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愛好会:旅行

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如水会昭和42年会旅行愛好会第13回旅行「台湾」

○日:平成24年2月1日(水)〜5日(日)、4泊5日。
○参加者:吉宮隆彦(D)・みつえ、半田秀夫(G)・幸子、柏田洋征(I)・光江、
  檀上正泰(I)・真寿美、河井征治(G)、神谷捷代(非会員)、以上10名。
○行程
・2/1(水):羽田ー台北、泊。
・2/2(木):台北ー台中、宝覚寺、日月潭、文武廟ー台南、赤かん楼、延平郡
       王祠ー高雄、蓮池タン、高雄泊。
・2/3(金):高雄、澄清湖ー台東、三仙台、八仙洞ー花蓮、アミ族の民舞踊ショーを見学、花蓮泊。
・2/4(土):花蓮ー太魯閣峡谷ー九フンー台北、忠烈祠、泊。
・2/5(日):台北、故宮博物院ー台北ー羽田。

 (はじめに)
○本会も会を重ねること13回目を迎え、今回次の2点において新しい試みを図った。

  (1)過去12回はすべて国内であったが、今回初めて海外とし、「台湾」を選んだ。
  (2)過去12回はすべて当会自身が企画・運営する自賄い旅行であったが、
     今回初めて旅行会社が企画・運営するツアーに参加する形をとった。

  上記の結果、日本円が対米ドルで大幅に上昇している状況下、台湾ドルが米ドルにリンクしているため台湾ドルに対しても大幅な円高になっていること等から、1人あたり費用が4泊5日でわずか7万円程度と極めて割安であった。

○旅行を通じて素晴らしい自然を堪能できたのみならず、永く深い歴史、文化、そして日本との親密な関係、さらに台湾の人が日本人に対して抱いている暖かい心情なども感じることができ、我々にとって意義深い旅行であった。
○今回も前回と同様、柏田洋征さん(雅号:浪雅)の俳句を中心としつつ振り返ることとしたい。

 (初日:2月1日<水>)
○羽田から台北に着きバスに乗り込むと、今回5日間我々を案内してくれたキュウ寶治さんのお出迎えを受けた。彼女は京都に3年間在住し、日本語学校に1年、成安女子短大に 2年在籍したことがあるため日本語が堪能であるだけでなく、案内役としての知識が該博 であり、今回充実した旅行となったことについては彼女に負うところが非常に大きかった。

 (2日目:2月2日<木>)
○バスで台中へ移り、宝覚寺にてお参りをする。黄金色に輝く大仏は高さ30m、柔和でおおらかな笑顔をたたえている。当寺には、当地で亡くなられた日本人12,000人分の遺骨が納められており、全員彼らにお祈りを捧げた。

「つばめ来るふた尋ほどの遺骨廟」浪雅

写真をクリックすると拡大します
宝覚寺の大仏前にて。
左から吉宮夫人、半田夫人、キュウさん、半田さん、吉宮さん。

○次いで日月潭(にちげつたん)へ移る。湖の形が日と月に似ていることから名付けられた湖で、時々刻々彩りを変える青く澄み切った湖水が素晴らしい。「十和田湖にそっくり」 との声多数。

「来歴の碧湖に春のきざしかな」浪雅

日月潭
青く澄み切った湖水が素晴らしい。

○次いで台南に移り赤かん楼(せっかんろう。オランダ人によってつくられた赤レンガ造りの城)と延平郡王祠を巡る。後者は、台湾をオランダから奪還した国民的英雄・鄭成功(ていせいこう)を祀るが、彼は長崎・平戸に生まれ、母は日本人。近松門左衛門の「国姓爺合戦」の主人公として有名。

「鄭成功は心優しき
  −−春浅き倭国の磯に生れ給う(あれたまう)」浪雅

○台南から高雄へ移る道中、キュウさんのお話によれば台湾の発展に日本人が大きな貢献をした由。例えば八田与一(はちだよいち)さんは長年の努力が実って二期作を成功させたほか、羽鳥又男(はとりまたお)さんは台南市長として良い行政を行われた結果、胸像が建てられ、今も市民から尊敬の念を払われている、等々。我々一同、大先輩らの偉業に改めて敬意を払うとともに、彼らの存在が台湾の人々の日本人に対する好意、親近感の土台になっていることを再認識した。

 (3日目:2月3日<金>)
○高雄市内の澄清湖を散策した後台東の花蓮へ向かうが、途中で売っている釈迦頭(シャカトウ。果物)が我々には珍しい。

「果物好きの吉宮夫妻なれば
  −−釈迦頭を截ち割りて食ふ春夜かな」浪雅

澄清湖にて
左より檀上、吉宮、半田、柏田各夫人。


○花蓮では先ず三仙台に行く。3人の仙人の伝説が残る岩が並んだ景勝地で、龍が渡るようにも見える独特の橋が興味深かったが、風が非常に強く波が荒く、人が波にさらわれたこともある。

