以下の文章は、あるゼミ生(三期生)のアメリカ道中記です。アメリカでどんなことがあったのやら、肩の力を抜いてお読みください。
1999年12月4日(日本時間)
この日は出発。旅行者の人が何もかも(入国・出国カード記入まで)やってくれたので、こんな楽な出国があるのか!と感動してしまった。飛行機の中では、友人が「ワンモアバド」を数回繰り返しいい気持ちになって寝ている中、僕は隣りの初老のアメリカ人に捕まり、ナチュラルスピードで英語を洪水のように数時間にわたって投げかけられ、フラフラに・・・。
12月4日(アメリカ時間・以下同じ)
サンフランシスコに着いたのは現地時間午前7時(日本時間午前2時)。飛行機の中で殆ど寝れなかった僕は、アメリカに着いた喜びよりも睡魔に襲われておりました。この日は唯一の観光で、後は後藤先生が組んだ地獄の法律プログラムをこなすのみ・・・。この日は日本人ガイドに案内されてのサンフランシスコ観光で、ガイドのおばちゃんは「フィッシャーマンズワーフでフイルムを買ってはだめ。絶対にボラれます」と繰り返していたが、それだけ繰り返すと言う事は多分そうなのだろう。
空港には同じ便で着いたと思われる日本の高校生集団(修学旅行)がおり、「おいおい、今時の高校生って、ぜーたくやのう」と思って通り過ぎていたら、その後の観光スポットで尽く彼らと一緒であった。見知らぬアメリカ人を捕まえて一緒に写真を撮っているあたり、若さを感じると共に羨ましくも感じるのであった。
あちこちのスポットを回り、フィッシャーマンズワーフで昼食となったのだが、こっちのサイズはとにかくでかい!スモールサイズが日本の普通サイズよりちょい上だと思えば差しつかえなかろう。コーヒーにしてもスモールサイズは300CCはあるかと思われる。かつて缶コーヒー「ボス」のCMでクリントンをガツンをいわすとか言うやつがあったが、あんなコセコセしたサイズでは一生クリントンをガツンといわす事など出来やしないだろうとなどと、フィッシャーマンズワーフの生臭さに囲まれながら、しょーもない事を考えてしまったのだった。
観光は4時くらいで終わり、空港から国内線でサクラメント市へ向かうのであったが、その飛行機がとにかく小さい!ムチャクチャ不安であった。スチュワーデスもあれではたまらんだろう。空港に着くと、先生がいつもの青ジャンバースタイルで出迎えてくれた。空港からバスでユースホステルに向かうのだが、なんとバスは20分乗って1ドルと破格の値段である。しかし、お釣は出
ず、友人の一人(H氏・4年)は10ドル札を入れてしまい、バスの乗務員に英語でまくしたてられ、何も知らぬまま何か書類に書き込んでいた。たまりかねた先生が通訳した所によると「後でお釣を送るから、ここに住所と名前を」との事であったが、警戒していたH氏は「東京都国立市」としか書きこまなかったとか。・・・多分H氏の9ドルが日本に届く事はないだろう。
なんだかんだでユースに着いたが、かなり奇麗な所であった。実にめでたい事である。しかもご丁寧な事に、裁判所の前だし。
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