最終更新日:1999年5月5日
この文書に関する一切の権利は一橋大学鉄道研究会が保有します。無断複製・転載を禁じます。
今から1年前の1997(平成9)年10月、北陸新幹線の高崎−長野間が開通した。この北陸新幹線は、いわゆる整備新幹線として初めて開業した路線である。これまでの東海道・山陽・東北・上越新幹線、そしてミニ新幹線として開業した山形・秋田新幹線とも異なる性質の路線である。また、開通時には並行在来線が廃止になるなど、これまでにない事象も見られた。
ここでは、これまでの新幹線のあゆみを中心に概説していく。
東海道新幹線が開業したのは1964(昭和39)年。当時の東海道本線は旅客、貨物ともに多数の列車が運行されていて、輸送力の強化が急務となっていた。輸送力強化の手段としては、在来線の複々線化や新規路線の建設など、いくつかの選択肢が考えられていた。東海道新幹線は、そのような中で誕生した路線である。
この完全に新規格の新線=「新幹線」は、その有効性が疑問視されたこともある。世界的に見れば鉄道は衰退傾向であったし、とりわけ将来性がないとされていた旅客部門に特化した高速輸送は、いずれは航空機に取って代わられる、と見られても仕方はなかった。しかし、東海道新幹線は着実に輸送力を伸ばし、東京・大阪を結ぶ大動脈に成長した。鉄道による高速輸送が、実用的であることが証明されたのである。
経済の成長とともに、太平洋ベルトの西の方でも在来線の輸送力増強が求められた。1972(昭和47)年には山陽新幹線が岡山まで開業、さらに1975(昭和50)年には博多まで開業した。「輸送力の強化」のみならず、新幹線は沿線各都市間の結びつきを強め、新たな輸送需要も創出した。
「新幹線は有用である」ということで、各地で新幹線を建設してほしいという声が高まる。そんな中で東北・上越新幹線が着工、1982(昭和57)年6月に東北新幹線の大宮−盛岡間が、同年11月に上越新幹線の大宮−新潟間が開業した。これらの新幹線は、これまでの東海道・山陽新幹線とは少し様子が異なる。東海道・山陽が主に「輸送力強化」を目的として建設されたのに対し、これら東北・上越は、むしろ沿線の新たな開発に重きが置かれていた。実際、並行する在来線は決して「パンク寸前」というわけではなかったし、開業後の新幹線も本数はかなり少なかった。
ところがいつの間にか、この新幹線は東北・上越地方になくてはならない存在となった。仙台や新潟は東京と密接に結ばれ、日帰りが当たり前となった。今まであまり考えられなかった「対東京」ビジネスが増加した。我々鉄道研究会は5年前にも新幹線について研究を行っているが、その頃と比べてもさらにこれらの新幹線の重要度は増しているだろう。まして、10年前に行った研究の時とは隔世の感がある。
東海道・山陽も当然沿線地域の開発に貢献したのであるが、もともと沿線地域はある程度開発されていた。東北・上越の場合、「開発」が前面に押し出されていたと見てよいだろう。しかもこの「開発」は、沿線各地域をどれだけ東京と強く結びつけるかに重点が置かれていたといえる。
地域開発に交通の整備が不可欠なことは当然といえる。では、その中でなぜ新幹線が求められるのだろうか。高速道路や航空路(空港)だけではだめなのだろうか。
これからの研究の中でも詳しくふれる(第2部第1章「交通の選択」参照)が、新幹線には、高速性・大量輸送力・定時性・外部不経済の低さ……などの長所がある。しかしながら建設費が膨大で、ある程度以上の需要が見込まれなければならない。高速道路や空港が整備されている(あるいは整備される予定がある)地域で、さらに新幹線も必要な地域は限られているのではないか。
実際のところ、どの地域も「三つともほしい」のであろう。高速道路(高規格の自動車専用道路)が全国津々浦々まで整備されようとしている現在、高速道路がないということはそれだけでマイナスである。空港があるということも、それなりのステータスであろう。そして、新幹線は「東京に結ばれている」という安心感を提供している。航空機は鉄道ほど気軽に乗れない(そのイメージもだいぶ変わったが)が、新幹線なら駅に行ってすぐに乗れる。いつでも好きなときに東京に行けるのである。路線図を見ても新幹線は目立つデザインで示されている。日本の中心につながっている、つまり、幹のようなところに自分の地域が位置するという安心感である。
東京に直行する新幹線が欲しい、ならば新幹線を在来線に乗り入れされよう、ということで建設されたのが山形新幹線(1992(平成4)年開業)、秋田新幹線(1997(平成9)年開業)である。これらの「ミニ新幹線」は、在来線の線路幅(1,067mm)を新幹線の線路幅(1,435mm)に広げ、新幹線に直通する線路を設けて直通用の車両を運行している。線路の幅を広げただけで、基本的には在来線の規格のままであるから、踏切は残っているし、きついカーブもある。だから、「本物の新幹線」区間では200km/h以上で走行している車両も、ミニ新幹線区間では最速でも130km/hしか出せない。ミニ新幹線化によるメリットは、すこしの時間短縮と、乗り換えの解消である。それでも、両方の新幹線は地元に大いに歓迎され、在来線特急時代に比べるとはるかに利用が増加、山形新幹線は当初の6両編成が7両に増やされ、秋田新幹線も近く5両から6両になる。
しかし、この新幹線は対東京輸送を便利にすることが主目的であるから、線内需要は大して伸びていない。まして、同じ線路を走っている普通列車の本数は相変わらず少ないままである。沿線地域間の交流を活発にする、という役割は当初から期待されていなかったのだろう。
在来線の路線を利用するミニ新幹線に対し、東海道・山陽・東北・上越新幹線のような高規格(踏切がなく、カーブも緩やか)の新線を建設する新幹線を「フル規格」と呼ぶ。建設費が高いが、大幅なスピードアップが期待できる。
地元の熱い要望に押され、さらに冬季オリンピック開催も後押しして1997(平成9)年に北陸新幹線(長野新幹線)が開業した。在来線時代は3時間近くかかった東京−長野間が、最短79分で結ばれるようになった。在来線時代も特急が30分おきに走っていた区間であるから、それなりの需要はあるだろう。心配された「オリンピック後」も、まずまずの利用があるらしい。
しかし、新幹線開業と同時に、併走する在来線が放棄された。峠越えで特殊な設備を要した横川−軽井沢間は、維持費が膨大であるのに対して利用が見込まれないので廃止、高崎側は横川で終点となり、軽井沢−篠ノ井間は第三セクターのしなの鉄道に移管された。
長野や上田、軽井沢から東京への交通は飛躍的に便利になったが、以前より交通の便が悪くなってしまった地域もある。たとえば横川−軽井沢間の行き来はバスでしかできなくなってしまった。この区間をまたいで在来線を利用していた人々の受けた影響は大きい。また、今までは全ての特急列車が停車していた小諸も、新幹線のルートから外れたことで、東京に乗り換えなしで行くことができなくなった。
新幹線開業に伴って、沿線都市間輸送よりも東京との結びつきが重視されるようになったといえるだろう。
今回の研究では、新幹線という高速輸送機関が日本の地域開発とどのように関わってきたかを、そしてどのように関わっていくべきかを見ていきたい。
「地域開発と交通整備」の目次に戻る
「一橋祭研究のご案内」に戻る
トップページに戻る
この文書に関する一切の権利は一橋大学鉄道研究会が保有します。無断複製・転載を禁じます。