「海峡を越えてきたりし 春ならひ」征治

三仙台にて
左より吉宮夫妻、河井、半田、柏田夫妻。

○次いで訪れた八仙洞は2〜5万年前に海底の洞穴がそのまま隆起したもので、現在は霊巌寺という寺になっている。

「春風や 仏のおわす巨き洞」征治

八仙洞にて
左より吉宮夫人、半田夫人、檀上さん。

○花蓮のレストランで台湾料理の夕食をとったあと、先住民アミ族の踊りをみたが、飛び入り参加された半田ご夫妻と吉宮夫人の楽しそうな笑顔が素敵だった。

「半田夫妻と吉宮夫人
  −−踊る輪に入りて引かれて春の歌」浪雅

アミ族の踊りの輪に入って楽しそうな半田ご夫妻。

(第4日:2月4日<土>)
○花蓮より台湾最大の景勝地・太魯閣(タロコ)峡谷へ行く。ここは永い歳月をかけて急流が山を削ってつくった約20kmの大理石の断崖絶壁が圧巻。我々は212名の殉職者の名が刻まれた大理石の碑にもお参りをした。

「岩肌に故人の思ひ春霞」征治

太魯閣峡谷にて
深く削りとられた峡谷を背景に全員で。

○台北市内に戻り、忠烈祠での一糸の乱れもない衛兵の交替式を見る。

「式挙措に直線おほしつばくらめ」浪雅
「若き衛兵の眉の清しき春日かな」征治

○夕食会は、二人連れの相方が急遽入院されて一人になられた神谷捷代(かみたに かつよ)さんにもお声掛けし、10名で楽しく現地打ち上げを行った。

最後の夕食会で現地打ち上げ。
後列右から3人目が神谷さん。

(第5日:2月5日<日>)
○午前中、世界四大博物館の一つ、中国歴代の皇帝が収集した絵画、陶磁器、銅器、書籍等約70万点を所蔵する故宮博物院を見学した後、感動、感激の連続であった5日間の旅を終え、帰国の途に着いた。

「蒋介石総統は
  −−紫禁城模して将たり春の月」浪雅

(旅行愛好会幹事・河井征治 記)

如水会昭和42年会旅行愛好会第12回旅行「白骨温泉」

○ 日:平成22年10月17日(日)〜18日(月)、1泊2日。
○ 参加者:尾崎博(A)、小杉俊二(A)、月崎博章(D)、津田正道(D)、
竹田義脩(D)、河井征治(G)、柏田洋征(I)、羽山章一(I)、
前里耿一(I)、以上9名。
○ 行程
・10/17日(日):新宿―松本―(以降2日間マイクロバス利用)−上高地―河童橋等周辺散策―
白骨温泉・齋藤旅館着・泊。
・ 10/18(月):齋藤旅館発―新穂高―新穂高ロープウェイー新穂高―松本市内(松本城等見学)
―松本―新宿。

(はじめに)
○ 今回の旅行は、前里耿一さん(I)から河井宛のご提案が発端。
すなわち同氏曰く、「私の学生時代、下宿した先のご子息の家庭教師をしたことがあるが、現在彼は信州の温泉旅館を経営しているのでご紹介できる」由。願ってもないお申し出でに、河井は直ちに飛びついて実施に至ったのが今回の旅行であり、前里さんには今回名実ともに幹事役を務めて頂き、改めて深く感謝申し上げたい。
以下、今回も素晴らしい晴天の下、絶頂期の紅葉とわが国を代表する名湯を堪能した感動の2日間を、柏田浪雅師(洋征さん、I)や竹田義脩さんの句を縦糸としつつ辿りたい(作者名のない句はすべて浪雅師作)。

(初日)
○ 朝、新宿駅に全員集合したが、本旅行愛好会初参加の尾崎さん、竹田さんご両方もお元気なお顔をおみせ頂き、会員の裾野が着実に広がっているのが嬉しい。

○ 松本駅に降り立つと、真っ青に晴れ渡った青空に迎えられ、一同まず幸先の良い旅立ちを喜ぶ。全員マイクロバスに乗り込み、約2時間で上高地に到着。
英国人・Wウェストンが生涯忘れられなかったこの地を世界に称えて百十余年。上高地駐車場から河童橋へ向かう間の樹々の緑が実に美しい(写真(1))。

写真をクリックすると拡大します
(1)

河童橋から見上げる穂高連峰がまた素晴らしく、まず全員で記念撮影(写真(2))。

(2)

「雪を待つ顔となりけりかっぱ橋」
「鶺鴒(せきれい)のちちよははよと梓川」
「巻雲に詩心(うたごころ)あり秋穂高」

○ 再びマイクロバスに乗車し、1時間半弱で「白骨温泉―齋藤旅館」に着き、
経営者の村中博さんの出迎えを頂く。

  白骨温泉は400年以上の歴史を有する古湯。古文書には「白船」「白舟」とあり、丸木舟様に彫った「フネ」と称する湯槽を用いていたところ、その内側に温泉の石灰分が白く結晶したことからそれを「シラフネ」と呼んだのが由来。明治時代の吉田東吾著「大日本地名辞書」には「白骨の温泉、白船の湯ともいう」とあり、これが白骨の呼称の始まりの由。中里介山の「大菩薩峠」により有名になったが、歌人・若山牧水や俳人・河東碧梧桐、荻原井泉水等多くの文人により愛されたことでも有名。

