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一橋フォーラムを受講して

 今回のフォーラムは7割出席でした。自分としてはなかなかの出席率です。
後半出席できたのは、「現代天文学が迫る地球環境への意識革命」講師:吉井譲東大大学院教授と「環境としてのブナ林」講師:福嶋司東京農工大大学院教授、です。
  天文学なんて久しぶり。壮大は映像で、一瞬にして如水会館のスターホールがプラネタリウムに。最近、空を見てますか?月に見とれてますか?星を探したりしてますか?と自分に問いかけてしまいました。天文学って中学くらまで好きでしたが、文系を選んだ瞬間、関心にフタをしてしまいました。やはりキレイな銀河の映像っていいですね。講義まるごと録画したかった。宇宙レベルでは人間が環境を破壊しても知ったこっちゃない、というフレーズが印象的でした。太陽が巨大化していつかは地球も飲みこまれるんだもの。「宇宙カレンダー」(ビックバンから現在に至るまで24時間時計で表現したもの)というものを解説していただきました。なんと、現在の文明は、23時59分59.5秒から一瞬のうちに築かれた計算になるとのこと。もし環境破壊→人類滅亡なんてことになったら、人類が築いてきたもの全ては「宇宙カレンダー」上で一瞬のうちに花開き、一瞬で失うことになるのだそうだ。これが人類の選択だったらなんとももったいなくさびしい気がしますね。最後は国立駅の映像でしめくくられました。

  福嶋先生は毎月一橋植樹会の作業日をご指導くださいます。この木は残そう、このエリアは落葉樹の世界にしよう、この下草は刈って地面に光をいれよう、ツルを除去しよう、などなど、具体的に指導してくださいます。作業が終了すると、お酒です。福嶋先生は、大の日本酒好きで、まぁ強いこと強いこと。昨年の12月の「大分久住ススキ合宿」では、私は一番最初に沈没。一番最後まで先生が飲んでらっしゃいました。フォーラムの講義では、お酒の席を共にした受講生が何人も目の前にすわっていて照れくさそうな先生でした。私が福嶋先生の講義を受講するのは「定例晩さん会」、「植樹会合宿講義」につづき3回目です。福嶋先生の自然観察会にもお邪魔しました。パッと見てこの植物はこうでああで、あの樹木はこうでああで、と、すごいんですよ。一度、ご参加をおすすめします。福嶋先生が受けもたれてるのは朝日カルチャーセンターの「森の学校」です。フォーラムの講義で印象的だったのは、農学部の学生さんが、植物の遺伝子レベルのミクロのことに詳しくても、植物をあまり見たことがなかったりするのだそうです。あまり自然がまわりになく育ってきたんでしょうね。自然観察が身近にできる「環境」を整えることが必要とのこと。植樹会はうってつけの活動ですヨ!フィナーレは国立キャンパスの航空写真です。緑地計画の解説とともに「学内をご案内」していただきました。武蔵野の雑木林の面影が残る貴重な緑地が、すぐ裏庭にあるのです!こんなステキな福嶋先生とともに、国立キャンパスのすぐ裏庭で一緒に汗をかくことができる一橋植樹会に、是非一度顔を出してみられてはいかがでしょうか?

  私個人的な経験で恐縮ですが、幼少時は光化学スモッグのはやる京都の街部に住んでいたときは、カラダがボロボロでした。夏、プールにも入れなかった。滋賀の山間地で暮らすようになって、何事もなかったかのように元気になりました。社会人生活においても、自然とのおつき合いは自分にとって必要で、離れたりごぶさたするとどうもいけないようです。今回のフォーラム以降も関心を持ち続け、身近な草花、樹木、鳥に親しみ、自然の元気をわけてもらいたいと思います。 

竹澤京介/平成7卒/組織強化委員会委員(一橋植樹会・平成卒業生の会担当)


第63期 一橋フォーラム21の前半を受講して    竹澤京介(平7経)

