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愛好会:トレッキング
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STCスリランカトレッキングツアー

実施日:2014年11月22日(土)〜30日(日)
実施場所:スリランカ民主主義共和国
参加者:佐藤夫妻、杉本夫妻、羽山夫妻、原夫妻、小杉君、今村きみよさん

以前はセイロンとして知られたインド洋に浮かぶ涙のような形をしたスリランカに7泊9日の旅を敢行。SF作家アーサー・クラークは「セイロン島は小宇宙のようだ。あらゆる多様性すべてをここに凝縮している」と表現したそうだが、まさに同感だった。熱帯雨林で名物のヒルに吸血されたものはいたが10人全員無事大過なく帰還した。当初心配されたデング熱を媒介する蚊も殆どさされたものはいなかった。両手を合わせてアーユーボーワン(長生きを)と挨拶する、スリランカの人々の笑顔が印象的な旅であった。

1日目(11月22日)

11時過ぎ成田空港に集合 
13時15分 スリランカ航空にてコロンボまで直行
飛行時間は約9時間(時差+3時間)
着後空港近くのGateway Hotel Airport Gardenへ。

2日目(11月23日)

専用バス、約4時間で世界遺産の古都キャンディへ。
ガイドは佐賀県で農業を学んでいたこともあるYhat Travelのサナットさん。
熱心な仏教徒でもあるサナットさんから佛教の初歩的講義。 ブッダは何回生まれ変わったのか、立派な人間になるには、等々の質問に全員まるで答えられず。やはり信心の度合いが違う。
いつもながら途上国のドライブはなかなかスリリング。曲がりくねった道を沢山走っている3輪車と追い抜き競争。さぞかし交通事故も多いのではないかと調べたらこの国の年間の交通事故死数は2300人。人口が6倍以上の日本の年間事故死数が4500人だからやはり人口比は相当多い。が運転がうまいのか、平均速度が対しかことがないのか、思ったほどではない。ドライバー様を信頼している(?)のか、道端に野良犬が平気で寝ているのもこの国のありふれた光景。
途中、ピンナワラの象の孤児院を観光。象の水浴びを眺めながらの昼食。

象の孤児院にて
象の孤児院にて

スリランカの食事はなかなかのもの。海抜500メートルにある古都キャンディはシンハラ人キャンディ王国の最後の首都であり、スリランカ中部における中心的な都市。全体がユネスコ世界遺産に登録されている。
街の中心にあるマーケットを見学。バナナの種類だけでも30種以上。珍しい果物の宝庫でかつ安い!マンゴのエキスパートのI夫人によればこの国の50円のマンゴーは日本の500円のマンゴーに匹敵するそうだ。 
仏陀の歯があるとされる仏歯寺(ダーラ・マーリガーワ寺院)へ。世界遺産都市キャンディの重要な一部だ。ダンスショウ(最後のファイアショウは見もの)後、6時過ぎから全員裸足となって厳かに内部を見学。スリランカでは仏歯(左の糸切り歯)が王権の正統性の証とされており、実物は見えなかったものの経文等多くの歴史的な宝物を拝観することが出来た。 
この日はキャンデイを見下ろす山上にあるリゾートホテル、アマヤヒルズ泊。

3日目(11月24日)

前日とはうって変わった素晴らしい天気。いつもの通り元気よく早朝の散歩から帰ってきたK君のズボンに赤いシミ。果物の汁かと思っていたらこれが数時間後にヒルに吸血された後と判明して大騒ぎ。お腹の噛まれた跡は出血が暫く止まらず。サナットさんによればヒルは悪い血を出すのでむしろ身体に良いとのこと。悪童共はこれで腹黒さが少しは良くなった等はやし立てたが当のK君は傷口をおさえて憮然。聞けばS君も散歩の後、ホテルの従業員に注意されて調べてもらったら靴下に3匹ほど潜んでいるのが見つかったとか。とにかく当地はヒルが多いのだ。
朝食後世界遺産シーギリヤへ。 シーギリヤは5世紀の終わりに実の親を殺して王位についたカシャバ王が、復讐を恐れて7年の歳月をかけて造りあげたとされる。 200メートルの高さに切り立つ巨岩への急勾配の道を登っていく。途中の壁面に描かれたフレスコ画シーギリア・レディは今も鮮やか。往時には卵白と蜂蜜で作られた鏡の回廊にもその姿が写ったという。  
 ライオンの足のある中間地点からは壁面に設置された鉄製の階段を登って山頂へ。まさに天空の城、ラピュータの世界。 山頂にはプールや、居宅の跡が。海抜と合わせ東京タワーより高い頂上から見る緑一面の光景は素晴らしかった。登りより問題は下り。高所恐怖症気味のH夫人はカニ足での下山で「カニ子」さんと呼ばれることに。石の階段もすり減っており、ちょっと天気が悪ければ登頂は難しかっただろう。どうしてこんな奇岩が出現したのか後で調べたらこの巨岩は火道内のマグマが硬化して出来た岩頸というものだとそうだ。

世界遺産シーギリヤロックにて
世界遺産シーギリヤロックにて

キャンディに戻る途中で、薬草、ハーブ農場を見学。 スリランカの多彩な薬草類と効能実演に一同感心。H君は脱毛に挑戦。この日はキャンディに戻り、アマヤヒルズ泊。

H君薬草による脱毛に挑戦
H君薬草による脱毛に挑戦

この日は往復7時間のロングドドライブでいささか疲れた。

4日目(11月25日)

ホテルを発ってベラデニヤ駅へ。 車窓に茶園を眺めながら極上の紅茶の産地ヌワラエリアへ。1等車ではあったが、想像を絶する走行音と、ブレーキを焦がすような臭いで迫力満点。 車内でホテルが用意したお弁当を広げ、マーケットで購入した珍しい果物(チーズアップルなど)を味わう。
約2時間海抜約2000メートルにあるヌワラエリア(Nuwara Eliya)に到着。小雨も降りだして寒い。ここは英国人が避暑地として開発したところで、英国風の建物が目立ち、まるでスコットランドの田舎だ。早速、紅茶園PEDROを見学。Lover's Leapというブランドの高級紅茶の製造拠点。(近くに同名の滝がある。)
温かい紅茶を味わった後に工場を見学。集荷口には大きな茶葉を背負った女性達が次々に参集。紅茶畑はかなりの勾配なので採取は相当な労働だろう。男はともかく、ここの女性は相当働き者である。工場はかなり伝統的なやり方を踏襲しているようであった。 この日は植民地時代の大邸宅を改造したGrand Hotelに宿泊。
夕食はライブバンド付きの豪華版。例によってブッフェスタイル。
スリランカのカレーは豊富な香辛料が入っているが、ココナツミルクが入っているようでインドカレーよりマイルドで日本人向きか。但しナンが出てくることは稀のようだ。 ガイドによればスプーン、フォークを使わず右手を使って食べると更に美味しいという。

5日目(11月26日)

4時にモーニングコール、5時に2台のトヨタ4WDに分乗して更に高地のホートンプレインズ国立公園に向けて出発。急な登りが続く。エンジンがうなりを上げるがオイル警告灯が点灯したままだ。たまらず注意したら、「関係ない。大丈夫」とドライバー氏。こんな鷹揚さがトヨタランクルの人気の秘密なのか。1時間後国立公園入り口に到着するも風雨は更に強まる。外に出ると凍えるような寒さでトイレに駆け込むのも難儀だ。濃霧の中で大きな鹿を目撃。
S隊長の決断で本日のトレッキングは中止と決定。「H君にSTCのタフなところを見せたかったなあ」とS隊長。30−40分位歩けばワールズ・エンドと呼ばれる直角1000メートル以上の絶壁に到達出来たはずであったが、この霧では景色も何も見えなかったであろう。立派な決断であった。軟弱なんじゃあない。
ホテルに帰って一休みした後、ハッガラ植物園Hakgala Botanical Gardenを見学。世界最古の樹など熱帯の珍種の連続にS君始め植物ファンは興奮状況に。ここはもともとマラリアの特効薬であるキニーネ採取の為にキナの栽培地であったところだという。お父さんがビルマで捕虜となり瀕死の状況となった際、英人医師によってキニーネを投与されて助かったH夫人は思わずキニの木に駆け寄って恩人の木を激写。

6日目(11月27日)

早めにグランドホテルを出発して、1889年設立でアジア最古のゴルフコースのひとつというヌワラエリアゴルフクラブNuara Eliya Golf Clubのゴルフショップに立ち寄り。古いメンバーコースらしくブリティシュグリーンに彩られたクラブハウスはクラシックだ。しかし、このクラブの前身であるヌワラ・エリア・クラブは、コーヒーのプランテーションを拡大していた19世紀の後半、酒飲みのイギリス人が酒の空き瓶を共同回収してコロンボまで運搬する為に設立されたものだそうだ。
クラブハウスから見ると、もともと湿地帯に造られたというコースはクリークがフェアウエイ沿いに走り、如何にも狭そう。I夫人はティーグラウンドに立ってドライバーショットのスタンス。
一同を乗せたバスは茶畑沿いに南下して途中St.Clair Tea Centreに立ち寄り。ここから見るDevon滝の光景は見事だった。更に南下し、高度を下げると温度と湿度が上昇してきた。 もっとも車中は冷房が効いているので車外に出て初めて分かる。更に3時間ほどでキトゥルガラ森林保護区に到着。ここは河遊びで有名なところだが映画「戦場にかける橋」のロケ地点としても著名。映画の設定はビルマだが、大勢のスリランカ人がエクストラとして駆り出されたそうだ。初めに5−6人乗りのイカダで河を渡り、そこから熱帯雨林の中を往復約1.8キロのトレキッキング。トレッキングしてきた人が「ヒルが沢山いるよ」と警告してくれる。滑りやすい足許をみながら木々の葉の裏に潜むヒルを避けながらのトレッキングはなかなかタフ。今年の4月に登山家田部井淳子氏が率いるチームが同じコースに挑戦したが、その際は酷暑の為に3分の1の人が落伍し、10台の三輪車を手配することになったという。 最近のSTCとしてはかなりの難コースだ。

キトゥルガラの熱帯雨林にて
キトゥルガラの熱帯雨林にて

それでも熱帯植物・動物を楽しみながら、全員なんとかベースキャンプに到着。河の流れを見ながらの昼食は格別であった。昼食中、熱帯らしいスコールも降ってきた。この日は首都コロンボ近郊のインド洋を望むマウントラヴィニアホテルに宿泊。

7日目(11月28日)

朝食後、高速道路で更に南下し、世界遺産都市ゴールGalleへ。ゴールはポルトガル人によって偶然発見され、その後貿易拠点、要塞として発展していった都市であるが、キリスト教会、仏教、イスラムの施設が併存する。16世紀からの古い町並みが保存されておりユネスコ世界遺産となっているのもうなずけた。

ゴールにて
ゴールにて

ゴール見学後、インド洋沿いの一般道を北上して海に繋がるラグーン、Madu Riverをクルーズ。 全員救命ベストを着用してエンジン付きの平船に乗船してマングローブの密生する河を周遊。マングローブの林にうごめくのは海トカゲか。色鮮やかな蜘蛛にも遭遇。低い橋をくぐり抜け、マングローブの密林を抜け、途中上陸したイカダでは鯛の一種のTilapiaによる足のマッサージに一同大喜び。 更に小島に上陸して当地名物シナモンの皮むきデモを見学。一周してベースに近づくと、カワセミが飛び交い、バサバサと音がしたと思ったらオオコウモリが好物のスリランカアーモンドを貪り食っていた。
渋滞する一般道を北上してホテルについたが、なおお魚マッサージのくすぐりの触感が残る一日であった。

8日目(11月29日)

マウントラヴィニアホテルは設立者のロマンスの場所としても著名。ロビー脇にはロマンスの舞台となった秘密のトンネルも。そのせいか地元市民による結婚披露宴が多くこの日も着飾った参列者による写真撮影が行われていた。スリランカ人は日本人以上に写真好きなようだ。ホテルを出発してコロンボの市内見物。これまで巡ってきた他の地域に較べると首都コロンボは近代的で洗練された都市の感。現在の政権は中国に接近しているようで音楽ホールなど中国が資金供与を行ったという建造物も目立つ。富裕層向けのショッピングセンターもかなり充実している。他の発展途上国より都市への人口集中の程度は低いと云われるスリランカだがなお地域格差はあるようだ。それにしても三選を狙う現大統領の写真看板の多いこと。来年一月の勝利は決まったも同然とサナットさんは不満顔であった。 帰国の便の出発が深夜となる為初めに宿泊したGateway Airport ホテルに戻り夕食と休息。

9日目(11月30日)

機は深夜に出発し、日本時間11時半頃無事帰国。 帰りの飛行機は行きほど満席ではなくリラックス出来た。

以上
原(記)

STC秋の阿蘇路

実施日:10月18日(木)〜20日(土)
実施場所:大分国東半島〜黒川温泉〜阿蘇
参加者:西村夫妻、徳永夫妻、小杉夫妻、今村夫妻、佐藤夫妻、羽山夫妻、杉本夫妻、浜石夫妻、高山夫妻、依田夫妻、杢本君