○ 旅館到着後早速「師弟ご対面」となった(写真(3))が、40年余を経ても変わらない師弟関係は羨ましい限り。
当夜は、村中氏お心づくしの料理と新酒を心ゆくまで頂いた(写真(4))が、翌朝我々の出発時にも村中さんがお見送り頂いた(写真(5))のも嬉しかった。

(3) (4) (5)


「白骨の夜の添えある新酒かな」
「縁という不可思議をまぜ新酒注ぐ」
「酒と恋追ふ歌人ゐて紅葉宿」


(2日目)
○ 朝、旅館を出たバスは乗鞍高原を走ったが、遠くに中央・南両アルプス、八ヶ岳連峰等を望見しつつ、左右の山の紅葉を堪能した。

「一秋を購はんとて乗鞍へ」


○ 1時間半後に新穂高着。直ちに国内唯一の2階建てゴンドラの新穂高ロープウェイにとび乗る。標高2.200メートルの頂上まで途中で乗り継いでの1時間、眼下は全山燃えるような真っ赤な紅葉と、処処に混じる鮮やかな黄葉との対照が実に素晴らしく、息をのんだまま声が出ない。
さらに終着駅の展望台からは北アルプスの槍ヶ岳等3.000メートル級の山々からなる大パノラマを眺望することが出来たが、やや神秘性すら感じる程であった(写真(6)、同(7))。

(6) (7)

「白山の向こふの加賀の秋を指し」
「秋冷の迫りてあれが槍ヶ岳」
「神神の嶺のしづもり雪を待つ」
「身に泌むや山路はるけき笠ヶ岳」竹田義脩


○ 帰路、「国宝・松本城」を見学し(写真(8))、今次旅行の締めとした。

(8)

(終わりに)
○ 「新穂高周辺は1年の内で晴れの日は20日しかない」といわれている中で、我々は2日間とも晴天に恵まれたのは正に「奇跡」というべきか、あるいは参加者に強烈な「晴れ男」がいるのか、打ち上げ会での議論が楽しみになってきた。

(旅行愛好会幹事・河井征治 記)

如水会42年会旅行愛好会第11回「隠岐旅行」

○日:平成22年7月2日(金)〜4日(日)。2泊3日。
○行程:初日:羽田―米子―島後<どうご>(隠岐の島町)−同町内巡回―隠岐プラザホテル泊。
2日目:(隠岐の島町)−島前<どうぜん>(西ノ島町)−同町内巡回―(知夫村)−
同村内巡回―(海士町<あまちょう>)−但馬屋泊
3日目:海士町内巡回―境港―出雲―羽田。
○参加者:植田宏(41)、太田仁(F)・恵子、柏田洋征(I)、河井征治(G)、川村忠太郎(K)
北村光一D・光子、月崎博章D、津田正道D、吉川晋平C、依田繁B、以上12名。

(はじめに)
○今回、大山隠岐国立公園内の隠岐4島を巡ったが、素晴らしい自然と深み・厚みのある歴史を十二分に堪能した。しかしながら今回の旅行が極めて印象深く、感動的であったのは、全行程にわたって車と案内者をお手配頂いた同島ご出身の齋藤明さん(J)と、お心のこもったご歓待を頂いた若き後輩・宮崎雅也さん(平成18年卒)のお二人に負うところが非常に大きく、お二人には心からの謝意を表したい。
○今回も記載した俳句はすべて柏田浪雅師(洋征さんI)の作です。

(初日)
○隠岐の島町の西郷港に船が着くと、齋藤さんがお手配頂いた案内人の方の出迎えを受け、以後3日間、車によるお引き回しを頂いた。

     O「隠岐につく人と南風とに迎へられ」 西郷港

最初に訪れたのは、隠岐の総社・玉若酢命<たまわかすのみこと>神社。その境内にある巨木・
八百杉<やおすぎ>は樹齢2千年以上、高さ29m 、幹囲11mの大きさで、圧倒された(写真@)

写真をクリックすると拡大します
(1)


     O「二千年の杉膚梅雨の日を返す」 八百杉
     O「句材へと一葉たまはる夏楓」 玉若酢命神社

○次の隠岐国分寺には後醍醐天皇行在所がある。後鳥羽天皇から111年後、幕府の実権を握る北条高時によって隠岐に流された後醍醐天皇は1年弱で島を脱出し、足利尊氏らと結んで北条氏を滅ぼし建武の新政を始められた。同島に幽閉されたまま悲運の死をとげられた後鳥羽天皇(後述)との余りに対照的な人生軌跡に一同深く胸を打たれた。

○同島北部のローソク島(写真A)は、海上20mの高さにそそり立つ巨大なローソク形状の奇岩。
とくに落日がローソクに灯がともったようになる様は素晴らしい由。展望台から見入る一行の皆さん(写真B)。
かぶら杉(写真C)は杉の根元から6本の支幹に分かれ、いずれも真っ直ぐ上空に伸びており、
幹囲は8mにも及ぶ。
○同夜は隠岐プラザホテルに宿泊。

