表紙 1.家族親睦会
現在地
2. 東西懇談会

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委員 戸辺はつ江(準会員)
委員 光永海紀江(準会員)

 

 当十二月クラプには、毎月開催される行事を盛んにするために、昭和41年に随分と沢山の委員会・同好会が設けられているとのことで、わたくしなどは、仲々に覚えきれないほどでございますが、その一つに『家族親睦委員会』がございます。
 初代の委員長は、確か『望月継治さん』だったかと記憶しております。

 最初は、毎年11月3日を中心に催される『一橋祭』に、家族ぐるみで参加しようということで始まったようですが、「記録」によりますと、昭和38年の『一橋祭』には、実に50家族、143名の大部隊が、母校「国立」に参集したと記録されています。広い庭には、立派な天幕が張られ、数多く並べられたテーブルと椅子に、小さな子供達を交えた多数の家族が、お弁当を食べ、会員から寄贈の盛り沢山の「景品」が贈られる福引きを楽しみ、唄を歌い、ときには『新井様の奥様、若柳千種先生』から、簡単な踊りを教わったりして過ごした想い出は、『望月さん』が社長をされていた『神田精養軒』おみやげの「クネッケ」や『金原さん』からの「お味噌」の味とともに忘れることができません。

 その後、この『一橋祭』も「国立市民参加」で年々賑やかになり、同期会の応援という当初の参加目的も達成されたし、また子供達も成長したこともあってという理由で「母校での催し」は「平成3年」で終了することとし、家族親睦の重点は、『新年家族懇親会』『史跡巡り』『バスハイク』『東西懇談会』等に移行されることになりました。

 特に、毎年「2月」に開催する『新年家族懇親会』は、中村企画委員長さん等が熱心に準備される、歌唱・舞踊・奏楽等々の分野で、会員の子女を含む『一流の出演者」による『芸術』を堪能させて戴くのは何よりの楽しみとしています。平成3年に開催された、卒業50年周年記念の『新年家族懇親会』には、「出席者合計120名」という記録が残されていて、大盛況でした。

 会場(スターホール)には、会員・会員夫人の手による「絵画」「筆墨」「写真」をはじめ「手芸品」の数々も並べられ、大スター『竹下景子さん』のご参加もあり、参会者の全員の気持ちが高揚しておりました。

 『若柳千種師匠』のご指導で、紋服姿の『新井さん』『二見さん』『馬場さん』お三方による『鶴亀』の見事さは、あのときからもう10年も経ておりますのに、未だに、「昨日の出来事」のようにはっきりと、瞼に写し出されます。終りに「竹下景子さん」を中心にして、出席の婦人全員で歌った「(春)朧月夜」「(夏)茶摘み」「(秋)もみじ」「(冬)冬景色」と、フィナーレの「椰子の実」は、われながらぴっくりするほどの大きな声を出したことも、「一生の思い出」です。

 一般に「男子同窓会」には、これまで『夫人同伴』は少ないのですが、十二月クラブでは、早い時期から『家族同伴』を実施されたので、夫人同志が仲良くなり、また、主人が亡くなった後も、「準会員」として毎回の『行事案内』を戴けるので、最近では、「準会員」の出席者が、「会員」の出席者より多いという状況で、これが『家族親睦委員会』の効用で、このクラプの活動が盛んの源と思っております。

 毎月の「案内状」を受け取りますと、他の用事が無くても『あなた、出席するわね?』と竃話を掛け合うようなことでございます。
 亡き主人は、私どもに『本当に良い財産を残してくれた』と感謝しております。


◎ 当クラプが参加した『一橋祭』は、昭和37年から平成3年まで、『学園紛争』のため「中止」となった昭和44年を除く「毎年』の29回に及ぴます。

◎ 当クラブが実施した『一橋祭』の内容等につきましては、「別掲」『一橋祭』の項【作業中】をご覧ください。

◎ 当クラプが実施した『新年家族懇親会』とその演目等につきましては、「別掲」の『新年家族懇親会』の項【作業中】をご覧ください。

 

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