10月18日(水)
先に大分に行っている人、延泊される人、予定通りのSTCを楽しまれる人それぞれでしたが、全員大分空港に集合でチャーターバスに乗車、国東半島めぐりからスタート。
前日の大雨が嘘のように、「本日は晴天なり」の旅行日和の中を歴史の重みを満喫する。
まずは最初に国東半島の最高峰721mの中腹にある両子寺(ふたごじ)を訪れる。
2体の仁王像に迎えられ階段を上ると山門を通り護摩堂に到着、住職の説明を静かに拝聴してから石で出来た鬼橋と呼ばれる橋を渡り更なる急な石段を登り切り岩にへばりついた様に建つ奥ノ院を拝む。
ちなみに、ここの仁王像の膝を撫でると膝の痛みに聞くとの事、試してみたが私には未だご利益なし、さすり方が足らなかったのだろうか?
次に訪れたのは九州最古の木造建築で国宝である富貴寺(ふきじ)、中に入ると中央に阿弥陀如来像が安置され、堂内には平安三壁画の一つと言われる壁画がある。昼食は富貴寺の近くにある「旅庵 ふきのとう 蕗邨(ろそん)」で豊後高田の蕎麦を楽しむ。
その後、真木大堂で九体の仏像に手を合わせてから、熊野磨崖仏を訪ねる。山道をすこし登ると「鬼が一夜で築いた」と言われる自然石の乱積石段にかかり、このきつい階段を登って行くと巨岩壁に刻まれた雄大な大日如来と不動明王の石仏が見えてくる。ここの不動明王は見慣れた怖い顔でなく、なんとも愛嬌のある親しみやすいお不動様でお疲れ様と言っているようにも見えた。
国宝や重要文化財を味わい、清い心身を更に清めて黒川温泉に向かう。
宿泊は、黒川温泉「夢龍胆(ゆめりんどう)」ゆっくりと温泉で汗を流し、夜は豪華な料理を堪能しつつお互いに近況を報告し合う。

国東半島・両子寺にて
国東半島・両子寺にて

10月19日(金)
今日は阿蘇方面へスタート、阿蘇の大自然を一望出来るビューポイントの一つである大観望を経由して、草千里に向かう。
ここで、標高1,337mの頂上から祖母傾・南阿蘇・熊本市内・九重連山が見渡せる「草千里・烏帽子岳」登頂健脚組と草千里・烏帽子岳・中岳火口方面を一望できる脚に優しい「杵島岳(きじまだけ)ふもと」組の2組に分かれてトレッキングをスタート。
リンドウ・山ラッキョ・ノアザミ・ススキ等を愛でながら歩き、ベンチのある杵島岳中腹展望台で一休みと思いきや、健脚組の烏帽子岳頂上到達との連絡が入る。展望台からは高山君持参の双眼鏡で仲間の姿を、そして登頂組は佐藤君の高級望遠カメラで展望台組を確認、草千里を挟んでそれぞれの姿を確認したことがわかる。地図でどのくらい離れていたか測ってみると約2km程の距離。
それぞれのトレッキングを終え合流し、次は「中岳火口へ」が今日のテーマ。
天候は素晴らしいがロープウェイが動いているかどうかがこの日の一番の課題。
朝の出発時点では今日は風向きが悪く動いていないとの情報であった。
「快晴なのに何故?」と思っていたら、運転手さんからこの風向きだとガス規制がかかっていて動いていないのではとの説明。案の定ロープウェイは動いていない、
火口へ向かう道路も入り口で閉鎖。ロープウェイ乗り場の阿蘇山上駅まで行き、レストランで昼食を食べながら解除を待つ。昼食メニューは多く人が地元名物「だご汁」を楽しむ。
そのうち、解除との知らせが来たが、すぐにまた閉鎖。残念だが今日はもう諦めて明日に期待する。現地では明日もダメだろうと言われたが期待をかけて、明日の行程「阿蘇神社」を今日訪れることにする。
ボランティアの案内により全国的にも珍しい横山道や日本三大楼門の一つを持つ阿蘇神社を参拝、「願かけ石」で手を合わせ、近くの湧水めぐりを行う。
神社に続く商店街に水の湧き出るスポットが多数あり、各お店が工夫を凝らして水飲み場を提供している。皆で散策しながらおいしい湧水「水基めぐり」を楽しむ。
そして、今夜の宿泊施設「かんぽの宿 阿蘇」に向かう。これがまた阿蘇五岳のパノラマを一望できる素晴らしい施設でゆっくりと入浴。

阿蘇・中岳火口にて
阿蘇・中岳火口にて
 
阿蘇・五岳をバックに

10月20日(土)
今日も快晴、昨日の帰りには明日もダメですよと言われていたが、なんとロープウェイが動いているとの情報、早速バスで阿蘇のロープウェイ出発点阿蘇山上駅に向かう。下車寸前、運転手さんより良かったらこのままバスで上りますよとの事、ロープウェイは一人1,000円、バスだと通行料は1,800円、何かの宣伝ではないが、「全員で19,200円もお得」。
その分昼食のお酒に充てても良いことになり全員大喜び。ユーモアたっぷりな火口案内人より写真スポットと自殺スポットの説明を受ける。白い噴煙は煙ではなく水蒸気であり、火山爆発は長い間起きていないが水蒸気爆発が起きているとの事であった。
火口の姿をじっくりと眺め、砂千里を遠望した後、南阿蘇村湧水群を訪ねる。
里山の湧水めぐりを堪能しながらも、なんとこれが結構きつく案内図を頼りに二時間余歩く。
昼食は森の中の南仏料理「ボンジュール プロバンス」で地元赤牛のすね肉を煮込んだ料理を戴く。聞けば、奥様の夢を実現すべく退職後店を開いたとのご主人、全くの素人であったが既に11年の歳月がたったとの事、ワインを楽しみながらゆっくりする。
途中、道の駅に立ち寄りお土産を手に熊本空港に向かい、延泊組と分かれ楽しい思い出を胸に帰途に着く。
今回も佐藤夫妻に企画・手配等すべてを頼ってしまいました。参加者全員で多謝!

依田記

STC海外遠征第3弾  英国トレッキング旅行

1.日程:

平成24年6月4日(月)〜13日(水)の10日間
           (オプション:2〜5日のロンドン延泊組あり)

2.参加者:

小杉(A)、原(D)、杉本(E)、徳永(G)、佐藤(H)、羽山(I)、岩下、西村(L)各夫妻<計16名>   *原夫妻(D)は初参加

3.行程:

今回のコースはエリザベス女王即位60周年<Diamond Jubilee>に英国中が沸く中、グレートブリテン島をスコットランド北部ハイランドからイングランド南部ロンドンまで、ジグザグに縦断する旅となった。

6/4  成田―ロンドンーインバネス (インバネス泊)
6/5  ハイランド地方       (インバネス泊)
6/6  インバネスーエジンバラ   (エジンバラ泊)
6/7  エジンバラ         (エジンバラ泊)
6/8   エジンバラー湖水地方    (湖水地方泊)
6/9  湖水地方          (湖水地方泊)
6/10  湖水地方―コッツウオルズ  (コッツウオルズ泊)
6/11  コッツウオルズ(バイブリー)
    −オックスフォードーロンドン(ロンドン泊)
6/12 ロンドン発          (機中泊)
6/13  成田着

4.旅日記

(1)1日目(6月4日<月>)・・・曇り時々晴れ
  10:55成田発(BA006)ロンドンへ。今回の飛行ルートはかなり北寄りで、北極海に出てノルウエーを縦断する形で南下しロンドンに向かった。
15:10(8時間の時差あり)ロンドン・ヒースロー空港着。国内線に乗り換えるためバスでガドウイック空港に移動。19:35発BE7327にてスコットランド北部(ハイランド)のインバネスに向かう。21:15インバネス空港着、外はまだ明るく雄大な虹が我々を出迎えてくれた。
(インバネスは北緯67.5度付近にあり、カラフトよりも北、カムチャッカ半島の付け根部分に位置する。古くからハイランドの都であり人口約6万人、ネス川の河口の町。ネス湖の怪獣ネッシーのおかげで世界的に知名度が高まった。)
そこでブルーバッジの日本人女性ガイドの渥美さんと合流、彼女はインバネスから旅の最終地ロンドンまで添乗してくれた。
(ブルーバッジガイドとは;ガイドの資格としては最高峰のもので、日本を始め世界各国でプロフェショナルとして高く評価されている。スコットランドではスコットランド観光協会が母体となり、ガイドの養成・訓練コース、資格の発行を受け持つ。養成コースは2年間かけてエジンバラ大学にて開講。最終試験に合格すると、晴れてバッジが授与される仕組み。現在スコットランドには約300名がブルーバッジガイドとして登録<内日本人は15名>。)
ホテルに向かう途中の夕焼けが美しかった。スコットランドでは、夕焼けが出ると翌日は好天気、逆に朝焼けが出るとその日は雨、になると言い伝えられている。22時頃シスルホテルに到着(Thistleシスルは「あざみ」の意。あざみはスコットランド国花)。
部屋のテレビで女王即位60周年<Diamond Jubilee>を観る。

(2)2日目(6月5日<火>)・・・晴れ時々曇り
この日は一日ハイランド地方巡り。前日の夕焼けを反映して快晴の天気。
ネス湖畔やハイランドの丘陵地帯をドライブ、シャクナゲ(白〜薄ピンク色)とハリエニシダ(黄色)が一面に咲き誇る道路を専用バスで走る。
グレンコー村に着く。ここは1692年に「グレンコーの大惨劇」が起こったことで有名である。
(グレンコーの大惨劇は、1688年の名誉革命によって王位を得たオランダ出身のオレンジ公ウイリアムを支持するウイリアマイトのクラン<氏族>であるキャンベル家の兵士たちが、名誉革命によって廃位させられたジェームズ2世とスチュアート家を支持するジャコバイトのクランであるマクドナルド家の一族38名を虐殺した事件である。事件は同じハイランドのクランとしてマクドナルド家がクレンコー村に宿泊したキャンベル家の一行を暖かくもてなした晩の翌朝に起こった。300年以上も前に起こったこの事件は今も議論が続く。この大惨劇で犠牲となったマクドナルド一族の子孫の中には、虐殺はキャンベル一族とその兵士たちによる犯罪であったとして今も糾弾し続けている人々がいる。対するキャンベル一族はあの悲劇は当時のイギリス政府による命令に従ったものであり、キャンベル家の犯罪ではないと反論している。)
グレンコー村をハイキング。村の奥にある湖の周囲を散策した(約1.5Hr)。
この後グレンコーの谷の絶景ポイント「三姉妹」に向かう。三つの峰に囲まれたこの美しい渓谷は氷河により浸食されて形成されたもので、スコットランドの英雄ウイリアム・ウオレスの活躍を描いた映画「ブレイブ・ハート」の撮影が行われた。なお、グレンコーの地は大部分をナショナル・トラストが保有・保存している。

グレンコー渓谷

リニー湖畔にありグレンコーへの観光拠点の町フォート・ウイリアム(オレンジ公ウイリアムが築いた砦)のホテルで昼食。
昼食後カレドニア(スコットランドの古称)運河を見学、ネプチューンの階段と呼ばれる12の水門がある。この運河は1803〜1844年にかけてT・テルフォードが建設した閘門式運河で、グレン・モアの断層谷に位置するネス湖など4つの湖を運河でつなぎ、全長97km、北海側のマレー湾と大西洋側のリニー湾を結ぶ。500トン級の船舶の航行が可能で物資の輸送に貢献したが、現在はヨットやプレジャーボートなどの観光用になっている。
その後英国で一番高いベン・ネヴィス山(標高約1380m)の写真スポットに立ち寄る。その山頂では前日の6/4夜、Diamond Jubileeの一環として松明が炊かれた(その夜は英国各地で松明が炊かれ、6/8に立ち寄るハドリアヌス・ウオールでも松明が炊かれたことをテレビが放映していた)。フォート・オーガスタでもカレドニア運河の5つの水門を見学。
ネス湖畔をドライブし、Urquhart城(アーカートと読む。アーカートはインバネス地方に勢力を持ったクラン、古くからの部族の名前)に立ち寄り(現在は廃墟となっているが、ローマ人と戦ったピクト人の砦が発祥である)、インバネスに戻る。
夕食は市内中心部のネス川沿いのレストランRiver Houseで全員で会食。
(夕食後ハプニングがあった。S夫妻とT夫妻はレストランからの帰りに出迎えのバスに乗らずに、郊外のホテルまで徒歩で帰ろうとした<約2km位>。しかし、途中で道に迷ってしまい立ち往生していたところ、英国人女性ドライバーに助けられ何とかホテルに辿り着いたとか。)
ハイランドでは標識類には必ず英語とスコットランド・ゲール語(スコットランドで話されるケルト系言語)が併記されていた。英語とは全く異なる言語であった。ゲール語は18世紀半ばにキルト、タータン、バグパイプなどと共に禁止された時期もあった。現在、スコットランドではゲール語の存続を図るため、エジンバラ大学とスカイ島でゲール語講座があるという。また、スコットランド議会では2005年から公文書にゲール語を使用することになった。

(3)3日目(6月6日<水>)・・・曇り時々小雨
シェークスピアの名作「マクベス」の舞台として有名なコーダー城に向かう。
途中、スコットランド史上に残る「カローデンの戦場」(ナショナル・トラストが保有)を車窓より見る。
(1746年4月16日、追い詰められたジャコバイト派反乱軍がグレートブリテン王国政府軍に壊滅させられた。王国政府軍の指揮官カンバーランド公は生き残りのジャコバイト軍兵士や捕虜の首を刈り、屠殺屋の異名を賜る。王国政府は反乱の再発防止のために、キルトとタータンの着用を禁じ、氏族制度(クラン)を解体して政府軍をハイランドに常駐させた。スコットランド人にとって、これは屈辱的な仕打ちに映った。)
コーダー城はハイランドで一番優美な城と称されており、堀にかかる跳ね橋からの眺めなど、絵本から飛び出てきたような美しさ。城内は手入れの行き届いた広大な庭園がある。コーダー家はスコットランドの名門貴族であり、伯爵家である。現在でも家族が城に住んでいるが、夏の間は城の一部を一般公開している。見どころはたくさんあるが、家宝の「14世紀の木」が鎮座する地下牢、塔の中にある「黄色の居間」は、特筆に値する。