まずは、10月17日の「水と生命の世紀に相応しい自動車の進化」(講師:稲生 武 NPO法人蔵前バイオマスエネルギー技術サポートネットワーク)で、とりあげられた、1992年のリオ環境サミットでの12歳の少女のスピーチを、長くなりますが、講義レジュメからまるまる抜粋させていただきます。

12歳の少女、セヴァン・スズキの伝説のスピーチ

セヴァン:
11歳の時、私はトップの政治家や各国の首脳が集まって世界最大規模の会合が開かれるという噂を家で耳にしました。

私は、この会議の結果によって最も利益を受ける、または苦しむのは私たち子どもなのに、この会議には若者の代表がいないことを知りました。私はECOこそ子どもたちの代表としてブラジルに行くべきだと両親に言いました。私はお菓子を焼いたり、アクセサリーを作って売ったりしました。地元の人たちの支援もあり、私たちは5人の代表をリオに送るのに十分な資金を集めることができたのです。

私たちはNGOのブースを一つ借り、興味を示してくれる人なら誰にでも声をかけました。機会があればどこでもちょっとしたスピーチをしました。いつでもインタビューに応じ、質問に答えました。そしてとうとう、リオ滞在の最後の日、最後の瞬間に私たちはあの最高の時を迎えたのです。ユニセフ議長だったグラント氏が、「あの子たちにも全体会議に参加させるべきだ」とサミット議長のストロング氏を説得してくれて、私たちはそこでスピーチをするように言われました。地球サミット会場に向かうガタガタ揺れるタクシーの中で半狂乱になって原稿をなぐり書きしたことを今でも覚えています。

私と他の4人のメンバーは、なんとかして自分たちが世界のリーダーたちに言いたいことをすべて一つのスピーチにまとめようと頑張りました。私たちは警備の人たちの間をすり抜けるようにしてセッション会場に駆け込みました。大きな会場いっぱいの重々しい代表の人たちを前にして、あがってしまう時間さえありませんでした。私はスピーチを始めました。

伝説のスピーチ
こんにちは、セヴァン・スズキです。エコ(ECO)を代表してお話します。エコというのは子ども環境組織(Environmental Children's Organization)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるために頑張っています。あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をしてきました。

今日の私の話にはウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけが違うんですから。私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。太陽のもとに出るのが、私は怖い。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえ怖い。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンで冒された魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠に戻ってこないんです。

私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの野鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢を持つこともできなくなるのではないか?あなたがたは、私ぐらいの歳の時に、そんなことを心配したことがありますか?こんな大変なことがものすごい勢いで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。

でもあなたがた大人にも知って欲しいんです。あなたがたもよい解決方法なんて持っていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠になってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。どうやって直すのかわからないものを壊し続けるのはもう止めてください。

ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でも本当は、あながたも誰かの母親であり、父親であり、姉妹であり兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。私はまだ子どもですがここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです。50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分け隔てようとしても、このことは変えようがありません。

私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は怖い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを私は恐れません。

私の国での無駄遣いは大変なもです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費し続ける北の国々は、南の国々と富を分かち合おうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手放すのが怖いんです。 カナダの私たちは十分な食料と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを教えてあげたら何日もかかることでしょう。

2日前、ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちは、ショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着るものと、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに」家もなにもない一人の子どもが、分かち合うことを考えているのというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

これらの恵まれない子どもたちが、私と同じくらいの歳だったということが私の頭を離れません。どこに生まれついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで乞食をしてたかもしれないんです。もし戦争のために使われているお金を全部、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どものだけどこのことを知っています。

学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は、私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、

・争いをしないこと
・話し合いで解決すること
・他人を尊重すること
・散らかしたら自分でかたずけること
・ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
・分かち合うこと
・そして欲張らないこと

ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしてるんですか?なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育 ち生きていくのかを決めているんです。 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」と言って子どもたちをなぐさめるものです。あるいは「できるだけのことはしているから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。お訊きしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか?父はいつも私に不言実行、つまり、何を言うかでなく、何をするかでその人の価値が決まる、と言います。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたがたはいつも私たちを愛していると言います。しかしわたしに言わせてください。もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動で示してください。
最後まで私の話を聴いてくださってありがとうございます。