写真をクリックすると拡大します
(2) (3) (4)

(2日目)
○翌朝、西郷港から出た船は西ノ島町の別府港に入り、定期観光バスに乗りまず名勝・国賀海岸に向かう。何十万年もの間、日本海の逆巻く荒波に削り取られた比類なき大断崖や岩礁、洞窟などが続く(写真D)。目もくらむ高さから落下する滝もみられる(同E)。海に大きくせり出したアーチ状の巨大な岩の架け橋が通天橋(写真F)。素晴らしい海岸美に一同圧倒される。

(5) (6) (7)


     O「岩つばめ遠流の島の洞深し」 西ノ島巡り
     O「海鵜鳴く地層に赤きひとところ」 摩天崖


○次いで別府港から船で知夫村<ちぶむら>の来居<くりい>港に渡る。同島西岸の赤壁(同G)は、正に壮絶という形容詞がぴったりのザックリとえぐられた赤茶色の岩肌、その岩肌が時刻とともに色を変化させる。

     O「夏霧に見えぬ赤壁波の音」 赤壁

(8)


○再び来居港から乗船し海士町<あまちょう>の菱浦港に着くとそこには宮崎雅也さんが態々出迎えて頂き、但馬屋に案内された。
宮崎さんは、平成17年6月海士町の中学生が出張授業で一橋大学を訪れたことが契機となり、 同年8月関満博ゼミ生7〜8名とともに同町を初めて訪れたが、案内された但馬屋のじっちゃん(千葉茂美さん)、ばっちゃん(千葉千枝子さん)の話を聞いているうちにすっかり島の魅力にとりつかれ、そのまま但馬屋に「就職」してしまった由。宮崎さんのお話では、民宿・但馬屋での仕事のほかに、漁業、畑仕事、米つくり、さらに釣り客の世話等でかなり多忙とのことだが、そのように話される宮崎さんの表情が実に生き生きとしており充実感に満ちているのが印象的であった。

     O「海見ゆる畦借景に蚊遣り宿」 但馬屋


○当日夜は、宮崎さんらが育てた米、野菜や採った魚などによる心づくしの食事や地酒等を美味しく
頂いたのみならず、宮崎さんの三味線による伴奏つきでお女将さんとばっちゃんの踊りなどによるお心のこもったご歓待を受け、一同本当に感激の一夜をすごすことができた(写真H)。

     O「ぬばたまの夜を酌み明かす青蛙」 但馬屋
     O「学捨てぬさむらひの汗漁師飯」 宮崎さん

(9)

(3日目)
○翌朝、宮崎さんを中心に全員で記念撮影した(写真I)あと、彼との別れを惜しんだ。

(10)


再び齋藤さんお手配の車に乗り、後鳥羽天皇御火葬塚を訪れた。承久の乱により隠岐へ配流になった
後鳥羽天皇は御在島19年憂苦のご心労がつもって延応元年(1239年)2月22日、御年60歳で崩御された。19年間一度も島を出ることなくなくなられた天皇のお心を察すると、思わず胸にこみ上げてくるものがある。合掌。

     O「夏木立やさしき人が塚守に」 天皇火葬塚

○境港で植田さんとお別れした後、出雲空港経由で羽田着、感激・感動の3日間の旅を締めくくった。

     0「雲の峰海と花ある流離譚」 帰港

○再び、お世話になった齋藤さん、宮崎さん、そして3日間、実に楽しい旅をご一緒させて頂いたご参加の皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

(旅行愛好会幹事・河井征治 記)

如水会昭和42年会旅行愛好会・第10回「秘湯・微温湯温泉と絶頂の紅葉を巡る旅」

○日:平成21年10月18日(日)〜19(月)
○行程:初日:東京駅ー福島駅ー以降2日間レンタカー利用ー磐梯吾妻スカイラインー浄土平(吾妻小富士散策・昼食)−土湯きほっこの森ー微温湯温泉(泊)。
     2日目:微温湯温泉ー磐梯吾妻レークラインー中津川渓谷ー磐梯朝日国立公園・桧原湖(昼食)−五色沼自然探勝路ー五色沼(毘沙門沼まで散策)−会津若松市・鶴ヶ城ー郡山駅ー東京駅。
○参加者:植田紘41、柏田洋征I、杉本伸之E、月崎博章D、津田正道D、羽山章一I、河井征治G、以上7名。

(はじめに)
○今回は、柏田さんからの強い推薦を受けて微温湯温泉を中心とした磐梯朝日国立公園一帯を周遊した。2日間とも素晴らしい晴天に恵まれた上に、全行程正に絶頂期を迎えた紅葉を満喫することができた。また微温湯温泉も柏田さんが女将と長年親しくお付き合いをしていることもあって心のこもったおもてなしを頂き、わが国を代表する低温湯を堪能することができた。さらに、前回の佐藤庄八さんGと同様、植田さん41が大阪からご参加いただき、今や常連として本会に溶け込んで頂いていることも嬉しい限りである。
    なお、今回羽山さんのご提案を受けて、初めて全行程レンタカーを利用することにより費用を大幅に引き下げることができたことも画期的であった。