コーダー城

イギリスの屋根と呼ばれる丘(一帯はケアンゴームズ国立公園、英国で一番広い・・・夏に咲くヘザーの花が美しい)を通過してアヴィモア(冬季はスキーリゾート地となる)で昼食。小雨の降る中、スペイ地方に入り左右をヘザー(ヒース)が密生する荒涼たる丘陵地帯を通り、スコッチ・ウイスキー蒸留所・Dalwhinnieに到着。モルト造りーマッシュ作りー発酵―蒸留―ポットスティルー酒精溜めー熟成の各工程を案内・説明してもらった。最後に15年もののシングルモルトを数杯試飲したが、その旨かったこと、味絶品なり。スペイ地方はピートを使わない蒸留所が多く、一方アイラ島ではピート主義とのこと。
一路エジンバラに向かう。途中でエジンバラの北にあるフォース湾に架かるフォース鉄道橋を
車窓より眺める。この鉄橋は1890年に完成し、当時は世界で最も長い(2.5km)スチール製
のゲルバー橋であった。なお、橋のデザインはグラスゴー大学で学んだ日本人技術者・渡辺 
嘉一が提案している(英国では世界遺産暫定リストに入っている)。
夕刻、エジンバラ新市街の中心部にあるホテルThe Georgeに到着。

(4)4日目(6月7日<木>)・・・曇り時々晴れ一時雨
エジンバラ市内巡り。
エジンバラは人口50万人、金融の町、スコットランドの首都。
エジンバラ城を中心に、中世の面影を色濃く残す旧市街と、18世紀後半から都市計画に基づいて建設された新市街が、美しく調和する。1995年に「エジンバラの旧市街と新市街」として世界遺産に登録された。

@ 旧市街
・ロイヤルマイル
エジンバラ城は優れた要塞だったが、宮殿としては、居住性が良いとは言い難かった。そこで、15世紀末、城の東側にある平原に新宮殿が建てられた。城からそのホリルード宮殿まで、王族が移動する際に使った1マイルの道は、その後、ロイヤルマイルと呼ばれるようになる。旧市街の中心を東西に延び緩やかに下るこの通りは、西からキャッスルヒル、ローンマーケット、ハイストリート、キャノンゲートの四つの通りから成り、周辺には16〜17世紀に造られた建物が連なる。
ハイストリートの南側、高く聳える優美な王冠形の塔を備えているのは、聖ジャイル大聖堂。12世紀前半にノルマン様式で建て直され、フランスの聖人である聖ジャイルの名が付けられた。当初はカトリックであったが、現在は英国国教会の聖堂となっている。
・エジンバラ城
エジンバラ城の三方はすべて切り立った崖。一方にだけ頑丈な城門が設けられている。その城門の前は広場になっていて、夏の間の三週間、ここはエジンバラ・フェスティバル最大のイベント、「ミリタリー・タトウー」(軍楽隊のパレード)の会場となる。衛兵のそばをすり抜け、小さな橋を渡ると最初の城門。その城門のわきの壁には左右一体ずつ、スコットランド独立の英雄、
ロバーツ・ザ・ブルース王とウイリアム・ウオレスの像が祀ってある。
堅牢な城壁の中、様々な時代の建物が密集する。最も古い建物は12世紀に建造された聖マーガレット礼拝堂である。
(城を王宮として使用した最初の王、マルカム3世の妃マーガレットは、イングランドのサクソン王の孫。信仰心が極めて篤く、スコットランドにローマ・カトリックを導入し、各地の教会活動に献身的に奉仕した。その功績から死後150年以上経ってから聖者に列せられ、聖マーガレットと呼ばれるようになる。彼女に捧げられたノルマン・ロマネスク様式の礼拝堂の内部は、マーガレットの姿を描いたステンドグラスが美しい。)
ひと際高い塔を備えた建物は、王家の住居であった宮殿。ここには、16世紀に女王として数奇な運命を辿ったメアリ・スチュアートが、後のイングランド王ジェームズ1世(スコットランド王としてはジェームズ6世)を生んだ小さな部屋が残されている。また、スコットランドの王冠や1996年に700年ぶりにイギリス政府から返還された、歴代スコットランド王の戴冠の座である「Stone of Sconeスクーンの石(Stone of Destiny運命の石とも呼ばれる)」なども展示されている。
・ホリルード宮殿
ロイヤルマイルの東端に位置するホリルード宮殿は、もとは1128年に造られた聖アウグスティヌス修道会の聖堂であった。1498年に国王ジェームズ4世が聖堂の来客用施設を公式の宮殿として改築するが、16世紀中頃にイングランド軍の焼打ちに遭い、その後、宮殿だけが再建された。1566年3月9日、スコットランド女王メアリー・スチュアートが重用し、寵愛するイタリア人秘書ダヴィッド・リッチオが、宮殿内でメアリーの夫、ダーリン卿の陰謀により殺害される事件が起こった(リッチオ惨殺事件)。北ウイングの一室が、その殺害現場だとされている。現在ここは見学ができるが、古い木の床にはかすかにリッチオの血痕が残り、その傍らの腰板にそれを記した真鍮板が埋め込まれている。
宮殿は17世紀半ばにも再度イングランド軍により破壊されたが、1671年、国王チャールズ2世の命を受けた建築家ウイリアム・ブルースの手で見事に再建され、現在に至っている。
そして今も、英国のエリザベス女王がスコットランドを訪問した際には、この建物が公式の宮殿として使用されているのである。
宮殿は華麗な装飾が施されており、なかでもグレート・ギャラリーにある、(チャールズ2世がオランダ人画家に描かせた)89人の歴代スコットランド王(内1人のみ女性でメアリー女王)の肖像画は圧巻。
なお、宮殿北側に廃墟となった修道院(宮殿よりもその歴史は古く、12世紀にディビット1世によって建てられた由緒正しい修道院)が保存されているが、メンデルスゾーンが訪れその姿に感動して、交響曲「スコットランド」を作曲したことでも知られる。

A 新市街
1707年、イングランドとスコットランドは合併され、18世紀半ばには漸く平和な時代が訪れた。エジンバラの人口も増加し、新しい街づくりが求められるようになった。旧市街は既に過密状態なので、エジンバラ城に北側の湖を一部埋め立て、新しい土地を造成。
1767年、エジンバラ市は新市街の建設計画案を公募した。選ばれたのは23歳の無名の建築家、
ジェームズ・クレイグのプランだった。クレイグの計画は、まず起伏のある土地を地ならし
して平らにし、馬車時代の到来に備えて、道路の幅を広く取るというもの。また、建物(高さ3Fで統一、砂岩使用)と道路を碁盤の目のように整然と配置し、その間に方形や円形の広場を配して、街並みにそれまでにない広がりと優雅さを与えようとした。新市街のメインストリートをジョージ・ストリートと名付け、その道の交差点に銅像を立てた。エジンバラ城や旧市街の建物を後景として立つ銅像は、街の景観を一層印象的なものにした。
その後、建築家ロバート・アダムが計画を引き継ぎ、1791年には新市街で最も美しいとされるシャーロット広場(現在ナショナル・トラストが保有)を完成させた。広場の周囲を統一感のある建物が取り囲み、落ち着きと気品を醸し出す街並みは、大きな注目を集めた。これらの建物には貴族や資産家が住み、景観を考えて洗濯物も部屋の中に干すことが義務付けられた。
また、19世紀になると、古代ギリシャの建築様式が人気を呼び、プリンシズ通りにスコットランド王立アカデミーが建てられ、東側のカールトン・ヒルには神殿風のナショナル・モニュメントが造られた。このことから,この街は「北国のアテネ」とも呼ばれている。

 午後からは自由行動。各自アフターヌーン・ティ、ショッピング、美術館・博物館巡りやディナーを楽しんだ。

カールトンヒルから望むエジンバラ城

最後に、スコットランドを代表する人物と言えば、<スコットランドの国民詩人>ロバート・バーンズであろう。この詩人の生誕を祝う<バーンズ・ナイト>という行事が、死後200年以上経った現在でも盛んに行なわれている。バーンズ・ナイトは、詩人の誕生日の1月25日前後に行われる。スコットランド国内にとどまらず世界中どこにいても、スコットランド人がいるところでは人々が集まって、この特別な行事が催される。その時に最後に全員で合唱するのが、「Auld Lang Syne」(遠き昔)と題された古いスコットランド民謡で、作詞はもちろんロバート・バーンズである。

      昔馴染みの忘らるべきや、
      心に思い起こさずに。
      昔馴染みの忘らるべきや、
      また遠き昔のことの。

      いざ遠き昔のために、君よ、
      いざ遠き昔のために、
      我等友愛の杯とらん、
      いざ遠き昔のために。

  実はこれが「蛍の光」の原曲である。明治初年に井沢修二のよって紹介され、「小学唱歌集」の中に採り入れられた。「蛍の光、窓の雪・・・」の歌詞を考えたのは国文学者の稲垣千頴である。

(5)5日目(6月8日<金>)・・・曇り時々晴れ一時小雨
湖水地方に向けて出発。途中各自車内でBoxランチをとる。
スコティッシュ・ボーダーズ地方(大陸がくっ付いたところ、太古の時代にはスコットランドとイングランドは別々の大陸であった)を経由してBirdoswald Roman Fortで世界遺産「ハドリアヌスの長城」(1987年登録)を見学した。
AD43年、グレートブリテン島はローマ帝国に侵入され、イングランドはその属州となった。
だが版図を拡げたものの、ローマ軍は戦闘的なケルト民族系のピクト人の襲撃に悩まされていた。
122年頃、ローマ皇帝ハドリアヌスはイングランドを視察し、ピクト人の南下を防ぐため防壁の建設を命じた。約2年後イングランド北部の西海岸ボウネスから、東海岸のニューカースル・アポン・タインまでを横断する全長約120kmの防壁がほぼ完成し、皇帝の名をとって「ハドリアヌスの長城」と命名された。当初は土塁と木柵で構築されたが、2世紀末に石積みの防壁に改築された。長城には二つの見張り塔を持つ小さな砦が1ローマ・マイル(約1482m)ごとに造られ、兵士が20人ずつ配置された。これとは別に合計17の要塞も築かれ、各分隊の兵舎、病院、穀物倉庫、浴場などが設けられた。長城の守りについたのは、南仏などの属州から徴募された約1万人の予備役兵士だった。
長城に並行する軍用道路沿いには、店舗や宿舎などが立ち並ぶ街が形成され、平時には兵士たちで賑わった。しかし、4世紀後半、帝国の衰退と共にローマ軍は撤退。残された長城は17世紀初頭まで、スコットランド人の侵入を防ぐ防壁として利用された。
なお、同じくローマ帝国が築いた防壁として、2005年と'08年に、ドイツとスコットランドの2ヵ所の遺跡が追加登録された(現在の世界遺産名称は「ローマ帝国の境界線」)。

ハドリアヌスの長城

長城見学の後、湖水地方に向かう。湖水地方には大小30以上の湖があるが、ハイランド地方と同様に氷河の浸食により形成されたもの。因みに、スコットランド及び北イングランドの水は水源がいずれも氷河により形成された湖であり、軟水で旨い。
湖水地方はナショナルトラスト運動の発祥の地でもある。産業革命の荒波からこの美しい土地を守ろうとして、当初はハードウイック・ローズリー牧師以下わずか3人でスタート、またジョン・ラスキンもナショナル・トラストの歴史に大きな影響を与えた人物である。現在、湖水地方の大部分はナショナル・トラストの保有であり、全体が国立公園となっている。
ウイリアム・ワーズワースゆかりの地、グラスミアに到着。ワーズワースと妻メアリー、妹のドロシーが眠る墓地があるオズワルド教会を訪ねたり、セイラ・ネルソンのジンジャーブレッド
を求めたりしながら、グラスミアの町を暫し散策。

    かつて輝かしかりしもの、今や我が視界より永久に消え失せたりとも、
何物も昔を呼び戻せはしない。
草原の輝き、花の栄光、
ふたたびそれは還らずとも、嘆くなかれ、
その残されたものの奥に、秘めたる力を見出すべし。  
(映画「草原の輝き」より。「幼少時の回想から受ける霊魂不滅の啓示」) 

小雨の中、当初予定していたハイキングコース(コフィン・パスCoffin棺桶の意、「ワーズワースの小道」とも呼ばれる)を取り止め、グラスミア湖を眼下に望みながらダヴ・コテージ(ワーズワースが最初に住んだ家、8年半の間に自伝的長詩「プレリュード」を始めとする代表作のほとんどが、ここで書かれている)から舗装された道路を約40分間、ライダル湖が見える所まで歩く。
その後、ウインダミア湖北岸の町、アンブルサイドからウインダミア湖の遊覧船に乗り南下、
湖水地方の中心リゾート地、ボウネスまで移動。
ウインダミア湖は湖水地方最大の湖として知られるが、東西の幅が平均2kmなのに対し、北のアンブルサイドから南のレイクサイドまでは17km、氷河時代にできた湖独特の細長い形をしている。ボウネスはこのウインダミア湖畔沿いにあり、湖水地方で最も観光客が多い町として知られている。
夕刻、ウインダミア湖が眼下に見下ろせる絶景ポイントのある庭園を有する、ザ・ベルスフィールド・ホテルに到着。このホテルもそうであるが、湖水地方のホテルやレストランは、ほとんどが元は富裕層の別荘や居宅であった。

