕らは下り、先生はそのままバス乗ってデービス校へと戻っていった。
行きとは逆に、サクラメント→サンフランシスコ→東京の順番である。さしたる事故もなく無事に東京に着けたので何よりである。成田空港でH氏は、JR線の切符を買って改札を通ったにもかかわらず、京成線の方が早いと知ると「俺は京成線があるということなんか知らんぞ」と激怒し、無理矢理払い戻して京成線に乗り換えていた。まあ無事であればこそこういう事も出来るのだと思うとちょっと微笑ましかったりもするのであった。(完)
|
|