ビルマ戦没兵士供養塔]、善福寺
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つれづれなるままに
それからそれえと

(1組前田寿夫君の写真)

5組 山崎 坦


「ビルマの竪琴」の著者 竹山道雄氏は私の家内のいとこなのです。

雑誌「正論」に平川祐弘氏が
(竹山道雄氏の婿さん)
真の自由主義者は戦後日本とどう対峙したのか
「危険な思想家」
竹山道雄

と題して連載しています。

この話に関係した事を思い出せば
それからそれえと
多くのことが思い出されます。
けれども今回の話は別のことなのです。

「竹山道雄
は昨年12月からはじまって現在2月号第3回 ’門を入らない人々’です。



この正論2月号のグラビヤに
 の写真館  My Photo Studio  アルバムの中に 192
中国研究者・元防衛庁防衛研究所研究室長
平松茂雄
がありました。

平松さんは浜松出身です。
竹山さんも私夫婦も浜松出身です。
が、これも置いといて。
平松さんのアルバムを見てゆくと
下の写真がありました。

なんと!
中央の前田君は12月クラブ(1組・嘯風会)の学友です。左が平松さん。
[赤松ゼミナール]
記念文集から前田君の寄稿文を拾うと。
[偶感]  [永遠のいま]  [母校再生論議に感あり]
前田君は一昨年4月に亡くなられています。

1組クラスメートでゼミナールの学友でもあるのが鈴木貞夫君です。
上記 赤松ゼミ をクリックして見ると彼らは並んで写っているのです。
鈴木貞夫君に電話をしてみました。

なんと!
前田君は鈴木君の義弟、妹さんの連れ合いなのだそうです。



平松さんの実家が浜松の綿織物工場だったそうで、
これまたおどろきでした。
私の母方の実家は浜松の人絹織物工場でした。
ドビーとかジャカードという織機が数百台あって、織物の輸出をしていました。
工場に大浴場があって、そこで竹馬の友・いとことふたりで小学2年生のころには泳いでおりました。
(このいとこはガダルカナルから生還したのですが一昨年亡くなりました。)
平松さんは”幼いころ浜名湖・弁天島や遠州灘によく出かけて水遊びをした。そのくせたいして泳げなかったのだが、
小学校六年生の夏休みに通った浜名湖の水練学校が転機となった。
背の届かない湖面に、数メートルの高さの飛び込み台から・・・・・・・・
三週間後には五時間の遠泳を泳ぎ切るまでになっていた”と書かれているのですが、
なんと
私は、これと寸分違わぬ、全く同じ経験をしておりました。