ウインダミア湖

(6)6日目(6月9日<土>)・・・曇り時々晴れ一時小雨
本日のハイキングの最初は古代遺跡「キャッスルリッグ・ストーン・サークル」まで足を延ばした。ここは、英国南部にある世界遺産「ストーン・ヘンジ」に代表されるストーン・サークル(環状列石)の一つだ。BC3000〜2000年頃に作られたものと言われ、大きさは直径約30m、巨石の数は34個。1882年の発掘調査でも、この巨石群がどういう目的で作られたのかは不明だったそうだが、やはりストーン・ヘンジなどと同じように古代人が宗教的な目的で造ったのではないかと考えられている。
ダーウエント湖周辺の約4.8km(2時間)のフットパスを歩く(昨日から英国人山岳ガイド
<ブルーバッジ、オックスフォード大卒>が同行)。湖畔の町ケズウイックに到着。北湖水地方の観光拠点である。ケズウイックのKESはチーズを意味し、WICは農場を意味する。1276年
エドワード1世から羊毛取引のマーケットとしての許可を受け、1500年頃には、周辺の町や村をリードする羊毛と革製品産業の中心的なマーケットタウンだった。その後16世紀に、ダーウエント湖畔の南に位置するボロデールで黒鉛が発見されたことで、18世紀の終り頃まで黒鉛採掘業が盛んとなり、この黒鉛を使った鉛筆産業が町の一大産業になる。アメリカやヨーロッパはもちろん日本などの極東にまで進出していたという。とは言え、その名残は少なく、今は「カンバーランド鉛筆博物館」を所有する工場が1軒残っているだけである。
ケズウイックで昼食(ます料理)を取った後、土曜市の立つ大通りを歩きダーウエント湖畔に到
着。暫し湖畔を散策(ダーウエント湖は「湖の女王」とその美しさを讃えられている)。
その後、サルミア湖を経由してホークスヘッドに向かう。ここはビアトリクス・ポターの絵本のモデルになった可愛い村である。この村の建物は漆喰の白壁の家ばかりであり、近くのアンブルサイドやグラスミアの家が、湖水地方独特の石積みのスレート造りなのとは異なっている。というのもここは中世には羊毛産業で栄えたマーケットタウンであったからである。
ポターの絵本でも使われたホークスヘッドの特徴ともいえる風景は、村の中心にあるアーチウエイと呼ばれる不思議な道と建物だろう。アーチウエイとは、2軒の家の2階部分を、道の上に建物を造るのこと連結させた家の造りのことである。ホークスヘッドが舞台となっている「まちねずみジョニーのおはなし」では、町から田舎に野菜かごが戻ってくるシーンで、このアーチウエイが背景に使われている。また、「ひげのサムエルのおはなし」や「パイがふたつあったおはなし」にも、このアーチウエイが登場する。
村の中心の広場の一つ、レッド・ライオン・スクエアには「ビアトリクス・ポター・ギャラリー」がある。このギャラリーは、ポターの夫ウイリアム・ヒーリスの弁護士事務所だった建物である。
ギャラリーの2階には、ポター直筆の絵本の原画やスケッチブック、水彩画が展示されている。この原画は「ピーターラビットのおはなし」の貴重な原画である。展示している原画は、毎年入れ替えている。1階に下りると、ウイリアムの事務所がそのまま残っている。タイプライターや電話、本棚などが置かれ、ポターやウイリアムの写真が飾られている。
ギャラリーを出たはす向かいには「ナショナル・トラスト・ショップ」もあり、ここには、ナショナル・トラストのオリジナル品がたくさん販売されている。ねらい目はビアトリクス・ポターの原画のコピーと関係書籍だ。
さらにレッド・ライオン・スクエアの先にある「ワーズワース通り」と呼ばれる小道へ進むと、道沿いに「ANN TYSONS HOUSE」と呼ばれるB&Bがある。ここは、かつてワーズワースと兄のリチャードが一緒に下宿していた家で、彼らはここに1783年までの約4年間住み、下宿のおばさんであったであったタイソン夫人にとても可愛がれたそうだ。後にワーズワースは、代表作「プレリュード」の中で、タイソン夫人のことを「my old Dame」と呼び、田舎のおばさんである夫人を公爵夫人の敬称Dameを使って歌いながら、懐かしく思い出している。
村の入口にはワーズワースが通っていた「ホークスヘッド・グラマー・スクール」がある。この学校は、1585年の創立された伝統ある学校で、ワーズワースはここに約9年間(1779年〜1787年)通学していた。当時のホークスヘッドは隆盛だった羊毛産業が衰退しかけており、村を活性化させようと、優秀な生徒を育てる目的で学校を設立することを計画し、両家の男の子たちを集めた。
ワーズワースはここで学んだ後、ケンブリッジ大学へ進学したことを考えると、この学校は質の高い少数精鋭教育をしていたようだ。しかし、1909年、新しい時代の教育とはそぐわないという理由で閉鎖された。
この頃のグラマーとはラテン語のグラマーを意味し、ラテン語を学ぶということは、当時の紳士のたしなみだった。学校はごく小規模で(約100人)、1階には教室がそのまま残っている。
その後、オプショナル・コースで有志11名がバスでヒル・トップに移動し、ポターが1905年に購入した農場を見学(この農場はベストセラーとなった処女作「ピーターラビットのおはなし」の印税などで購入したもの)。ヒルトップからフェリー桟橋までハイキングを行ない、フェリーで対岸にあるホテルに帰着した。
ポターは1943年、77歳で亡くなったが、死後彼女の遺言により(夫の死後という但し書き付きで)4300エーカーの土地と15の農場、そして多数のコテージが、自然保護の目的でナショナル・トラストに寄贈された。今日湖水地方の美しい自然と景観が100年前と同じ姿で奇跡のように残っているのは、ポターが未来の私達のために贈ってくれた遺産のおかげである。
余談になるが、ハイキングに参加しなかった者はバスで直接ホテルに戻ったが、途中アンブルサイドの町を通過する時、対向した回送中のバスの表示には「Sorry. I!m not in service」と書かれていた。いかにもイギリス的(いやイングランド的か?)ではないか!

(7)7日目(6月10日<日>)・・・晴れのち曇り一時小雨
北部イングランド・湖水地方から高速道路を走り、一路中部イングランド・コッツウオルズに向かう。途中、ストウ・オン・ザ・ウオルド(11〜12世紀には羊毛取引が盛んでコッツウオルズ地方で最も栄えた町の一つ)で昼食。
コッツウオルズ地方は15〜16世紀には羊毛産業の中心地として大いに栄えたが、その後の産業革命の波に乗り遅れ過疎化した(エネルギー源、石炭がなかった)。しかし結果としてイングランドで最も美しいといわれる 田園風景「田舎」が残った。ラファエル前派などの画家たちが移り住すんだり、ウイリアム・モリスの紹介などにより有名になり、今日ではここに家を構えてロンドンなどの大都会に通勤したり、富裕層はここに広い家を購入して週末をゆっくり過ごす憧れの地になっているようだ(その影響か現地で聞いた不動産価格は驚く程高かった)。
またこの地方で採れる石灰岩、Limestoneが町並みを彩っている。北東部ではハチミツ色をしたこのライムストーは、中部では黄金色になり、さらに南西に下ると真珠のような柔らかい白色へと変化していく。飲料水も石灰岩が多いので、硬水であるが旨い。
(本日から2日間、別のブルーバッジ・現地ガイドがハイキングに同行した。)昼食後、スローター村をハイキング。アッパー・スローターからロウアー・スローターを目指しフットパスを歩く。
フットパスには途中(牧場の境界)に必ずゲートがある。1981年に故ダイアナ妃とチャールズ皇太子がここを通過した時、キスを交わしたと言われるKissing Gateがあった。各夫妻そこで記念の写真を撮る。また各村には1軒マナーハウスと呼ばれる広大な敷地を有する館がある(ノルマン時代の封建領主の館が起源)。敷地には川が流れ、庭には青々とした芝生が敷かれ,静けさに包まれたおり、現在はほとんどがホテルとなっている。

ロウアー・スローター村でのハイキング

ハイキングの後、「コッツウオルズのベネチア」と呼ばれるボートン・オン・ザ・ウオーターに立ち寄り、暫し散策。
チッピング・カムデンの町並みを車窓より眺め、郊外のミケルトン村にあるホテルThree Ways House に到着した。このホテルはイギリスの伝統的なデザート「プディング」の復権を願い、プディング・クラブを立ち上げ、今や100軒が加盟する組織の中心的存在となっている。この夜は2回目の全員での会食。メイン・ディッシュも美味であったが、デザートのプディングは、日本で食べるのとは全く違う代物でフレンチ・トーストの同類かとも見まがうものであった。しかし食べてみるとシンプルな素材ながら美味しく仕上がっており、伝統のデザートに感服!
また、ホテルの部屋は小振りながら各部屋の内装を部屋ごとに変えており、細かいところにまで工夫を凝らした素晴らしいホテルであった。こんな田舎にこんなホテルがあるのか!という印象を強く持った。

(8)8日目(6月11日<月>)・・・雨
バイブリー村に向かう。この村はウイリアム・モリスが「イングランドで一番美しい村」と絶賛したことで一躍有名になる。雨の中、傘をさしながらのハイキングとなったが、コリン川沿いにあるトラウト・ファーム、アーリントン・ローや聖メアリー教会を見学したり、広大なマナーハウスの庭を散策したりした。

バイブリーの蜂蜜色の家並み

昼食後、オックスフォードに向かう。オックスフォード大学は13世紀に創立され、38のカレッジと6つのホールと呼ばれる学校で構成する大学である。英国で最も古い歴史を持つ。学生数は約2万人で1970年代に男女共学となった。学生はカレッジかホールの一つに所属し、他のカレッジやホールの講義はどれでも聴講できる。そして必要単位が取れればオックスフォード大学の卒業・学位が授与されるという仕組み。
英国の大学は全て国立であるが、イングランドは大学の授業料が有料(数十万円/年)であるのに対し、スコットランドは無料である。また、イングランドの人がスコットランドの大学に入学した場合には有料になるが、一方でEUの人が入学した場合には無料となるそうだ。ここにも歴史的、文化的に大変複雑な両国(敢えて国と言おう!)の関係が垣間見れるではないか。
最初に一番有名なクライスト・チャーチ校を見学した。1546年、ヘンリー8世が学寮と礼拝堂を合わせた教育機関として新たに組織したためこの名称があるという。大聖堂とカレッジを合わせ持ち、大聖堂のステンドグラスが美しい。カンタベリー大司教トーマス・ベケットの殺害場面が描かれたステンドグラスは卿の顔の部分が塗りつぶされていた。表の塔はトム・タワー。イングランドで一番大きな鐘、グレート・トムを収容していて毎晩21時5分に101回鐘が鳴り出す。
チャーチ内のグレート・ホール。カレッジの学生は今でもここで食事を摂る。このホールの壁面にはクライスト・チャーチに関係する著名人(ヘンリー8世が大きかった)の素晴らしい肖像画が飾られている。まるで中世さながらの食堂である。映画「ハリー・ポッター」に出てくる魔法学校の食堂のモデルにもなった。
「不思議の国のアリス」の著者、ルイス・キャロルはクライスト・チャーチの数学教師をしていた。アリスのモデルはクライスト・チャーチのの学長のお嬢さんであった。グレート・ホールのステンドグラスには「アリスとうさぎ」をモチーフにしたものがある。
オックスフォードの街中にアリスショップがある。日本人の女の子はアリス好きでこの店のお客さんはほとんど日本人だそうだ。

 聖母マリア教会を見学。教会の中で現存する最古の建物は、1280年に建てられた塔。礼拝堂の内部は荘厳たる雰囲気が漂っていた。
最古の常設大学(1264年設立)であるマートン・カレッジ(浩宮皇太子殿下が留学した)の前を通りながら、荘厳なカレッジや図書館などの建物が立ち並ぶオックスフォードの街中を散策し
ショッピングも楽しんだ。

クライスト・チャーチのグレート・ホール

夕刻最後の宿泊地、ロンドンに向かい、ハイド・パークに面したLondon Hilton on Park laneに到着。旅装を解き、各夫妻でソーホーの中華街やピカデリー通りのレストランでディナーを楽しんだ。

(9)9日目(6月12日<火>・・・小雨後曇り
延泊をしない3名が、出迎えのバスに乗り込みヒースロー空港に向かう。わずか3名に対して何と大型バスが迎えにきた。これも英国らしいご愛嬌か。このおかげでロンドン在住十数年の
日本人女性ガイドから、ロンドンや皇室事情についてたっぷり聞くことができた。
13:30発BA005にて成田へ。