スピーチが終ったとき、人々は立ち上がって歓声を上げました。驚くほどの反響がありました。政治家、各界の代表、ドアマンまでが目に涙をいっぱいにためて、本当に大事なことを思い出させてくれた、ありがとう、と私たちに言いました。私のスピーチはサミット会場がある建物全体と国連で再放送されました。国連環境サミットで未来の子どもたちを代表して、12歳のセヴァンは大人たちに訴えた。私たちを愛しているというのなら、荒れ果てた地球を子どもたちに残していかないで・・・・・』

サミットのあった1992年といいますと、私は大学で山登りに夢中になっていた頃です。あれから10数年が経過。私には、彼女のスピーチにあるようなことは、とても口に出して言うことはできません。特に、私が就職活動を始めた年に「就職氷河期」という言葉が使われ始め、この10数年の不景気で、個人単位、家族単位の生活、というものがある限りどうしても「環境」は後回しになってしまうのを実感してしまいました。一方、デフレで物の値段が下がり、かえって放置自転車等に代表されるように物が粗末に扱われるようになったと思います。かといってバブル時のように景気がよくなれば、なおさら物が大事にされることはないでしょう。しかしながら、身につまされる、ジーンと訴えるものがあるスピーチです。だからこそ、この「12歳の少女」に登場してもらって何度も何度も言ってもらうしかない、そんなスピーチ稿です。「自動車」の講義で、こんなスピーチに出会えるとは夢にも思いませんでした。

児玉谷先生の初講「総論並びにアフリカの環境問題」で、日本の中古自動車が、アフリカの都市部の道路を埋め尽くしているスライドを見ました。今、私は石原一子先輩のオススメで投資家のジム=ロジャースの世界冒険記を読んでいます。なんと2年かけて1度目はバイクで、2度目は、自動車で陸路を、世界「冒険」するのです。その冒険記でジムは、先進国から流れてくる援助物資の行く末を目撃します。つまりは、先進国で集められた使い古しの洋服や、寄附された食糧は、業者の手に渡って「廉価品」と化し、アフリカで「販売」され、現地の産業と農業は、タダ同然の商品に負け、自立をさまたげている、という現場にでくわすのです。
ここだけ見ると、本当は「物をあげる」より「自立を手伝う」ほうが重要だと思いませんか?10月10日第3講「環境問題の国際交渉(京都議定書)」では、実際に交渉にあたられた朝海和夫元大使の生々しい現場のお話が聴けました。「次世代のために地球環境を!」などと正論を言っても国際交渉の場では遅々として話が進まない現実をまざまざと見せつけられた気がします。第2講「環境政策と基礎と最近の環境行政の動向」(講師:寺田達志)では、環境省の審議官で現場の政策にあたられてる先輩から、環境知識の総まとめ的な講義をしていただきましたが、インパクトがあったのが二つ。 ひとつは、日本は「水を輸入」している。 ふたつめは、日本国内の最大の優先事項について。
前者は:全人類が利用できる淡水は、水の総量の2.5%だそうです。さらにそのうち実際使えるavailableな水がわずか1%(残り99%は氷河と深層地下水)。つまり人類が使える水は0.025%。そいう世界的な状況で、日本は、ミネルラルウォーターから野菜、海産物に至るまで、人間が生活に必要な「水分」まで輸入に頼っている、という現実。輸入がとだえたら...
後者で:国内で健全な水を確保するには、手入れが手遅れになり荒廃しつつある国内の人工林に手を入れること、これが、日本国内の第一優先急務の環境問題である、とうこと。

