感謝の言葉 大串君あての葉書(2004年5月15日付)より
折橋 治泰 君(昭和24年学)
如水会報5月号・橋畔随想、大兄寄稿の「或る日の兼松講堂」の記事、ただ今拝読。
感激して お礼旁々一筆申し上げます。
実は私の人生で1941年(昭和16年)11月17日 あの日の「わが町」の印象が人生観の座標軸
の一つになったほどです。
私は東京商科大学予科へ昭和16年4月に入学。18年10月に学部入学後、
学徒動員令で満20歳、昭和18年12月に応召、南方軍にてシンガポール、マライ、泰、ビルマ転戦、
最後の引揚船で22年に復員、復学、24年3月に学部を卒業しました。
卒業は内地にいた同輩より3年遅れてしまいました。
三井物産でニューヨーク、シアトル、カナダ、欧州在勤中も、欧米人と、よく、
「わが町」の平和の尊さ、「生と死」「比較文化」を話題にしたものです。
南方軍戦場でも想い出しておりました。
「わが町」兼松講堂上演の推進者の大兄に深謝いたします。
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(編者)下記クリックして読みください。
「或る日の兼松講堂」大串隆作 (如水会報より)
上の詳報 「私と演劇」大串隆作 (卒業40周年記念文集・波濤より)