(10)10日目(6月13日<水>
定刻通り9:05成田着。 

5. あとがき
(1) 連合王国の実態が文字通り体験的に実感できた。特にイングランドとスコットランドは1000年近くの抗争の歴史があり、異なる国と感じた。スコットランド政府はほぼ国としての機能を持ち、外交、安全保障と英国予算以外の事項は独自に決定・執行している。近い将来に独立する可能性も十分にあるが、両者の間に紛争が起こっている訳ではない。そういった意味では大人の関係か。
(2) 例を挙げれば、ポンド紙幣をイングランド銀行と三つのスコットランド銀行が発行しているが、スコットランド銀行が刷っている紙幣には、エリザベス女王の肖像がない。
スポーツの面でもイギリス旅行中にサッカーのユーロ選手権が行われていた。スコットランド人は、決勝リーグに残ったイングランドがユーロの他の国と対戦する時は、相手国を応援していた。また、52年ぶりのロンドンオリンピックではサッカー代表は(大いに揉めた末に)統一チームGBとして出場するが、大半がイングランドの選手であり一部がウエールズの選手、スコットランドと北アイルランドの選手は一人も出場しない。
(3) さすが大英帝国、と感じたのが、どんな田舎に行っても道路わきの雑草は綺麗に刈り取られ
ており、ゴミ一つ落ちていない。トイレも大変清潔で設備も整っている。また、田舎のホテルが素晴らしい。領主の館(マナーハウス)や金持ちの邸宅、別荘などをホテルとしているだけに、広い庭園、建物、内部の応接室、バー、家具や内装などが荘重で歴史と文化をたっぷりと感じさせてくれる。
(4) 最後に、英国人の洗練されたPolitenessが心に響く旅物語でもあった。 
以上

羽山記

STC海外遠征第2弾 ヨセミテ国立公園への旅から戻って

8月25日〜8月31日の日程で、サンフランシスコ、ヨセミテ国立公園への旅に出たのは

小杉(A)、杉本(E)、佐藤(H)、徳永(G)、羽山(I)、岩下、西村(L)の7組の夫妻。3年前の海外旅行の第1弾、スイスへの旅のメンバー10組からすると減ったが、新たに小杉夫妻と神戸から参加の岩下夫妻の2組が加わってくれました。今回の旅は昨年実施する計画でしたが、ヨセミテ国立公園内の宿泊施設の予約がなかなかできず、1年遅れの実現となりました。小杉、羽山、徳永の3君に世話役として入念に調査のうえ、企画を検討、旅行社との折衝に当たってもらいました。かくして、我々7組専用の旅行プランが完成、出発の手はずが整いました。 

9.11以降初めて足を踏み入れたアメリカ本土でしたが、入国手続きの厳しさ等々、煩わしさが増したことを実感しました。

現地時間の25日朝、先発の杉本、羽山両夫妻と現地ガイドの出迎えを空港で受けてから、手配の専用バスで市内観光へ。サンフランシスコは記録的な猛暑が続いていたそうですが、この日は名物の霧は出ませんでした。おかげでツイン・ピークス展望台からは眼下に全貌が見られ、39号桟橋から乗った周遊船からもくっきりと対岸の景色を眺めることができました。でも「霧のサンフランシスコ」を味わえなかったのは一寸残念。観光名所のフィッシャーマンズ・ワーフでは名物の・チャウダーと小エビのカクテルを楽しみました。先発の羽山、杉本両夫妻を歓待して下さったバドミントン部の大先輩、最上氏(昭32卒)ご夫妻が夕刻奥様手作りのクッキーを差入れにホテルへ来てくださり、一同ロビーで暫し歓談しました。

ゴールデン・ゲート・ブリッジ

翌日はチャーターしたガイド付き専用バスで約4時間半掛けて一路ヨセミテ国立公園へ。途中、広大な原野に展開される無数の風力発電用の風車について説明を受けました。これら風力発電によって、電力がサンフランシスコ一帯の80万世帯に供給されていることを知り、そのスケールに吃驚。

到着したヨセミテ国立公園では、巨岩とジャイアント・セコイアの古い大木の群れには瞠目。しかし、春には雪解け水で迫力ある滝の光景は水不足で見られませんでしたが、見ごたえは充分でした。

トレッキングはSTCの目的の一つです。初日は広い公園内をシャトル・バスを利用しながら全員で歩いて見て周りました。2日目は脚力に応じて2班に分けてトレッキングをしました。パノラマ・コース(約7時間の行程)を選んだ小杉、羽山、杉本の3組の夫妻は下り始めてからの絶景に目を奪われたといいます。ところが、一気に1,000mを超す高みから下った後の急峻な上りには悲鳴を上げたようです。さりとて戻れるはずもなく、ひたすら前進あるのみ。夕刻、へとへとになってアワニー・ホテルへチェック・インとなりました。

ヨセミテではヨセミテ・ロッジに2泊、そして「アメリカ人も憧れる」アワニー・ホテルに1泊しました。アワニーホテルは期待にたがわず、静かな佇まいの中にも重厚な雰囲気のあるホテルでした。ヨセミテ最後の夜、7組の夫婦はそれぞれダイニング・ルームで豪華なディナーを楽しみました。永く記憶に残るでしょう。

ヨセミテの絶景にて全員集合 ヨセミテ絶景 グレーシャー・ポイント
パノラマ・トレール トレッキング バーナル滝 トレッキング アワニー・ホテル

翌日午後には、アワニー・ホテルへ迎えに来てくれた車に乗って、再びサンフランシスコへ。STC企画の旅はここまでで、翌朝には現地解散となるため、フィッシャーマンズ・ワ−フの“ネプチューン・パレス”でお別れディナーを行いました。サンフランシスコ湾に落ちる夕陽を眺めながら賑やかにシーフードとカリフォルニア・ワインでひとときを楽しみました。

ネプチューン・パレスで最後の晩餐

8月30日、7組全員が集う最後の朝は帰国の途につく杉本、羽山両夫妻、ラスベガスへ先発する小杉夫妻、延泊して更に1日サンフランシスコ滞在を楽しむ4組の夫妻がホテルのロビーで互いに無事の旅を祈りあいながら別れの挨拶をしました。

この後の2グループのオプショナル・ツアーの日程のみ付記します。

日程 佐藤・徳永・岩下・西村夫妻 小杉夫妻
8月31日 ラスベガスへ移動。夕刻、小杉夫妻と再合流、二手に分かれてラスベガスの夜を楽しむ。
ラスベガス泊
9月1日 グランドキャニオン移動後、公園内周遊。
夕陽を眺めた後、ホテルへ。
グランドキャニオン泊
グランド・サークル・ツアーに出発。
ザイオンからブライスキャニオンへ。
ブライスキャニオン泊。
9月2日 早朝、日の出の光景を見に。
昼間:渓谷トレッキング。
夕刻ラスベガスに飛ぶ。ラスベガス泊
ブライスキャニオンで日の出観賞、その後谷底をトレッキング。
奇岩の続くアーチーズへ。
モアブ泊。
9月3日 ソルト・レーク経由帰途に デリケートアーチへトレッキング。
西部劇の故郷、モニュメントバレーへ。
モニュメントバレー泊。

9月4日

帰国

アンテロープの洞窟を見物の後、グランドキャニオンへ。
グランドキャニオン泊。

9月5日

 

グランドキャニオンで軽いトレッキング。
ラスベガス泊。

9月6日

 

ソルトレーク経由帰途に。

9月7日

 

    帰国


グランドキャニオン渓谷ハイキング グランド・サークル景観

<旅を終えての感想>

途方もなく大規模にして荒々しい大自然、そして世界最初の国立公園としてイエロー・ストーンを1872年に誕生させ、1916年にはその自然を保護する目的で世界最初の国立公園法を制定・実施に移す意識の高さ、ヨセミテもグランドキャニオンも豊かな自然を非常に清潔に保ちながら維持されてるのには感銘を深くしました。 同時に、原住民のインディアンを残虐な仕打ちで抹殺、追いやった歴史的事実にアメリカの陰をみました。類稀な先進技術を開発し、世界をリードしてきたパワーは既に1930年代後半にしてゴールデンゲート・ブリッジ(全長2,737m、1937年完成)、フーバー・ダム(1931年着工、1936年竣工)の建設に見てとれます。特にフーバーダムは貯水量400億トンといいますから、今日の日本のダム2,500基の総貯水量250億トンを上回ります。戦後現地を訪れた我国の電力業界関係者をも驚嘆せしめた高い技術力の萌芽を見た思いでした。

参加者全員にとって大満足の旅でした。 元気なうちに、第3弾は出来るなら2年後に再度、「ヨーロッパ」との声もあがっています。これも今回アメリカに行き、ヨーロッパとの違いが新たに意識されたからでしょうか。

西村周一(L)記

STC2009年夏のイベント

日時 :7月18日(金)〜20日(月)
場所 :月山志津温泉、羽黒山、酒田、姥ガ岳
メンバー:*小杉、*佐藤、*杉本、*徳永、中島夫人、*西村、*浜石、羽山、依田
      湯川、*平井(*は夫人同伴)

佐藤リーダーのアレンジの宜しきを得て予定通り山形駅全員18人無事集合。
宿のマイクロバスで車窓から季節を過ぎたさくらんぼ畑を見ながら産地寒河江を経て一路月山の麓の志津温泉仙台屋。
東京を出た時は曇り、途中小雨であった天候が本格的雨模様になり前日の大雪山の悲劇から車中今回、トレッキングも無理するのをやめようとの話あり。

宿で昼食のキノコいっぱいの蕎麦を堪能し月山のネイチャーでガイドと会い付近の散歩へ。雨がしたたり落ちるブナの木に感動したり、尾根道で冬場積雪の重さで大きく変形した木々にびっくりしたり、目の前の樫の大木が6メートルの積雪に埋もれた写真と現物に驚いたりしながら雨の散策を堪能した。

夜は宿の地元料理を楽しみながら佐藤リーダーの名司会のもとに近況報告と翌日の天候を考慮し鳥海山のトレッキングの予定を変更、羽黒山、酒田方面へのドライブへの変更が提案あり。全員賛成。
食事に続く2次会では酒を楽しみながら秋の熊野古道へのトレッキンング、霞山会館での忘年会、来年8月にはSTC10周年を兼ねてサンフランシスコ、ヨセミテ旅行が提案あり。

いずれもそれぞれを浜石君、湯川君、羽山・小杉・徳永君を幹事に実行することで決定。

翌日は鳥海山のガイドを予定していた設楽さんの運転及び案内で羽黒山、酒田見学へ。
羽黒山では多くの参詣者に交じり三神合祭殿に参拝し国宝五重塔見学。
塔付近には大きな滝があり参道の周囲は杉の古木がそびえあたかも熊野古道をリハーサルしているようだとの話あり。

昼食を取るべく酒田港隣接の名物海鮮レストランへ。長蛇の列にやむを得ず並んだも所を浜石君の機転のおかげで至近の海鮮料理店へ。
ビール、酒を飲みながら刺身定食、ちらし寿司、ウナギ等各人好みで酒田をエンジョイ。

食事のあと酒田米が貯蔵されていた山居倉庫見学。吉永小百合がJRの大人の休日倶楽部
のポスターに使った欅の並木と隣接する倉庫を散策。
帰路藤沢周平の生家付近とのの案内を受けながら当日の宿泊地まいづるやへ。

ドライブで疲れていなかったものの食事会はいつものごとくビール、地元のワイン、杉本君差し入れの古酒と食事と酒を堪能しながらの風論談発。

3日目はガイド設楽さんの案内で念願の月山トレッキング。
リフトを経て姥ガ岳へのトレッキング。雨上がりの木々の緑がとても美しい。
3週間前に来た時はまだこの辺も雪だったという佐藤君の話やあちこちに咲き乱れる高山植物の説明を聞きながら頂上へ。
胸がパクパクしながらもきわめた頂上は季節の高山植物が可憐で美しく又の雲の合間から見える鳥海山の景色を楽しんだ。

引き続き牛首のあたりを歩き雪渓に足を踏み入れたり高山植物の名前を確認したり、覚えたりしたり山の雰囲気を楽しんだあと昼食をとり姥ガ岳経由下山した。

1,2日は雨であったものの予定外の羽黒山に行け酒田を楽しんだ上3日目に天気に恵まれ月山に続く山々に足を踏み入れて季節の見事な高山植物を観察、堪能できた素晴らしい旅行となった。

この時期東京にいても天気に恵まれない中で、月山ですばらしい一時が過ごせたのはいつものことながら佐藤夫妻の事前準備と集まった皆のまとまりと感謝するのみである。
とても楽しい旅行であった。

(平井記)

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県立自然博物園 雨の中の観察 姥ケ岳 頂上の高山植物に囲まれて
2008年秋のSTC報告

実施日:10月19日(日)〜10月21日(火)
実施場所:山形県月山(1984m),姥ヶ岳(1700m),湯殿山(1500m)、山寺
参加者:徳永君、羽山君、中島夫婦、浜石夫人、今村夫人、依田君、佐藤夫婦、西村君

第一日目の10月19日;晴天
東京駅を8時08分出発、約3時間後に山形駅に着く。
明日の足慣らしも兼ね、ブナ林を中心に自然環境の整った「山形県立自然博物館」に向かう。ブナ林、栃の木が生い茂った山道を歩きながら、佐藤君からブナの葉の特徴、水ナラとコナラ違い等など、教えてもらいつつ二時間の散策をした。
宿には16時ごろ到着、夕食は19時から。地元の生ワインで乾杯。山形牛のステーキ、きのこ、山菜満載の芋煮を堪能。

