L兼松講堂リニューアル記念コンサート 5組 山崎 坦
6月13日午後2時過ぎ、末娘と一緒に、国立の母校に行きました。
自由席のせいでしょう、もう入場を待つ列が出来ておりました。
開演前の準備行動。ご存知の本館の右手の円形の手洗いまで、結構遠いんですね、
自分が老いぼれて、遠く感じるようになっただけでしょうか。
そこを出ると奥に、蔦かずらの棚があり、珍しい赤い花が咲いていました。
庭は概して、荒れていますね。
更に奥に、私が此処だったと思ったところに、上田貞次郎先生の胸像(クリック)は見つかりませんでした。
憩っていた2人の学生に尋ねましたが、知りませんでした。
難聴で、特に左耳がだめだから、誰も座ろうとしなかった左前列2列目に席をとりました。
ピアノ奏者や指揮者はよく見えるところ、オーケストラ・メンバー後ろの管楽器は見えませんでした。
生のオーケストラが久しぶりに聞けて、嬉しかったです。
しかも指揮が尾高忠明氏、ピアノが園田高弘氏と来てはたまりません。
オーケストラも昔の音楽部は比較になりません、素晴らしいものです。(ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」)
ベートーベンのピアノコンチェルト5番(皇帝)、ブラームスのシンフォニー1番は「記念オーケストラ」で、国立音大、
桐朋学園大、東京芸大、慶応、早稲田、一橋大のメンバーでした。
鳴り止まぬ聴衆の拍手に、園田さんが「その拍手をこの講堂に」というジェスチャーをされ、尾高さんは「この花束を この講堂に」というジェスチャーをされていました。「講堂」も誇らしかったと思います。私共も誇らしかった。
演奏が終わってから、私は講堂の裏手の扉から外え出ました。ここは卒業以来11月3日の文化祭の日に毎年十 二月クラブがテントを張った地点です。ところがなんと銀杏の大木が切られて、大きな根株となっております。講堂の 建物保存上の理由ということですが、悲しいことです。尋ねて行って見てください。
この思いを、旧友にわかちたかったのですが、音楽部10名のうち、現在高崎正吾君と私(山崎坦)の2名となってし まいました。(C音楽部について思い出すこと) クリック
如水会報6月号(第890号)<訃音>中邨信一郎(昭15学)先輩が昨年12月26日逝去の報を知りました。
先輩は熱心な音楽部員でしたから、この日を知られたら、さぞお喜びになったと思います。ご冥福を祈ります。
私のアルバム1978年1月10日如水会館(賀詞交換)で久我太郎君が撮ってくれた写真(左が中邨先輩)がありま した。
ご冥福を祈ります。