(初日)
○福島駅にて全員レンタカーに乗車。津田さんが昼食時のビールの誘惑を振り切って進んでハンドルを握って頂けた。磐梯吾妻スカイラインに入ると早くも全山燃えるような紅葉の出迎えを受ける。最初に降りたのが浄土平。吾妻小富士1,707Mの火口に当たり、火口を一周する。ここは吾妻火山群の雄峰一切経山1,949Mの麓に当たり、再度の噴火により荒涼とした溶岩原となっているが、それまでの真紅の紅葉との対照がむしろ印象的。

       「われ遊ぶ浄土平や草紅葉」章一
        「しろき山白き噴煙草紅葉」(柏田)浪雅

写真をクリックすると拡大します
(1) (2) (3)


        
○次いで土湯きほっこの森に遊ぶ。紅葉を満喫しながら木道を散策したが、山全体を覆うように生い茂るブナの原生林が色づいている風景が素晴らしい。
        「ぶなの樹の縞目(しまめ)鮮(あざら)し秋の声」浪雅

(4)

○夕刻、微温湯温泉着。当温泉は300年近い歴史を有する古湯であるが、温度31.8度、日本ぬる湯温泉番付けでは東の横綱に列せられており、古来とくに眼病に効験顕著として有名。我々も翌朝まで少なくとも3回は入湯しその都度湯で目を洗ったが、果たしてその効用は如何に??。
    当館の女将・二階堂さんは柏田さんと長年の親交がある方で、そのお心のこもったご応接や料理に一同深く感激した。
        「かくし湯の藁葺きの屋根朝黄葉」博章
        「朝採りの小栗炊き込み振舞はる」浪雅
        「青年の眼となりぬ朝紅葉」浪雅

○翌朝、周囲を散策したが、周辺はミズナラ、ハウチワカエデ、オオヤマザクラ、ホウ等の樹木に囲まれていることを知る。
        「葉も落ちて 幹 瘤 孤独な 古桜」紘

(5)

(2日目)
○女将との別れを惜しんだあと、磐梯吾妻レークラインの紅葉を楽しみつつ中津川渓谷にて遊んだが、両岸の紅葉が渓谷と見事に調和して正に絶景。表現すべき言葉がみつからない。やや神秘さすら漂う。
        「渓谷の流れに遊ぶ紅葉かな」伸之
        「たぎつ瀬を黄葉(もみじ)きらきら裏おもて」浪雅
        「浮紅葉神宿るもの美しき」浪雅

(6) (7)

○次いで五色沼にて遊ぶ。ここは一切経山を中心として微温湯温泉とは丁度反対側に当たり、
文字通り季節に応じて色どりが微妙に変化する景勝地。今回はやはり真紅の紅葉が紺碧の湖面に映えて実に美しい。毘沙門沼まで足を伸ばして絶景を満喫する。
        「顔失せて毘沙門沼の照葉過ぐ」浪雅

(8) (9) (10)

        
(おわりに)
○このように今回も素晴らしい自然と温泉を満喫できた旅ではあったが、羽山さんの親身のご助言、好きなお酒の誘惑を断ち切って進んでハンドルを握って頂いた津田さん、自発的に津田さんから代わって頂いた杉本さんなど、本会が友情を一段と深める場となってきつつあることが何より嬉しく感じた旅でもあった。
        「赤々と燃える友の情(じょう)紅葉超ゆ」征治

旅行愛好会幹事・河井征治(記)

如水会昭和42年会旅行愛好会・第9回「黒部・立山旅行」

○ 日:平成21年7月4日(土)〜6日(月)
○ 行程:初日:東京―長野―扇沢―黒部―大観峰―室堂泊。
      2日目:室堂―弥陀ヶ原―美女平―称名滝―立山―宇奈月温泉泊。
      3日目:宇奈月―欅平―猿飛峡―宇奈月温泉―新魚津―長岡―東京
○ 参加者:月崎博章D、津田正道D、柏田洋征I、佐藤庄八G、河井征治G、以上5名。

(はじめに)
○ 平成21年度上期は、昨年12月4日(木)開催された昨秋の山形旅行の打ち上げ会において決定済みの「黒部・立山」を巡った。3日間ともすばらしい晴天に恵まれた中で、壮大な大自然を満喫したほか、可憐な数々の植物や野趣豊かな温泉等も存分に楽しむことができ、「一度は是非来たかった黒部・立山に初めて来たが、本当に堪能した。参加して良かった」(佐藤さん)、「黒部・立山は4回目だが、今回が断然最高だった。今後何度でも来たい」(河井)など全員が満足感に浸った旅だった。

○ 今回の特徴点は次の通り。
(1) 今回東京以外から唯一参加した佐藤さんは河井とは同級生として旧知の仲ではあるが、他の3名とは初対面故河井は当初やや心配したが、それは全くの杞憂であることが直ちに判明した。佐藤さんの親しみやすいお人柄もあって冒頭からたちまち一団に溶け込み、3日間で全員かなり深いところで交流し合えたとの感。そうした意味では、当会は「旅行愛好会」であると同時に、「人(ひと)愛好会」ともいいうるか。

