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続 亦楽 この人を見よ (1)
5組 山崎 坦
昭和11年(1936年)4月から始まった東京商科大学予科の授業は
出欠をとる点呼から始まりました。
席順はアイウエオ順で最左翼の列一番前が天谷君
最右翼一番後ろが和田(一雄)君でした。
(和田君が二人いるのですがもう一人の和田君は当時はまだ山口篤君でした。)
特にフランス語プルニエ先生の出欠点呼が印象的でした。
「アマヤ」「プレゾン」プレゾンは語尾が上がりました。
「ワダ」「プレゾン」プレゾンの語尾が下がって。全員の出欠が終わるわけです。
天谷君と和田君の間には不思議な因縁があります。
和田君には之を書かぬうちは死んでも死に切れないという
天谷君に関する話があったのです。
戦没学友名簿に収録した同君の追悼文を読んでください。
故 天谷 幸和君 追悼の記 5組 和田一雄
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最近 劇団四季に「南十字星」というミュージカルがあり、
それはまるで天谷君をモデルにしたのではないかと思われるようなもので、
見た人の話では、感激ひとしおであったそうです。
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