第二日目の10月20日(月):晴天
今回メイン行事の月山トレッキングに8時半出発。
月山麓まで宿の車で行き、麓からリフトで20分ほど乗り、月山登り口到着。
ガイドによると、月山・湯殿山・羽黒山は平安時代の頃から出羽三山と呼ばれ東北地方の修験道の中心地として一般民衆の信仰が厚かった。羽黒山、月山で修行した行者は湯殿山で悟りの境地に入った。現在でも湯殿山は神域として登ることは禁止されている。
月山トレッキングコースは4時間コースと6時間コースがあり、われわれはより困難な6時間コースを選ぶ。
準備運動を念入りに行い、9時半、姥ヶ岳頂上目指して出発、約40分後到着。
爽やかな風が吹いて、気持ちの良い秋晴れ。お月様のような月山が右側にあり、眼下には湯殿山がゆったり構え、はるか前方には庄内平野が広がっている。
高山植物は枯れてしまっていたが、その痕跡をガイドさんが説明してくれる。
想像力を凝らして、草花の姿や、色を頭に描いても、さっぱり浮かんでこない。
姥ヶ岳より月山方面にある牛首まで行き、ここで戻り、姥ヶ岳を左に見つつ下り開始。下山道には殆どの所に石が敷いてある。道普請の労力は大変であったろう。
降りるに従い、紅葉した木々が目の前に現れ、ふと足元を休め見入ってしまう。
12時半、沢のほとりで握り飯を食べ、小休憩後、下山開始。
いよいよ最難関の梯子コース。足を踏み外したら、先を降りる人諸共数百メートル落下してしまうので、足元を見ながらゆっくりと降りる。宿のお上さんが保険を勧めたのもうなずけた。
難コースを過ぎても、下りは延々と続き、湯殿山神社に着いたのは14時半過ぎ。
入り口で裸足になり300円のお祓いをして貰い、ご神体であるは熱湯が湧き出る巨岩を登り、東に向かって拝む。足湯で足を浸し、神社を出る。
予定より1時間遅れて、宿に向かう。
今夜の夕食は山形牛のしゃぶしゃぶ、昨夜食べた芋煮を特別に5人分作ってくれた。
夕食後、一室に集まり、2次会。各自の現況報告、来年以降の計画など話題となる。

第三日の10月21日(火):晴天
最終日、松尾芭蕉の「閑さや、岩にしみ入る、蝉の声」で有名な山寺に向かう。
山寺の正式な名称は宝珠院立石寺といい、1100年ほど前に比叡山延暦寺の別院として慈覚大師により開山したものである。
山門から奥の院まで1015段といわれている石段を一歩一歩登るごとに煩悩が消えてゆくそうだ。登ること1時間、頂上の奥の院に着く。
降りは、途中、五大堂(昔の修業道場)から展望した眼下の風景を見てほっとはしたが、昨日の山くだりで酷使した脚が悲鳴を上げていた。
昼食は蕎麦を食べる。その量が多くて1人前で満腹で立ち上がるのがやっと。
帰りは予定より一列車早い新幹線で帰る。
この3日間は天気に恵まれ、楽しくもあり、辛くもあったトレッキングであった。

(中島記)

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自然博物園 紅葉の残るブナ林散策 月山を見ながらのトレッキング準備 湯殿山本宮鳥居前 山寺 松尾芭蕉像
STC遅い新年会を伊東で(平成20年2月1〜2日)

恒例の遅い新年会、今年も今村君のご尽力により伊東寮で開催。

小杉夫妻、佐藤夫妻、中島夫妻、羽山夫妻、今村夫妻の5組に西村、早川の12名は夕刻5時までに三々五々伊東寮に集結、源泉掛け流しの熱めの温泉をたっぷり楽しんだ後は、大広間で新年会。多種のご馳走が並ぶ中、特注の刺身の船盛りも加わり、いつもの事ながら豪華な食事に舌鼓打ちながら、和気藹々と各人近況並びに今年の抱負を報告し合い、今年の計画にも話は弾んだ。

今年の計画の大筋は、先ず2月29日〜3月2日の栂池スノウ・シュー・ハイキングのoptional outingに続いて、公式行事では、春:昨年秋に続いて奥秩父、秋:白神山地へ2泊3日の日程で別途、optionで5月に奥会津、尾瀬、那須(佐藤君の石花亭)の組合せ等が浮上、詳細決定は今後の煮詰めに委ねられた。尚、海外遠征第二弾に付いては、今年は外し来年とし、候補地はヒマラヤ、ニュージーランド、カナダ等が案として出て来たがこれもメンバー各位の意向を採り入れながら今後検討を進めることにした。

食べ、飲み、喋りで約2時間、膳の料理も粗方消えた所で、そのままカラオケ大会に。STCの集いでは初めてのカラオケ大会、どのような展開になるかと思いきや、今村君の歌には一同脱帽。元コーラス部との説明を受けて納得した皆であったが、白けかかった空気を破るべく立ち上がった中島君、「俺はオンチだけど後の皆が歌い易いように歌うよ」と勇気を奮って(?)「船頭小唄」を歌い始め皆も和して大合唱に。一般民家が隣接するこの寮は9時までに終了との規則に従いお開きにして、部屋を換えて3次会にと時の経つのも忘れた一夜であった。

翌日は朝食後伊東駅で、佐藤リーダーと一緒に下田まで足を伸ばし、爪木崎から須崎に掛けての海岸線の照葉樹林を観察しながら歩くグループと直帰するグループに分かれ、佐藤夫妻、小杉夫妻、中島夫妻に西村の7名は伊豆急黒船列車で一路伊豆急下田へ。爪木崎ではピークは過ぎていたが群生する水仙が何とも言えぬ芳香で迎えて呉れ、満開の菜の花の群れは一帯を明るく黄色に染め上げ、立春前ながら一足早い春の感じを味わわせて呉れた。須崎までの3km弱の行程も左は光る海に伊豆七島がくっきり、右手陸側に繁る高・中・低の照葉樹林、佐藤リーダーの解説を聴きながらゆっくりの2時間、楽しい散策であった。
仕上げは下田へ戻り、“いず松蔭”で昼食。散策後のビールの味は格別、選んだ金目鯛煮つけ定食も味とボリュームたっぷりで味も良く最高!皆、満腹で下田駅へ戻り帰途に付いた。

仲間、天候、温泉、食事、景色、全てに恵まれた2日間であった。今年これから続く企画も大いに楽しめるものであろうと期待!

西村(記)

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菜の花前 爪木崎水仙前 爪木崎〜須崎の見晴台で
STC・スノーシュー体験

2007・2・16−2・18
参加者は、湯川夫妻、徳永夫妻、佐藤夫妻、西村夫妻+娘さんのまりこさん、伊東さんの総勢10名でした

スノーシューというと、耳慣れない諸君もいると思いますが、要は雪上を歩くカンジキの洋風版です。近年、雪上トレッキング用に改良され、冬のスポーツとして日本でも注目を集めるようになりました。その魅力は、気軽に安全に雪山を楽しめることに尽きます。雪のない季節に踏み込めないようなところでも、入り込むことができます。急な斜面でも、それほど危険性を感じるまでもなく、降りることもできます。これによって、コースを大幅にカットできます。操作は簡単、ちょっとした慣れで、誰でも容易に雪山歩きができるのが嬉しいことです。

初日16日(金)快晴、昼に栂池集合、13時30分から、インストラクター赤沼さんの指導で、雪に覆われていた近くの田んぼで講習開始。田んぼとはいえ、雪に覆われれば大雪原です。スノーシューとストックは今回のツアーでは借りることになっており、助かりました。装着も簡単で、いざ、ゴーであります。平地はスタスタ滑るように、上りは前面のエッジを効かして、下りはかかとを効かして歩きます。転んでも怪我をすることはほとんどありません。田んぼの縁の林には、ツキノワグマが栗の木によじ登って餌をとった「餌棚」がありました。田んぼから、小高い丘へ、結構な運動量でした。夜はちょっとした雪山体験をした充実感で、盛り上がりました。

17日(土)、快晴。青空に白馬連峰の稜線がきっかり浮き上がります。ゴンドラで終点まで登り、標高1200m地点から、いざ出発。ブナ、ダケカンバ、シラビソが群生する林を歩きます。雪上には、キツネ、テン、ウサギなどのトレースが目につきます。 早朝まで活発な活動をしていたことが分かります。隊列を組んで、快調に雪上トレッキング、いきなり白馬の真っ白い山々が聳え立っていました。反対側を見やれば、浅間山や八ヶ岳がクッキリと確認できました。歓声、感動、冬山の荘厳な姿に心打たれました。参加が取りやめになった羽山隊長や参加できなかった皆さんの分もしっかり心に留めました。帰りは道をショートカットすべく、急斜面をあえて下ります。これが爽快なのです。誰も落伍することなく、怪我も無く、充実感をもって、ゴンドラで下りました。夜は食後、この日の行程の写真を見ながら、感動を語り合ったものでした。

18日(日)、雪。近くの低山の森にトレッキングです。雪の森の中を歩くのも素敵です。ミズナラ、ブナ、シラカバなどの木が迎えてくれました。皆慣れたもので、思い思いのコースをとったりして、午前中雪と戯れました。感動を胸にそれぞれが帰宅の途へ。 今回湯川君のおかげで素晴らしい体験ができました。冬の期間、STCの活動はありませんでした。今回を機にスノーシューの雪上トレッキングをオプションに入れたらいいと思いました。参加者全員もそう思ったに違いありません。

佐藤(記)

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2006年STC忘年会の報告

実施日:12月4日(月)
実施場所:銀座クルーズクルーズ
参加者: 今村夫妻、川村夫妻、佐藤夫妻、高山夫妻、徳永夫妻、中島夫妻、西村夫妻、早川夫妻、羽山夫妻、湯川夫妻、伊東夫人、杉本君、壇上君、中原君、計24名

定刻に全員集合、豪華客船の船室を模した会場で乾杯からスタート。今年1年を振り返り、春の伊豆・夏の田代山・秋の那須と3回のトレッキングを実施、それぞれに中味の濃い充実した活動であったとの思いを新たにしました。伊豆のトベラの白い花、田代山山頂のお花畑、那須の紅葉と、植物が放つ色鮮やかさが印象的でした。さらに、STCのS(Spring:温泉)も堪能できました。

来年は初の海外トレッキングを予定、スイスのベストシーズンにアルプスを歩こうという計画です。その準備としてSTCメンバーでアルプス委員会をスタートさせましたが、この日は西村君から現況報告と資料の配布がありました。6月の下旬から7泊9日の日程で、ユングフラウ・アイガー・マッターホルンを遠くに望みながらトレッキングを楽しもうという計画です。新年から参加者の確定、旅行業者との打ち合わせで準備が本格化してゆきます。

新年会は2月2日(金)、今村君のお世話で恒例の伊東寮で実施と決まりました。佐藤君がトレッキングもセットしてくれる予定です、お楽しみに。

報告:杉本(Eクラス)

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2006年秋のSTC報告

実施日:10月20日(金)〜22日(日)
実施場所:那須・奥塩原・新湯富士
参加者: 伊東夫妻、佐藤夫妻、杉本夫妻、浜石夫妻、今村夫人、壇上君、徳永君、西村君、羽山君、湯川君、計14名

今回はSTC発祥の地でもある那須岳周辺へのトレッキングでした。コース的には比較的楽な行程でしたが、ドラマもありました。とにかく安全に戻れたことが何よりでした。 1日目は那須岳ロープウエーで中腹まで登り、いよいよトレッキング開始。牛ヶ首を通って三斗小屋温泉まで。伊東君が絶妙なペースで11名を引っ張り、余裕を持って歩くことができました。先の大風で紅葉が飛ばされ、期待ほどではありませんでしたが、ダケカンバの林など素晴らしい光景に会えました。もはや伝説化した三斗小屋温泉は山小屋の雰囲気のある旅館で情緒に溢れていました。夜は裸電球一つの下で過去の数々の事件が語られ、9時には全館消灯、程よい疲れと温泉のぬくもりで心地よい眠りにつきました。

2日目はまず峰の茶屋を目指しました。茶屋から下りてきた登山客から「茶屋付近は強風が吹き荒れ、立っていられないほどだった」との情報が入り、佐藤隊長の助言で手をフリーにするなど安全対策を立てました。案の定、尾根が近づくにつれ風が強くなってきました。尾根伝いで記念写真を撮る余裕がありましたが、内心はこれが最後の写真にならなければよいがと思いました。一歩一歩、伊東君が皆をリード、無事強風地帯を突破しました。下りはロープウエーは利用しないことにして麓の駐車場まで一気に下りました。昼に板室温泉に移動、名物蕎麦屋でこの日から参加の羽山、壇上君が合流、ミニ宴会になってしまいました。午後は奥塩原も大沼で自然観察。ブナ林と紅葉が素晴らしく、貴重な森の生態を堪能しました。宿は塩原温泉の上会津屋。老舗旅館で食べ物が次々と出されスピーチも興に乗って楽しい宴になりました。蛇足ですが、箒川に面した共同露天風呂も野趣満点でした。

3日目は奥塩原の新湯富士山の登頂を目指しました。ミズナラの大木が優先する深い森の中をゆっくりと歩きました。頂上付近のアスナロ、クロベ、サワラ(魚ではありません)などの天然の針葉樹の森は関東では珍しく、名前のとおり美しい山でした。皆なで昼食をいただいたところで解散、お疲れさまでした。

今回初参加の湯川君がSTCの生々しい姿を前から、後ろから、上から、下からとあらゆるアングルを駆使してビデオ撮影、その軽快なフットワークに全員驚嘆、さっそく「忍者湯川」の愛称が贈られました。後日、DVDに編集して参加者に配布してくれ、よき記念となりました。   

報告:杉本(Eクラス)

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2006年春のSTC報告
実施日5月12日〜14日
実施場所 伊豆高原、下田他

春のSTCも終わってしまいました。楽しいことはすぐ終わります。いい仲間はいい人生を共に過ごせます。今回参加できなかった諸君も今後よろしくお願いします。

しかし伊豆は比較的に近くにありながらすばらしいところでした。トベラが海に沿った断崖に白い花を潮風に揺らせていました。海洋性の常緑樹林の厳しい成り立ちを思うだけで風景が一変し、多くのことを語りかけてくれました。すばらしい体験を共有できた仲間に乾杯!