(2) 今回河井は、折角の大自然を参加者に堪能して頂くべく「歩き」を意識的に多く取り入れた結果、3日間の歩行距離は14〜15KMに達した。しかもそのほとんどがアップ・ダウンの激しい文字通りの「山道」であるため、かなりきつかったのではないかと思いきや、「山歩きは余り得意でない私も、この会は楽しく歩ける」(月崎さん)「歩きが多かったので、俳句や写真を存分に楽しむことができた」(柏田さん、津田さん)。こうしたことから、「当会は旅行会というよりも山歩き会と呼ぶのが相応しい」との声も。

(3) 前回までは俳句は専ら柏田さん(雅号:浪雅)が吟ずるのみであったが、今回は佐藤さん、月崎さん、河井の3名も浪雅師のご指導を頂きながら吟行を楽しんだ。
また写真についてもプロ級の津田さんを中心としつつも佐藤さんと河井もかなりの枚数撮影した。

(初 日)
○ 長野駅にて大阪から来られた佐藤さんと合流した後、扇沢よりトロリーバスにて黒部へ入る。満々と大量の水を蓄えた黒部ダムから一挙に放水されている様は正に圧巻(写真@)。破砕帯突破に7ヶ月を要した難工事に全員しばし感慨にふけった(写真A)。
      「清水美味いまにのこりし破砕帯」浪雅
      「蜘蛛の糸黒部ダムなる音激し」征治

写真をクリックすると拡大します
(1) (2)


○ 大観峰経由室堂着。室堂から宿泊する雷鳥荘まで22Mを歩いたが、火山岩がごろごろ転がっている険しい山道ながら全員ものともせず歩く。周囲は処処に残っている雪と黒い岩肌の対照が実に美しい(写真B、C、D)。

「雪渓の晴舞台めく雲晴れて」博章
「雪渓のキリンの肌となり走る」庄八
「冷え切って雪渓の道歩みゆく」浪雅

(3) (4) (5)

(2日目)
○ 早朝雷鳥荘の前に勢ぞろいした(写真E)あと、弥陀ヶ原の湿地帯を歩いたが、ちんぐるまをはじめとする野草が可憐で美しい。
「朽ち果てし木道をゆくちんぐるま」浪雅

(6)

次に、森林浴の森・日本100選にも選ばれた「美女平」に遊ぶ。立山杉やブナ、トチなどの原生林が広がる様は、かつて当会でも訪れた屋久島や白神を思わせる(写真F)。

(7)

さらに称名滝に向かう。バス停から滝への山道1KMを登っていくと霧の中から忽然と落差350m日本一の大瀑布が現れ圧倒される。直前に降った雨と雪融け水が合流したためか「過去3回訪れたときよりもはるかに水量が多く」(河井)、300M手前まで水しぶきがかかる程。全員感動に打たれつつしばし動くことができなかった(写真G)。
「雲分けて迫りくるかに滝しぶく」博章
「日輪の翳を発して滝大き」浪雅
「雲分かち称名の滝落ちにけり」征治

(8)


(3日目)
○ 宇奈月からトロッコ電車に乗って日本一深いV字峡谷を縫うように走る(写真H)が、左右の峡谷美がすばらしい。終点の猿飛峡は黒部本流で最も川幅が狭く、昔猿が飛び越えたことから名がついた(写真I)。
「トロッコや奔る流れをぶな越しに」庄八

○ 帰路魚津にて白海老を肴に乾杯し、3日間の余韻に浸りつつ佐藤さんとお別れした。
「白えびのかき揚げ食いて旅終えぬ」庄八

(9) (10)

旅行愛好会幹事・河井征治(記)

如水会42年会旅行愛好会第8回旅行「出羽方面」

○日 平成20年11月9日(日)〜10日(月)
○行程 ○初日 東京――山形――臨江亭・滝沢屋(昼食)――最上峡船下り――羽黒山――上ノ山温泉泊。
○2日目 上ノ山温泉――斎藤茂吉記念館――山寺・立石寺――山寺ふもとや(昼食)――平清水(陶芸の里散策)――山形――東京
○参加者 月崎博章D、津田正道D、河井征治G、半田秀夫G、柏田洋征I、檀上正泰I、植田紘41、以上7名。

<はじめに>
今回は山形ご出身の半田君のご案内により出羽方面を巡ったが、全行程燃えるような紅葉・黄葉と澄み切った空気を満喫したほか、歴史、芸術、文学等にも触れることができた。その2日間を俳人・柏田君(雅号・柏田浪雅)の作句と津田君のプロ級の写真を中心に振り返ることとしたい。

<初日>
白糸の滝ドライブインより最上川船下りを楽しむ。まず両岸の全山燃えるような紅葉に全員感嘆の声をあげる(写真-1)。

     「白波のはやき瀬なれど紅葉山」

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(1)

