第1部 開発・二つの視点

最終更新日:1999年5月18日


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第2章 「地方」からみた高速交通機関整備

この章では、これまでの高速交通機関の整備が地方部(注1)からどのように捉えられるか、そして地方部における高速交通機関整備の意義、地方が取るべき方針について述べていく。

1. 高速交通機関整備の歴史と地方

わが国では東海道新幹線と名神高速道路が相次いで完成した1964(昭和39)年をもって本格的な高速交通機関の時代が到来したとすることができよう。当時すでに新幹線・高速道路の建設に否定的な意見は少なくなかった。無用論、時期尚早論そして採算性への疑問が中心であった。しかしまだ「地域エゴ」という声はなかった。それは東海道が日本の最重要ルートであるという国民的合意がすでに形成されていたからであろう。高度成長期に入り日本全国の経済的な一体化が急速に進んでおり、太平洋ベルトさらに言えば東京を頂点とする階層的な社会経済システムが構築されていた。よって東海道に高速交通機関を整備することで沿線地域にとどまらず広い範囲に波及効果が及び得ることになり、そこから「地域エゴ」という考えは生じてこない。建設自体に否定的な意見があろうとも、仮に建設するならば東海道であろうことは間違いなかったのである。

経済の高度成長による交通需要の激増によって新幹線・高速道路の利用は順調に伸び、次を造ろうということになる。新幹線は1972(昭和47)年に岡山へ、1975(昭和50)年に博多まで完成する。しかし建設効果が相対的に小さくなっていくことも確認されていった。岡山や博多は東海道から少し西へ偏っており、東海道新幹線を建設した時よりも当然波及効果の及び得る範囲も限定されてしまうことになるのである。そのため「西ばかりでなく北にも造ってくれ」といった「地域エゴ」とされるような主張が出始める。新幹線だけではなく高速道路も空港も「自分たちの地域にも造ってほしい」といった意見が同様に高まってくる。

そのような地方の要望に応える形で1967(昭和42)年に自民党からはじめて全国新幹線網構想が発表され、1971(昭和46)年には東北・上越・成田(後に建設断念)が着工、1973(昭和48)年には現在のいわゆる整備新幹線にあたる5路線の整備計画が決定された。このころになると「地域エゴ」との批判が高まっていた。一連の新幹線建設の決定に地方選出の政治家が深く関与していたからである。

高速道路・空港の整備はわりあい着実に進んだとの印象が強い。高速道路は路線別の収支がさほど話題にならず、空港は収支といった話はないに等しかったうえ航空路線の収支はあくまでも航空会社の問題であるということもあったのだろう。しかし膨大な建設費に加え、国鉄の赤字問題(注2)に絡めて開業後の採算性を疑問視する声が大きかったため、「地域エゴ」と見られることが特に多かった新幹線は東北・上越以降、冬季オリンピックの開催にあわせて建設の国民的合意が一応得られた形の北陸(長野)新幹線以外は、本格着工が見送られてきた(注3)。バブル崩壊以降は公共事業予算の削減が求められるようになり、整備新幹線の建設先送り、地方空港新設の原則凍結などで地方部の高速交通機関整備はいっそう厳しい状況になっている。

2. なぜ「地域エゴ」なのか

高速交通機関の整備を進めるうえで、新幹線や高速道路、空港などは国の資金が直接・間接に投入されて建設される。本来、国の資金は国民に平等に還元されるべきものである。よって恩恵を受け得る地域が限定されてしまうような高速交通機関を国の資金によって整備すると、「地域エゴ」に応えたことになってしまう。

前述のように、東京を頂点とした階層的な社会経済システムの中では、特に東海道に高速交通機関を整備することで恩恵を受け得る範囲は非常に大きい。ここに「地域エゴ」といった考えは関係しない。しかし東京から直接に伸びる幹にあたる部分の整備が一巡し、枝の部分の整備にかかってくると恩恵の及ぶ範囲が極めて限定されてしまう。そのような整備を進めようとすると「地域エゴ」になるのである。その結果、整備新幹線の建設よりは東海道新幹線の改良を、車のほとんど通らない高速道路より第2東名・第2名神の建設を、飛行機のほとんど飛ばない空港の新設よりは成田・関空の拡充をとの意見が出てくることになる。

3. 地方部の高速交通機関整備の意義とは

東海道新幹線の建設は東海道在来線の需要逼迫を救済する意味合いが強かった。しかし東北・上越新幹線の建設となると逼迫を救済する目的はさほどではなかった。むしろ他に意義を見出しての先行投資であった。その意義としてよく言われるのが過疎・過密問題の解決であった。

日本全国の経済的な一体化で地方部から労働人口が大都市圏へ大量に流出する。大都市圏では生活環境が急速に悪化、地方部では若年人口の減少で地域の活力が失われる。これを解決するには大都市圏と地方部を高速交通機関で結び、地方部に雇用を創出して人口の地方への定着を図るということである。しかし高速交通機関で大都市圏と結ばれることで、大都市圏の大手資本は一気に地方部へと進出してくる。これによって地方部の地場資本が受ける影響は決して小さくないだろう。また地方内部で完結していた消費行動が大都市圏へ流出してしまう恐れもある。これでは高速交通機関の整備で地域の活力、独自性といったものがかえって失われかねない。

なお過疎・過密問題の解決と重なる点も多いが、大都市圏から地方部への所得の移転促進、高速交通機関の建設自体による雇用創出効果なども意義として叫ばれることがある。

4. 次善の選択としての高速交通機関整備

地方部の自治体の将来構想をみると、ほとんどが東京を頂点としたシステムを前提としている。そして東京の下層の中での先進地域を目指すべく構想を立てているような印象を受ける。東京を頂点とした社会経済システムの転換を考えるのはなかなか難しく非現実的であり、それならば下層の中でも進んだ地域になろうという次善の選択がなされるのである。

