最終更新日:1999年12月19日
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高度経済成長期から低成長時代への転換期に三全総は策定され、低成長時代における地域開発の自立化などの面に置いて一定の役割を果たした。これに引き続いて、1983(昭和58)年から策定のための作業が開始されたのが第四次全国総合開発計画である。四全総はその後、1986(昭和61)年12月の中間報告、1987(昭和62)年5月の試案発表を経て同年6月30日の閣議において決定された。この四全総は三全総を地域開発の側からみた国土開発のプランとして捉えるならば、反対に都市問題の側から国土開発を捉えたものと言うことができる。ここには、これまでの全総と同じように当時の中曽根康弘首相の発言―――通称、「八月発言」と呼称される―――の内容が色濃く反映されたものとなっている。その内容を以下に紹介すると、
というものであった。この発言は1986年8月になされたものだが、これを受けて9月には急遽国土庁にて国土政策懇談会という20名程からなる会を発足させることになった。法制度上では、全総の策定は内閣総理大臣の諮問機関である国土審議会がこれにあたることとなっていることからもわかるように、この処置がいかに例外的であるか、また、いかに中曽根首相の発言の影響力が大きかったかが推察できる。こうして、同年12月には四全総に関する中間報告が公表されることになるのだが、その内容が「東京への機能集中の追認」とするマスコミの批判に続く形で地方から批判の声があがり、中間報告の内容は再び大きく変更される形になった。
このようにして、策定がたびたび延期され(当初は86年秋と公表、その後87年春、最終的には87年6月)た四全総は策定作業開始から4年というそれまでの全総よりも長い時間をかけて策定され、前記の通り1987(昭和62)年6月30日の閣議において決定された。その内容を、三全総と同様に表2-4-1に示す。
四全総は、三全総における「定住圏」のようにそれ一語で計画の代名詞となる言葉がある。それは開発方式の箇所に記された「多極分散型国土」という言葉で、当時既にできあがっていた「東京圏対その他」という構図を三大都市圏のうちの関西圏・名古屋圏、それに札幌、広島、福岡−北九州などの地方中枢・中核都市の振興をはかることによって三大都市圏−地方中枢・中核都市群−地方中心・中小都市群−農山漁村という構図に引き戻すことを目的としたものである。その目的を達成するためには、首都改造、即ち遷都も視野に入れられ、実際本文中第二章において「遷都問題については、国民生活全体に大きな影響を及ぼし、国土政策の観点のみでは決定できない面があるが、東京一極集中への基本的対応として重要と考えられる」とまで記されるほどであった。その他、バブル経済のはしりとも言える各種高速道路・高速鉄道の導入、テクノポリス(注1)の建設、全国にわたるサービス総合デジタル網(ISDN:Integrated Services Digital Network)の導入などこのような計画につきもののバラ色の未来がうたわれている。また、戦後を通しての国土計画の元老とも言える下河辺淳氏(元国土事務次官、全総〜三全総等、戦後の国土政策を担当)の発言をうけて森林をはじめとする環境保全と利用について大きく紙数を費やして述べられているのもその特徴である。
以上のような内容・経緯を経てその計画が実行に移された四全総であるが、その後バブル経済が崩壊するとともにまた新全総と同じく計画と現実の乖離を露呈する形となり、1998(平成10)年3月、時の橋本龍太郎内閣によって五全総が策定されると共にその役割を終えた。一極集中是正、首都改造など、四全総に盛り込まれた目標の達成は未だならざるところであり、その目標の大半は方策を変えつつも五全総に引き継がれることになった。四全総の正しい評価には、まだ時間が要されるだろう。
計画期間 | 1986年〜2000年(目標年次2000年) |
背景 | 1. 東京圏への高次都市機能・人口の一極集中 2. 地方圏での雇用問題の深刻化 3. 道県単位での人口再減少 4. 技術革新・情報化、高齢化、国際化の進展、産業構造の転換 |
開発方式及び主要計画課題 | 〈交流ネットワーク構想〉 地域主導による地域づくりを推進することを基本とし、 そのための基盤となる交通、情報・通信体系の整備と 交流の機会づくりの拡大を目指す。 交流ネットワーク構想の推進により多極分散型国土を形成する。 ■主要計画課題 1. 安全で潤いのある国土の形成 2. 活力に満ちた快適な地域づくりの推進 3. 新しい豊かさ実現のための産業の展開と生活基盤の整備 4. 定住と交流のための交通、情報、通信体系の整備 |
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