処々に流れ落ちる滝と紅葉が見事に調和して素晴らしい光景を見せてくれる(写真-2)。
川中途の「仙人堂」は義経一行の常陸坊海尊が建立したといわれる堂であるが、「義経が最上川に来なかったならば芭蕉も来なかったかもしれない」といわれており、芭蕉が「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだ所として有名。一同、歴史上の2人の人物の不思議な因縁に思いを新たにした。

     「対岸の仙人堂まで紅葉照り」
     「黄葉のいと濃きところ舟回る」

(2)

(船中句作に励む柏田君と紅葉に見入る檀上君と月崎君(写真-3)。
続いて出羽三山の中心・羽黒山に登る。表門をくぐると吸い込まれるような下りの石段、両脇に推定樹齢350〜500年を超える杉の巨木並木が聳え立つ(写真-4)。

     「巨木より降りくるものに冬の歌」

(3) (4)

月山、湯殿山をも祭る三神合祭殿の厚さ2.1mの萱葦の大屋根の迫力に圧倒された(写真-5)あと、国宝・五重塔にも参るなどにより、結局全道2446段を全員歩ききった。黄葉を背景に撮った写真(写真-6、-7)は、心なしか全員満足感に浸っているようにも見える。

     「羽黒山けふ林立の黄葉の樹」
     「柏手の聞こえて黄葉ゆれにけり」
     「咳をして黄葉のひかり散らしけり」

(5) (6) (7)

<2日目>
早朝、宿泊した上ノ山ご出身の斎藤茂吉氏の記念館を訪れる。歌人として、文学者として大きな業績をあげられ文化勲章まで受けられた氏の業績を偲びつつ、夫人と愛人のはざ間にあって苦悩されたであろう氏の別の一面も垣間見ることができたことなどもあって、氏の残された次の一首が一同の印象に強く残った。

     「あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり」({あらたま})

館の玄関の紅葉は歌の印象と重なり合ってか、一段と美しかった(写真-8)。

     「たまきはる吾のうちそとに紅葉散る」

(8)

次に山寺・立石寺を訪れる。大小40余の仏教建築物が点在し、終点の奥の院まで1015段の石段を歩いたがかなり厳しかったものの、「芭蕉さんも登ったのだから」と自らを励ましつつ何とか登り切った。山門での真紅の紅葉(写真-9)、そして五大堂から展望できる里山の一大パノラマ(写真-10)も素晴らしい。

     「立石寺一望したる里紅葉」

(9) (10)

最後に、芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の名句を残したせみ塚を訪れた(写真-11)。

(11)

<終わりに>
今回の旅行は素晴らしい秋晴れと紅葉に恵まれた上、柏田君の多数の秀句、また檀上君の
数々の名・迷・駄?!洒落等もあり実に楽しく印象深い2日間であった。

     「ラフランス匂ふ友の荷旅終はる」

旅行愛好会幹事・河井征治(記)

旅行愛好会第7回兼峰水会旅行打上げ会兼旅行放談会

日時:平成20年7月23日(水)19:00〜21:30
会場:うすけぼー日本橋店
参加者:月崎博章D、津田正道D、峰崎直樹D、河井征治G、田所保G、柏田洋征I、檀上正泰I、羽山章一I、玉木裕子・峰崎議員東京秘書、以上9名

<打上げ会>
7月11日(金)〜13日(日)実施した「積丹・ニセコ3日間の旅」の打上げ会を開催した。旅行参加者の内、笹生洵也Cご夫妻、棟方俊樹・峰崎議員札幌秘書、藤崎史夫ご夫妻の5名は残念ながらご欠席となったが、標記旅行参加者6名と事前放談会参加者3名の計9名が出席。写真を交換しながら未だ印象も鮮やかな3日間の旅を振り返った。行程の中でも藤崎史夫さん(S43)労作のさくらんぼのはちきれそうな実の充実振りと芳潤で深い味わい、そして同氏の充実感溢れる表情に感銘を受けたこと、また神威岬の奇岩断崖絶壁が織りなす海岸美と「シャコタンブルー」と呼ばれる深い深い紺碧の海の色には本当に感激したこと、等が熱っぽく語られた。そして初日の余市・浜善でのウニ丼と刺身、2日目岩内での海鮮丼はいずれも「最高の味だった」との一同評価。

今回の旅行がこのように好評を博するに至ったのは、旅行には参加されないにもかかわらず2回にわたる事前放談会にご出席頂いた7名の方々(今回ご出席の柏田、檀上、羽山3氏のほか、ご欠席された小杉俊二A、服部達E、杉本伸之E、高原正靖Lの4氏)を中心にそれぞれの経験・情報を盛り込んだいわば「手作り型の旅行」としたことが大きな要因との意見で全員一致。本旅行会が着実に盛上りつつあるのもこうした表には表れないご支援者に負うところが非常に大きい。

<今後の計画>
会の後半は「今後の旅行計画」についての議論に費やされたが、結局次のようなところに落ち着いた。
○ 旅行の規模と開催頻度――従来は年間大型2件であったが、今後は同大型1件、中小型1件、または中小型2件とする。
○ 日程――平日の利用を工夫する・
○ 運営方法――今回と同様、打上げ会、旅行放談会等を活用しつつ「手作り型の旅行」を指向する。

