戦争体験者・寄稿文募集Click

十二月クラブ学友の戦争体験とホームページ
            十二月クラブ・ホームページ委員会 山崎 坦(昭16学後)


 十二月クラブ・メンバーは戦争体験者であり、その多くは戦闘体験者でもあります。そして学友35名は、草生す屍、水漬く屍となり、其の名を佐野書院の石碑Clickに記されました。[戦没学友名簿]Click

 終戦後復員してから卒業30周年記念文集に、そして又その後の40周年記念文集「波濤」に、50周年には「波濤第二」に、60周年にはクラブ通信特集号に、折々に残存の大多数の学友が、ある者は戦争体験、あるいは戦闘体験の一文を投稿しております。



 所謂 学徒出陣といわれるのは昭和18年卒業の方たちです。
 ガダルカナル敗退、アツツ島玉砕で戦局が芳しくなくなったころで、戦意高揚のために派手に出陣式が行われました。今でもマスコミが取り上げます。
この所謂 学徒出陣は第三次のもので、最初に、私共の年次の学友達が
昭和17年2月に粛々と兵役に服しました。

 ガダルカナルでは3組の熊谷長君が機関銃隊長で戦死しています。
 熊谷君とは区隊は違いましたが、豊橋予備士官学校でご一緒でした。
 アツツ島の隣の「キスカ島撤収作戦」Clickには5組の和田篤君が参加しておりました。和田君の手記です。

 大学は昭和17年3月卒業予定でしたが、兵役免除猶予が急遽排除されて、卒業が3ヶ月繰り上げられ昭和16年12月27日になりました。
 後に同窓会名を十二月クラブと名づけた由縁で、即ち12月に卒業した年次は私共だけだからです。
 一般に男子は二十歳に徴兵検査を受けて兵役に服する義務がありました。
大学の徴兵延期は特例であったのが、特例停止となったわけです。

 卒業記念写真、免状、名簿(319名)が手許にありますが、十二月クラブ会員は352名です。

 このころ日本は戦域を広げ、兵力が必要でしたから、大学卒業生を小隊長として1人に1個小隊を指揮させると言うような計算だったようです。 当時の大学生は1%に過ぎず、エリートだったのです。
 初年兵教育、幹部候補生教育、予備士官学校の速成将校指揮官教育が行われました。中に志願者から海軍主計、陸軍主計に選ばれたものも多数おりました。候補生には甲種(将校)、乙種(下士官)とありましたが、学校の配属将校の内申で乙種にされた人もありました。

 12月卒業すると、17年1月一ヶ月だけ、決まっていた就職先の企業に出社しました。 2月に入営し、それから昭和17年一杯の教育訓練の後、昭和18年に新規に編成された部隊に、小隊長として実戦配属されて、殆ど全員が出征することとなりました。

 以上は私共同期の殆ど全員が、同じように学外に踏み出した第一歩でした。

 ここから各人の運命が300余に分かれていったのです。



 十二月クラブメンバーは352名、 戦死者35名、卒業60周年・平成13年(2001年)には残存142名に、平成21年(2009年)7月には70名となり、全員齢
90を越えました。



 このたび一橋いしぶみの会で戦争体験文を募集される趣旨(募集文リンク)Clickを如水会々報(2009・07NO.948)で拝見、ご趣旨に賛成であります。



 実は先に同様な趣旨で十二月クラブではホームページ(HP)を作成したわけであります。
 平成12年(2000年)7月12日十二月クラブ月例会に山崎坦(5組)が十二月クラブ・ホームページ作成の提案をしました。
 故韮澤嘉雄君(5組)の賛成演説がありました。
 概ねのメンバーの賛同を得て十二月クラブHP委員会 Clickを立ち上げました。

(後に韮澤君は如水会員の電子メール生涯アドレス制創設費用の寄付をしております。)

 十二月クラブは一橋大学HP、如水会公式HPに続いて、JFNの中康二君
(H4)の手引きで2000年12月27日にHPを開設、更に小芝繁君(S39)Click、高橋治夫君(S48)、渡邉桃伯子君(S55)等の協力を得て充実したHPを平成
13年(2001年)12月12日卒業60周年記念祝賀会にスクリーンに投影披露しました。

 HP内容は上記文集全文、アルバム等2770頁程に相当しますが、60MB程のサイズでした。
 以後9年間に更に収録を加え、2009年には400MBを越えました。
12吋DVDディスク1枚の容量は4.7GBですから、十分の一以内のサイズです。

 HPは、かくも膨大な内容のものを一枚のディスクに収めて保存することも出来ますし、末永くユビキタスに(地球上遍く、何時でも)(時間空間0に)直ちに見ることが出来ます。
ただ見たいものを容易に取り出せるように、検索索引を充実させる必要があると思っております。



 十二月クラブHPには戦死者自身の記録はありません。
 学友の追悼文、肉親の方々の追悼文によらざるを得ないわけであります。
 追悼文も収録しました。例えば

追悼・天谷幸和君(5組)・・・和田一雄(5組)
追悼・松井孝夫、小池真登(5組)・・・・松井登美子(松井孝夫の姉)
Click

  前記の文集に収められた体験記は、不思議に命ながらえて、帰還、復員できた学友達の書いたバイブルです。末永く読み継がれることを祈ってやみません。

註:下線部分をClickすると全文が出ます。