高速交通機関が地方部と大都市圏を結ぶことで「ストロー現象」(注4)が発生して、東京一極集中が助長されてしまうという意見がある。では高速交通機関を整備しない方がよいかといえばそうではないはずだ。高速交通機関の整備で大都市圏の大手資本は地方へ進出するだろう。しかし大手資本によってでも地方が活性化され、雇用の創出で人口定着が進み得るのは確かではないだろうか。影響が心配だとされる地場資本も大都市圏との取引拡大で、新たなビジネスチャンスが生まれるかもしれない。

東京を頂点とした社会経済システムが必ずしも正しいとは限らない。しかし現実にはにわかに動かしがたいほどにそれが確立されていることは確かである。そのシステムの下で地域を少しでも活性化させる次善の選択として、高速交通機関の整備が意味を持つと言えるのではないか。高速交通機関を整備しなければシステムの頂点に富が集中する一方で、地方にもたらされるものはわずかであろう。

5.「地方」内部の合意形成

地方の世論は高速交通機関の整備促進で統一されているように考えられがちであるが、実際のところは釈然としない。新幹線や高速道路の建設に反対する運動として、土地を買収されたり完成後に生活環境悪化の恐れがある沿線住民が起こすものは大都市圏、地方部を問わずにしばしば見られる。しかし彼らは自分たちの近所を通りさえしなければ反対するとは限らない。それを別として「地方」内部での高速交通機関整備促進の合意は本当に形成されているのであろうか。地元のマスコミにそのヒントを求めると、整備促進の方向で統一されていることになっている。地方マスコミは地元の有力企業であることが多い。整備促進を主張するのは当然である。

高速交通機関はあった方がいいのは言うまでもない。しかしここでいう合意とは住民レベルにまで高速交通機関に対する理解を深め、完成後に有効に利用できるような体制を整えて初めて形成される性質のものである。自治体や政治家が「高速交通機関は便利なものだ」とばかり扇動しても困るのだが、地方内部のしっかりとした合意形成が整備後の有効活用を促し、整備実現を早めることにもなりうる。

6. 「地域エゴ」でないためには

地方部の高速交通機関整備に「地域エゴ」との声が上がる要因の一つに、地方の「何でも造ってほしい」という体質(注5)があるように思われる。公共事業の予算は事業ごとにつくものであり、「○○方面の交通機関整備に△千億円、何を造るかは任せる」というわけにはいかない。さらに新幹線や高速道路は全区間が完成して初めて十分に効果が発揮される性質のものなので、沿線地域の利害を調整し協力して建設運動を進めなければならない(注6)。よってとりあえず「何でも造ってほしい」体質になりがちなのは仕方がない面もある。しかし、国民的合意が得るのがより難しい地方部の高速交通機関整備にそういった体質を放置すれば結果として実現が遠のいてしまう。

地方部の自治体は高速交通機関の整備について、もっと優先順位のようなものを付けるようになってもよいのではないだろうか。より効果的でかつ実現可能性の高い高速交通機関の建設を優先するのである。その過程で自治体は各高速交通機関に対する客観的かつ専門的な分析を進めることになるだろう。これによってとかく漠然としたものになりがちな自治体の高速交通整備計画が、より具体的でしっかりしたものにもなっていくことも考えられる。

高速交通機関の整備の問題に関して、国家の動脈に整備する段階では国家的な問題としての一定の合意が形成されていた。しかしそれが次第に地方部へ向かうルートに整備する段階に入って、国家的な問題から限られた地域を対象とする「地域エゴ」の問題に転じていった。次の選択として限られた予算を国家の動脈のさらなる充実に投入するのか、それとも新たな地域への高速交通機関整備に投入するのか。難しい選択を迫られる時期になってもう久しいであろう。

地方にとっては大都市圏と高速交通機関で結ばれることは、次善の選択であるにしろ意義深いことである。これまでは地方部への整備を偏重してきたきらいもあったが、この反動で国家の動脈の整備ばかりに偏ってもまた問題である。地方選出政治家のごり押しではなく、ある程度は国民的合意を達成した形で地方部への高速交通機関整備が継続的にかつ適正におこなわれていくことが望まれる。


(注1)地方部
「地方」に対応するのは「中央」であろうか。 一般的には「大都市」としても問題ないだろう。 この章では基本的に「大都市」に対応するものを連想されるとよいが、 文脈によって「中央=東京」にも対応する。
(注2)国鉄の赤字問題
国鉄は1964(昭和39)年度に東海道新幹線の建設費負担などにより、 単年度赤字に転落。 1966(昭和41)年度以降は累積赤字が膨らんでいくことになる。
(注3)本格着工が見送られてきた
「ミニ新幹線」や「スーパー特急」などの形で、 事実上の着工に至っている区間もある。
(注4)ストロー現象
高速交通機関の整備で地方部と大都市圏との時間距離が短縮され、 地方部から大都市圏へ人口・消費等が流出する現象。
(注5)地方の「何でも造ってほしい」という体質
総合交通体系の最適編成という考えに立てば、 大都市間の幹線交通の整備にも 「何でも造ろう」という体質は好ましくない
(注6)協力して建設運動を進めなければならない
ミニ新幹線やスーパー特急、 部分開通の高速道路のもたらす効果は、 全体が完成した時点よりはるかに小さい。 しかし必要とされた費用もまたはるかに小さい。 投資に見合った効果が得られればよいのであれば、 部分的な建設を求めることも無意味ではない。

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