杢本夫妻のデビューは雨が降りしきる爪木崎のコースでした。ゴアテックスの威力を感じながら見事歩ききりました。最初にこういう経験をするのもいいものです。浜石さんは初日から、浜石君は下田から参加してくれ、大いに盛り上がりました。STCをいつも大事にしてくれていて、心強い限りです。徳永君、いつも写真ありがとう。今回のコースは奥さんも十分に堪能してもらったようです。徳永さん、一連の昼食手配もうちの芙美子がしましたが、女性には受けたでしょうか?中島君、奥さんが参加できず、少々淋しそうでしたが、いつもキャラクターが大受けで、今回も堪能していたようでした。待ち合わせの伊豆高原駅で置いてけぼり、第二の「中島いたっけ」事件が起きてしまいました。トレッキングは力強く、日ごろ鍛えている(剣道)成果でしょう。西村君の奥さんが体調を直前崩されましたが、復調の由、何よりです。西村君は今回も安定した歩きで、頼りになります。杉本君のラッキョウ好きには驚きました。奥さんがため息をついていました。いつもは奥さんの凝った洋食風とのことでしたが、ラッキョウを中心とした和食が好きなのですね。ね?今村君にはお世話になりました。寮にはくせになりそうです。軽井沢にもあるそうで、今後もよろしくお願いします。奥さんの樹木の知識はなかなかのもので、いつも感心しています。羽山君がいると、昼でも気兼ねせずお酒を飲めるのが何よりです。蕎麦に日本酒もよかったなー。忠さんに味わってもらいたかった。羽山さんも二日目は帰られたが、結構堪能されたのでは。依田君の参加は何より心強い。彼は今回人知れずしんがりを歩き、安全に気を配ってもらいました。「アルプス」まで奥さんが復帰できたらいいね。

今回は行く先は小生が決めましたが、実質はかみさんがすべて手配、決めました。「行き届かなかったことはお許しを」と本人が申しております。今回は安上がり路線を追及しましたが、質的にはよかったのではないでしょうか?2泊3日も春は初めてでしたが、参加時に柔軟性を持たせました。手配は煩雑になり苦労したようですが、これもよかったようです。伊東ではいよいよアルプス行きの話が具体的に出ました。プロジェクトチームも近々発足との提案もありました。秋のSTCでは原点ともいえる那須を再訪することになりました。夏はオプションで奥会津の田代山に登ろうということになりました。早川君と相談します。

どうか諸君、健康に留意し、いろいろ予定はあるでしょうが、STC第一に今後ともよろしくご配慮ください。とりあえず今回の大成功と今後の楽しい展開に乾杯!!

報告 佐藤征男(Hクラス)

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伊東寮宴会後 伊豆高原自然観察
下田ペリー来航記念碑にて 朝の逢ヶ浜
 
42年会STC 春のトレッキング会
実施日:2005.7.2〜3
参加者:川村忠太郎夫妻、早川良一夫妻、羽山章一夫妻、徳永興亜夫妻、中島亨夫妻
佐藤征男夫妻、伊東新祐夫妻、西村周一夫妻。今村俊一夫妻、杉本伸夫妻、浜石満 (21名)

 梅雨の真っ只中、出発前日も雨だった。いつもなら梅雨前に開いていたトレッキング会を、今回は奥白根山にチャレンジなので7月の初めに開催することにした。ところがである。着いたら奥日光の空は青かったのである。百名山の一つ奥白根山は標高2578メートル、以北最高峰で以前は上級者が登る山だったが、丸沼高原からゴンドラが中腹まで開通以来、初心者でも登れる山となった。とはいえスケジュールが遅れ気味で足早に出発。可憐なシラネアオイが見送ってくれる。鬱蒼とした原生林を三班に分かれて結構急な山道を登る。急ぎ過ぎたのか、途中引っ返す会員も出て反省。頂上付近で景色が急に開け、気分が楽になる。頂上に至る道は岩場で慎重に登る。大パノラマ、燧ヶ岳の勇姿が北前方に中禅寺湖が南下方に見える。狭い頂上で登頂記念の写真を撮るが、これが危なっかしい。
 今回宿は中禅寺湖金谷ホテルで、老舗ホテル。一度は泊まってみたかった。夕餉はフランスのコース料理で豪華版であった。大いに語らい、酒を飲み、温泉と共にホテルライフを楽しんだが、出費もかなりのものだった。
 翌3日は中禅寺湖をゆっくり散策、湖畔の旧イタリア大使館の別荘でくつろいだりで、ゆったりとした気分となる。昼は日光の金谷ホテルで食事、豪華な旅の最終を飾った。しかし空はまた梅雨空となっていて、一行は雨の中東京へと向かった。
 秋のSTCは上高地へ行く予定。あの上高地帝国ホテルに宿泊する。また出費がかさむが、一年に二度の豪華ホテル巡りもSTC諸君の許容範囲ではある、きっと。

 
42年会 STC会 秋のトレッキング会
実施日:2004年11月20日(土)〜23日(火)
参加者:徳永興亜夫妻、中島亨夫妻、浜石満夫妻、佐藤征男夫妻、中原茂行、西村周一 計10名

 トレッキングと温泉を楽しむ当会は、今回は趣向を変えて関西へ。吉野、明日香、奈良、京都を足と自転車で巡りました。歴史的世界遺産の旅でもありました。とはいえ一日20000歩以上歩いたり、自転車で20km以上走ったりでトレッキングクラブの名に恥じない頑張り振りでした。

 11月20日は吉野巡礼、西沢屋の評判の山菜定食をいただくことから始まりました。腹ごしらえをして、いよいよ修験の山を歩きます。金峯山寺ではなんと特別御開帳にタイミングが合い、普段は見られない大迫力の蔵王権現を見上げたのでした。雅楽と舞が古代へと誘ってくれました。吉野山は山岳修行のメッカだけに、歩いていると凛とした気の中に歴史の奥行きをふと感じます。紅葉に彩られた神社仏閣を予定よりも時間をかけ歩きました。遅れましたが、民宿の迎えの車に乗り込みました。そして川上村の山中を抜け、高原という山村に到着。民宿のおばちゃんの心のこもった料理の歓迎。皿の数だけでも16。山の素材をふんだんに使った料理に歓声を上げました。

 21日、朝食前に歴史散策。ひっそりとしたこの山村は南北朝抗争の舞台の一つで自天親王が暗殺された場所でもあります。宮内庁管理の墓苑がひっそりとあります。朝食後、民宿の好意で車で明日香まで送ってもらいました。途中、紅葉で有名な談山神社に連れていってもらいました。中大兄皇子と中臣鎌足が大化改新の談合をもったことからこの名がある神社は、知る人ぞ知る紅葉の名所です。濃厚な紅葉の洗礼を受けました。

今回のハイライトの一つ明日香巡りは自転車が大活躍です。2グループに分かれ、長い列をつくって走ります。長く自転車に乗っていない人もいましたが、ママチャリだから大丈夫。穏やかな日の光の下、えっちらおっちら走ります。まずは高松塚古墳、小高い丘が並ぶ公園の一角にありました。聖徳太子縁の橘寺、飛鳥時代の面影を残します。

昼は酒船亭で酒船御膳をいただき、ついで最近発掘された亀の形をした酒船石を見学。このあと石舞台、山の上にある岡寺、飛鳥寺と史跡を巡りました。飛鳥寺の飛鳥大仏は日本最古の大仏で古代文化の健康さを感じるお姿です。寺の裏には大化改新で殺された蘇我入鹿の首塚が花を添えられて佇んでいます。今に繋がる権力闘争の非情さを感じます。その首塚の背後には蘇我入鹿の豪宅が構えていた甘樫丘が小高いとはいえ聳えています。明日香巡りの最後にこの丘に登りました。西日に天香具山、耳成山、畝傍山の大和三山が浮かび上がっています。心はすっかり古代にありました。

 橿原ロイヤルホテルで休憩し、夜は待望の「萩王」でグルメ三昧です。「萩王」は明日香の名家の建物にあり、とくに庭園が名高い懐石料理店です。赤絨毯にテーブルが並び、次々と料理が運ばれてきます。時に鮮やかに、時に淡泊に贅を尽くした料理の数々は人生ではそう味わえない貴重さでありました。今夜はSTCの貸し切り、みんなのスピーチには今回の旅の感動が込められ、料理はさらに味わい深いものになっていったのです。

 22日はまたまた自転車で奈良巡りです。まずは興福寺の国宝館へ。阿修羅像をはじめ有名な仏像の数々が鎮座していて、勉強熱心な諸君は大いに感銘を受けたようでした。あくまで穏やかな奈良公園をゆっくり走ります。春日大社は原生林を背後にして変わらぬ艶やかさです。坂道をやっと越すと、お水取りで有名な東大寺の二月堂に出ました。お堂へ上れば、紅葉に彩られた大仏殿が望めます。その大仏殿を拝観するころになるとみんなすっかり修学旅行気分です。それにしても大きいと思っていた大仏はやはり大きかったなあ。昼食は興福寺の施設の一つだった依水園の「三秀」で、紅葉の庭園を愛でながらウナトロ御膳に舌鼓。

 このあと一路京都へ。修学旅行気分がますますしてきました。関西在住の浜石夫妻推薦の東福寺の紅葉狩り。京都はこの時期大変な人出です。しかし人出はともかく物凄い紅葉に圧倒されました。さてここをもって中原君、中島さんは東京へ、西村君は大阪へと向かいます。これからはオプション、7名がさらに「これでもか」と神戸の夜を堪能します。「銀平」では海のものを思いっきり味わいました。太っ腹の浜石夫妻がカニと明石蛸の刺し身を提供、最後は鯛飯で締めくくりました。そしてとどめにジャズライブ・カフェに繰り出しました。マッティーニをチビりながら生のジャズに浸ります。旅の思い出が早くも懐かしく、スイングしながら沈殿していきました。

 23日、そろそろ疲労が溜まってきましたが、元気に京都の紅葉巡り、北山に向かいました。人出を避け、浜石夫妻がコースを設定してくれました。詩仙堂、曼殊院、延暦寺の末寺を訪ね、京都名物の土産を買い込み大団円と相成りました。

 楽しくも有意義な時間を共有したSTCの諸君ありがとう。今回STCの方向性に多くの見通しをも得ることができました。今後とも「楽しくも有意義な」STCを大切にしていきたいと思います。 (記 佐藤征男)

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民宿吉野 ログキャビン高原にて
京都東福寺の紅葉
東福寺にて
 
1 トレッキング愛好会報告「初夏の高峰高原」
(スケジュール)
 
 新幹線佐久平駅から車で30分、高峰高原は標高2000メートルに位置し、数々の山々は浅間山の外輪山というべきものです。浅間山の雄姿は感動的で、コースの途上にしばしば勇姿を見せます。天候は東京より1月遅れの感じで、油断できません。
全般的に信州の高原といった趣があり、天気さえよければ絶好のトレッキングができそうです。
 初日は、まず池の平湿原を散策します。辺りの山々の新緑のカラマツ林に囲まれて湿原には可憐なタチツボスミレやフデリンドウそれにイワカガミなど高山植物の花々に出会えることが期待できます。特にイワカガミは葉がその名の通り、こげ茶色の岩のような色をした葉が鏡のように光をはね返す高山植物です。湿原にとどまらず、いたるところに群落つくっていて、6月上旬から開花期を迎えます。湿原の周辺は、三方ケ峰、雲上の丘など小高い峰峰には遊歩道がとおっていますので、ゆっくりと参ります。途中の見晴らしのいい頂上で昼食をとりましょう。湿原を一周し、入り口に戻り、東篭山(2268m)、水の塔山(2202m)など尾根コースを辿っていきます。2時間半のこのコースは眺望がよく、トレッキングの優良コースとして推奨されています。各ピークの高低差は200m位ですが、かなりの達成感を味わうことができます。
 二日目は二つのコースを設定しています。
 一つは高峰山(2091m)、往復1時間もかかりません。しかし頂上からの眺望は素晴らしいようです(今回下見はしませんでした)。
 二つは黒班(くろふ)山で、往復ゆっくり歩いて4時間のコースです。浅間山を正面にに、険しい周辺の山容を眼下に眺めながら歩く、一押しの推奨コースです。コース選定にあたっては、初日の皆さんの疲れ具合、当日の気象状況などを考慮し決定しますので、ご安心下さい。
 さて宿舎は高峰高原ホテルです。高原の入り口に立地するこぎれいなホテルです。
ラウンジ、レストランからの展望は抜群で、バードウオッチング、天体観測などができるようになっています。温泉は24時間OKで、二日目登山から帰っても無料で利用できます。夕食はレストランで本格的なフランス料理が楽しめます。
当日貸切状態だったらいつものようにワイワイできます。二次会はラウンジ・バーの雰囲気がよく、雄姿の宴もさぞかし盛り上がるでしょう。