上記を踏まえつつ本年度下期の計画を具体的に議論した結果、次の通り決定した。
平成20年11月9日(日)〜10日(月)羽黒三山(1泊2日)
――羽黒山の紅葉のピークが11月9日との予報。上ノ山温泉、天童温泉等豊富な温泉群。そして芭蕉の足跡を辿る吟行も。

以 上

旅行愛好会・峰水会幹事・河井征治(記)

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旅行愛好会第7回兼峰水会旅行 「海岸美と豊かな自然に感激・感動!積丹・ニセコ3日間の旅」

開催日:平成20年7月11日(金)〜13日(日)
参加者:笹生洵也C・早苗、月崎博章D、津田正道D、峰崎直樹D、田所保G、河井征治G、玉木裕子(峰崎議員東京秘書)、棟方俊樹(同札幌)、藤崎史夫(43商)・同夫人、以上11名

<初日>
東京組5名は羽田から新千歳に降り立ったところで現地組と合流し、貸切バスにて余市町に着行。藤崎さんご紹介の「浜善」にてウニ丼と刺身を賞味するが、そのとろけるような超新鮮な味は「東京では決して味わえない生涯で経験した最高の味」との評価で全員一致。

次いで同町内のニッカウヰスキー余市蒸溜所を訪問。スコットランドにウイスキーの製法を学んだ竹鶴正孝が気候風土が似ている当地を理想の地として1934(昭和9)年設立したのが当所。今も当時と変らぬ製法でつくられている原酒をおいしく試飲した。(写真1)。

次に今回の旅行の山場となる仁木町の「藤崎農場」を訪問する。藤崎さんは7年前某銀行を退職され当地へ入植、さくらんぼを主体に栽培されてこられたが、10トンを越える堆肥を毎年投入し続けてきた結果時間をかけて土の団粒化が進み、化学肥料で焼けていた根が力を取り戻したため「さくらんぼに劇的な変化が生じた」由。ご夫婦にご案内頂きながら全員、甘く食味の良い佐藤錦と、同じ佐藤錦系で晩生種ながら超大粒の南陽を採取しながら賞味したが、はち切れそうな実の充実振りと芳潤で深い味わいに強い感動を覚えた。「経営も今は十分な黒字を出せるまでになった」といわれる藤崎さんの充実感溢れる表情に、一同そのご苦労を偲びつつ心からの敬意を禁じ得なかった(写真2・3)。

当日は小樽ビール発祥の地「小樽倉庫No.1」にて夕食(写真4)、小樽ヒルトンホテル泊。

<2日目>
今回の自然面の最大の目的地・積丹(シャコタン:夏の集落の意)半島に入る。海中に屹立するローソク岩の出迎えを受けたあと積丹観光のハイライト神威(カムイ:神さまの意)岬に着く。駐車場から岬の先端までは「チャレンカ(悲恋の主アイヌ娘の名)の小道」と呼ばれる遊歩道770mがあり全員歩いたが、起伏の激しい尾根伝いの道でかなり厳しかった(
写真5)。 しかし途中眺める奇岩断崖絶壁が織りなす海岸美、そして「シャコタンブルー」と呼ばれる海の色は群青色、エメラルドグリーン、コバルトブルー、一言では表現できない深い深い紺碧――一同声もなく息をのむ(写真6)。しかもわずか2時間の間に、海底の白い岩盤に太陽光線が当たって時間とともに青さが微妙に変化することにも一同目を見張った。断崖一面に咲く黄橙色のエゾカンゾウも美しい。
午後はネイチャーガイド・中川俊之さんのご案内によりニセコをトレッキングする。ニセコの中でも最も美しいとされる神仙沼周辺を約2時間周遊したが、海抜750m以上の高原に自生する赤エゾマツ、タケカンバ、ハイマツ等の醸し出す雰囲気は「神々や仙人が住む」という名にふさわしく、またワタスゲ、チングルマ、キバナシャクナゲ、ミツガシワ等野の花を中川さんの解説をききながら観賞する(写真7)

当夜はニセコ昆布温泉に投宿。

<3日目>
京極の噴き出し公園にて羊蹄山の伏流水を飲んだが、正に甘露の名にふさわしく甘く美味、自然の恵みに感激する。

次に4日前までサミットが開かれていたウィンザーホテル洞爺に立ち寄り、各国首脳と同じコーヒーを賞味した(写真8)。

最後に白老町荒井工芸館にて手作りの木彫品を鑑賞、土産に購入し、感動感激の3日間の旅を締めくくった。

旅行愛好会・峰水会幹事:河井征治(記

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(1)ニッカウイスキーの原酒を賞味する。 (2)藤崎さんの解説に一同聞き入る。 (3)一同感動を覚えつつ藤崎ご夫妻を囲む (4)小樽ビールにて乾杯
(5)起伏の激しい「チャレンカの小道」はかなりきつかった。 (6)深い深い紺碧の「シャコタンブルー」の海
(7)ネイチャーガイド中川さんのご案内でニセコ神仙沼周辺をトレッキング
(8)サミット開催直後のウィンザーホテル洞爺を背景に

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