(結果報告)
 
 梅雨の間の晴れ空が爽やかに広がっています。疲れて、飲んで、風呂に入ってさすがに昨夜はよく眠れました。ストレッチ運動が効いたのか、朝起きてみると脚もさほど痛くはありません。
 
 今回も全員無事で、手前の浅間山、遠くは北アルプスの眺望を得て、エッチラオッチラ歩き、共通の感動を共にできたことはうれしい限りです。今回参加できなかった隊員の方々も次回は是非参加してください。特に高山君は寸前で入院ということになり、皆が心配していました。もともと基礎体力のある高山君です。順調な回復を祈念します。
 
 今回西村さんが初参加、西村君や中原君のアシストで急な登りも克服しました。今村夫妻は健脚で、STCの有力な隊員であることを実証しました。今村さんは「会津駒参加」を表明されています。浜石夫妻は遠路の参加ですが、会を大いに盛り上げてもらいました。秋のSTCではいろいろと面倒みてください。伊東君には隊長グループに入っていただき、B班を牽引してもらいました。伊東さんには今回から私の愚妻と共に会計を担当してもらいます。よろしく!羽山隊長は新兵器のトランシーバーを使いこなして皆を引っ張ってもらいました。羽山さんはダイビング一回限りで、今回は事件がありませんでした。早川君は膝を傷めてて、きつそうでしたが口は健在でした。早川さんは新たに隊長グループに入っていただきました。隊長グループには羽山君を始めとして、高山君、依田君、伊東君、早川さんの5名となりました。中島君は減量に努力中で、タバコを止めた後遺症(?)に対処しております。夫の荷物まで持って登山した中島さん、お疲れ様でした。川村君は奥さんから言い渡された四か条を実に忠実に守り、節制されたのは驚嘆の至りでありました。なんだかいつもの川村君ではありませんでした。中原君は最後の列車の中で盛り上がりのピークを迎えましたが、道中でも遊軍的に大活躍でした。徳永君はカミサンのいない寂しさを出さずに、結構酒もたしなんだりして、大いに楽しんでおりました。私の愚妻につきましては、今回は結構きつかったが、「昼はビールを4杯も飲んだ」なんと申しております。今回から会計を正式に担当します。
 
(参加者)
 
伊東夫妻、今村夫妻、川村君、国武君、佐藤夫妻、徳永君、中島夫妻、中原君、西村夫妻、早川夫妻、羽山夫妻、依田君、浜石夫妻、以上21名

素晴らしい春のSTCを体感しました。今後とも大いに鍛え、楽しくやってまいりましょう!

2 トレッキング愛好会報告「夏の会津駒ヶ岳(オプション)」

 暑中お見舞い申し上げます!
 
 名山会津駒に登ってきました。登山者は伊東夫妻、佐藤夫妻、依田くん、早川さん、今村さん、中原君の8名です。早川君はヘルニアで大事を取り、今回は送迎インストラクターに徹してくれました。

 昨日の雨がうそのように止み、相変わらずのSTCの運の強さに支えられ登山口を出発です。始めがきつい登りですが、やがて穏やかな登りとなります。道は礫が少なく歩きやすいふかふか道です。伊東体調の絶妙なペース配分、30分に一回休憩をとりゆっくりと登ります。登山に懸念を表していた愚妻と伊東さんも快調です。見事に高さに準じた森林層、カラマツ林・ミズナラ林・ブナ林・ウラジロモミ林を抜けて湿原帯に出るまで4時間、やがて全員登頂しました。おもわずバンザイでありました。折から霧が濃く、残念ながら見通しは聞きませんが、ゴゼンタチバナ、ワタスゲ、マイヅルソウ、コバイケソウ、イワカガミなど湿原の妖精たちが迎えてくれました。帰りは3時間の下り、16時無事帰還です。伊東隊長はラストで足を、私は足の爪を痛め、妻はブヨにくわれ、全員筋肉を大いに疲労させましたが、百名山の一つにチャレンジし、成し遂げた達成感はなにものにも代えられない思い出ができました。この夜は例の福本屋で囲炉裏を囲みイワナづくし、大いに盛り上がりました。

 今村さんは念願の尾瀬に足を伸ばしました。皆でトグサ温泉に行ったり、例の味噌樽温泉に浸かったりで奥会津を大いに堪能した次第です。
今回参加できなかった諸君もオプションを今後も企画していきますのでよろしく参加してください!
 
 今回お世話になったエンドレスの早川夫妻には感謝申し上げます。手配をいろいろしてくれた早川君にも感謝します。早く完治して、また登り、温泉と料理を大いに楽しみましょう。

3 今秋の計画

 秋のSTCの舞台は関西です。11月20,21,22日の開催です。
 
 初日は吉野か大台ケ原をトレッキングします。泊まりは川上村の民宿で、山村では考えられない豪華な料理が目玉です。次の日はあの明日香をママチャリで回る「明日香悠久巡り」。昼、夜とも評判の日本料理を嗜みます。宿は橿原ロイヤルホテル宿泊です。インターネットで予約すると安く泊まれるので徳永君あたりと相談します。

 3日目は奈良公園の散策。心がしみじみ癒されることでしょう。この後新幹線で帰京となりますが、次の日は休日にあたるためオプションで神戸に泊まるプランを立てる事にしています。勿論浜石夫妻の土地の利を生かして、楽しい計画を立てます。浜石くんよろしく!
 素晴らしい春のSTCを体感、今後とも大いに鍛え、楽しくやってまいりましょう

それではSTCの諸君、本年は異常気象、健康には気をつけて、よい夏をお過ごしください!

平成16年7月31日 佐藤, 川村 記
 
トレッキング愛好会・秋の予定(No.1)
梅雨明けと同時に暑い夏がすっ飛んできました。早くも季節のいい秋が楽しみです。
さてその秋のSTC速報です。白神山地トレッキングが候補になっていましたが、検討の結果、秋は八幡平トレッキングに変更しました。八幡平は百名山となっている高原状の山で、近年道路が整備され実に気楽に歩ける人気のある山です。近くに有名な御生掛温泉を始め有名な温泉が林立し、紅葉の季節ともなると、各旅館は満杯となります。ところが羽山隊長とマネージャーが交渉の結果、奇跡的に確保することができました。皆さん大いに楽しみにしていてください。
10月10日
盛岡からレンタカーで八幡平へ、軽く足慣らしトレッキング。御生掛温泉泊。
11日
八幡平登山、トレッキング。高原あり、原生林あり、初心者でも充分楽しめる縦走コースを歩きます。松川温泉松川荘泊。
12日
皆さんの希望を入れて、楽しいコースを巡ります。帰りは盛岡から新幹線で。
各旅館とも20名で仮おさえをしています。参加希望を早めにお知らせください。秋の東北の山を大いに楽しみましょう。詳細はno2で。お元気で!
トレッキング愛好会報告・初夏の天城山
 後一歩で梅雨明けというのに、天候に「例によって」恵まれて、充実した二日間が過ごせました。何よりも怪我人が出なかったことはよかったと思っています。

 今回初日は、伊豆の誇る百名山、天城山に挑戦しました。
 周遊コースは全行程4時間、難易度は一般向けでしたが、当クラブは6時間、1.5倍ほど時間がかかりました。これは予想以上に登山道に礫が多く、特に下りは転倒などの事故が起きないようにペースを落とし、休憩を多くとったことによります。このことは安全確保の点から好ましいことで、スケジュール的にも今後こうした「予想以上の時間」を織り込んで行きたいと思います。

 天城山は百名山とはいえ、景観、展望に恵まれた山ではありません。二つのピークがありましたが、達成感はそれほど湧きません。ならば何が名山かというと、実は、プロセス全体が素晴らしいのです。行程そのものが行く人に感動を与えるからなのです。豊かな銘木の数々が、森の奥深さが、鳥の声が、さりげないミツバツツジのたたずまいが名山としての誉れを形成しているのでした。登り始めると早速ヒメシャラの巨木がただならぬ森の雰囲気を伝えてくれます。これほどの堂々とした赤みがかったすべすべの樹肌は今まで見たことがありません。登るほどにブナの巨木が威厳をもって迎えてくれました。太平洋側では分布が少ない貴重なブナ林です。ブナに混じってコシアブラ、エゴノキ、ヤマモミジ、カツラの木々が森を構成し、歩を進める私たちを包み込んでくれるような「包容力」を感じ取れるのです。アマギシャクナゲ、アシビの花は残念ながら時期がちょっと遅かったようですが、それでも名前を知らない花々がさりげなく咲いておりました。そんな山道をゆっくりと登り、周遊し、コーヒータイムや休憩を十分取り、昼食の豚汁の山ではならの味を堪能しました。

 トレッキングクラブは登山クラブではありませんから、ピークを征服することによって達成感を獲得するだけではなく、「トレッキング」そのものを楽しむのもいいものだと思いました。
  秘湯、河津温泉の一夜は例によって楽しいひと時でありました。まさに「スプリング」を楽しむ当クラブの面目躍如でありました。
 次の日は河津七滝巡りは秀逸でした。辺りは伊豆らしく照葉樹に恵まれ、シャリンバイ、カシ、ユズリハ、ツバキなどがが多く見られましたが、中でもアオキの巨木には驚きました。アオキは常緑低木と思っていましたから。
 河津の「炉端」での昼食、今朝獲れたアジも入った刺身定食はベリーグッドでありました。

 河津駅で高山君、川村夫妻、浜石夫妻を送り出して、伊豆東海岸の海を味わいながら伊東へ。お土産もしっかり買って、踊り呼号ではちょっとした宴会をして最後の最後まで楽しい時間が過ごせました。今回いろいろ手配をしてくれた、いろいろ協力してくれた諸君に感謝しきりです。

 今回、事情があって参加できなかった諸君も、秋の東北行きには是非参加をお願いします。
期日は10月18(土)、19日(日)、20(月)です。今のところ秋田県側の白神山地のエコツアーか、青森県側の八幡平高原ツアーかなどと候補はいろいろありますが、単にトレッキングするだけではなくプラス1を今回は考えようかと羽山隊長とは話しております。

 熱い夏が過ぎましたらまた「アブォートル・サンテで会いましょう!」で相談いたします。どうぞ秋にご期待ください!
 それではまた会いましょう!
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SPRING・TREKKING CLUB(STC)
佐藤征男(STCマネージャー、Hクラス)
中高年の登山ブームは「百名山」完全踏破を目指すなど、楽しむどころか、苦難の道を歩むしんどいブームになりつつあります。中高年の遭難のニュースも日常的になってきました。しかしながら、山に分け入る爽快感、山道を行く自然との一体感、頂上に至る達成感は言葉に尽くせぬほど素晴らしいものです。
 「山は遊び心で楽しみたい」と常々思っていました。そこで42年会の分科会活動として、1999年9月、「SPRING・TREKKING CLUB(すぷりんぐ・とれっきんぐくらぶ)を立ち上げました。早速同好の諸君10名が名乗りを上げ、うち8名が夫婦で参加ということになりました。こうして18名の会員で発足しましたが、今では23名の会員、内10名が女性会員という大所帯となりました。会員の殆どは山登り初心者か、「そういえば昔山登りをした経験があるな」といった程度の人達です。
 名前の由来ですが、「SPRING」は春であり、躍動的な意味合いがありますが、実は「温泉」がここでは実の意味であります。「温泉付きの山行き」、「温泉散策」を主たる活動にしようというクラブなのです。

今までの活動を記しておきます。まず山行きですが、2000年5月に那須の山に挑戦しました。山の中の静かな温泉宿がある三斗小屋に宿泊。翌日、那須岳の主峰である茶臼岳に登頂しました。
2000年10月、途中の紅葉の大パノラマに感嘆しながら再び三斗小屋温泉へ。
翌日は隠居倉、三本槍、朝日岳と那須の主要峰を縦走しました。
2001年6月は奥会津に挑戦。福島県側から尾瀬沼周辺をトレッキング。水芭蕉の清楚な花の佇まいがが心に残ります。奥会津は温泉の宝庫、たっぷりと浸かりました。2002年10月は再び、尾瀬沼を再訪。錦繍の紅葉に身も心も染まりながら、春とは違った風景の中を楽しく歩きました。
2003年7月、北海道の阿寒岳の最高峰・雌阿寒岳に挑戦。これまでの山行きのハイライトです。阿寒岳温泉の有名ホテルを起点にして、見事全員登頂。火山の織り成す 大パノラマを堪能しました。その夜のホテルでの食事と酒の美味しかったこと。
2003年10月は会津の安達太良山へ。残年ながら天候不良で登頂は途中で断念しましたが、法師岳には登頂。翌日は紅葉の裏磐梯を周遊しました。

 山行き以外にも、楽しい会合を開催し、毎回夫婦で参加する人達が多いのもこの会の特徴です。「遅い新年会」「早い忘年会」などを含めて、2003年は3回の集まりがありました。開催場所は殆どが恵比須にある南仏料理の店。「ア・ヴォートル・サンテで会いましょう」がキャッチフレーズです。集まればわいわいと次ぎはどこの山に登るか話し合っています。そのうちスイスのアルプスに行くことも今後の目標の一つです。とりあえず2004年春は伊豆の山へ、秋は東北の山が候補です。もちろん選定にあたっては、いい温泉があるか、いい温泉宿があるかも重要な選定基準です。

STCは夫婦で山を遊び心で楽しむ42年会の分科会です。
 集まる毎に「会えてよかった」と実感できる、ゆるやかな人間関係の同好会です。


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