前半の講義で特に印象に残ったことを列記してみました。

私の個人的な話で恐縮ですが、この夏、森林インストラクターなる資格にチャレンジするべく「森林インストラクター養成講習」を受講しました。そのなかの「野外活動」という講義で、講師の先生が、体験学習、経験学習の大切さを力説されていました。特に、世代がさがればさがるほど「自然体験」が乏しく、自分たちが思っている以上に乏しい、そうです。
養老先生の著書『一番大事なこと』でたしか「大事だから大事なんだ」というようなくだりがありました。自分は、一橋に入り、ワンゲル部に入部して、学生時代は、山登りに、たまたま--入学前から山が好きだったわけじゃなく、本当にたまたまなんです--どっぷりつかることになり、山の中で(一時的にでも)生活するのは大変、山登りだって大変、決して楽なわけではないけれども、山の中にいることが身体によい、心によい、キレイな水で、おいしい水で、岩魚が手づかみでとれる、森林っていいな、大事だな、という感覚がしみつきました。
幼少時、京都の都心部から、滋賀の山間部に引越ししたら急に体調がよくなった、という経験もあり、「大事だから大事」って分かります。しかし、ワンゲル部に入らなかったら、自分が「自然」に関心を持つことはなかったでしょう。
当時よく山に連れて行ってくれた運送会社の社長さんがよく、「おまえみたいに(一橋を出たら)大きな会社に入るんだろう、社会人になって会社のことしかしらないなんてならないように、人としてバランスをとるために社会人になっても山にはいれ」とよく言われました。
人間にとって、自然とは大事なものでもあり、同時に厳しいものもあります。本来的には好きになれるものではないかもしれないな、目をそむけたいものかもしれないな、とふと思うことがあります。だからこそ、現代社会では、幼いうちに、少しでも自然に触れる機会があったほうがよい、なんらかの形で、小中学生くらいの子どもが自然に触れるのを手伝えるような活動に関わりたい、というのが卒業以来変わらない思いです。
数年前までは仕事が軌道にのるまでがんばって、それからやろうと思っていました。でもいろんな方と出会ううちにその考え方は変え、いまでもできることをやろうと思いました。今の自分にとって、それが「一橋植樹会」です。 植樹会のリーダーでもある福嶋先生の自然観察教室にもくっついていきました。現役の学生さんには在学中に少しでも裏庭school yard の自然に触れて欲しい。
いろいろな思いを強くした今回の一橋フォーラム前半戦です。


第63期一橋フォーラム21「環境」     竹澤京介(平7経)

  第63期の一橋フォーラムにエントリーしました。今回は「環境」がテーマなので、マジメに出席したいと考えております。というのも、在学時の私の卒論のテーマが、環境とりわけ森林と日本の林業についてだったものですから、今でも関心はあるし、森林/林業以外のテーマについて最近の動向を聞いてみたい、という気持ちがありました。今回のフォーラムのテーマが「環境」に決まったいきさつは、前植樹会会長代行の田中先輩が発端と聞いています。またあのレスターブラウン氏を一橋大名誉博士として招聘するにあたり児玉谷先生がコーディネートされたとお聞きしています。そんなこんなで企画が進み始まったフォーラムだそうですので、楽しみにしてました。

  9月19日が開講日。如水会館の2階のオリオンルームに大学の教室風に机が並べられ、第1回目、児玉谷史朗先生の講義を受講しました。講義を克明に再現なんてとてもとてもできませんが、講義の前半は、全体を概観できるような講義内容です。今回のフォーラムは全10講を通しての大きな特色は、「理系」の講義をかなり揃えた、ということだそうです。一橋は社会科学のcollegeですから、この機会に是非理科系の知識にも目を向けて欲しい、というのがコンセプトのひとつ、とのこと。壮大なテーマとしては、第8講「現代天文学が迫る地球環境への意識変革」、東工大出身の自動車会社元社長の方が講義をされる第4講のテーマは、「水と生命の世紀に相応しい自動車の進化」、そして、最終講は我らが一橋植樹会のリーダーであられる福嶋司先生(東京農工大)の「環境としてのブナ林」です。確かに理科系ご出身の講師陣でちょっとついていけるのどうかが心配。

  児玉谷先生の講義ではスライドをたくさん見せていただきました。印象に残っているのが、オゾンホールの進展(悪化)のスライドです。数十年前と大きさがえらく異なっていて、「え、そんなに!!」とつぶやいてしまいました。後半は、児玉谷先生のご専門の「アフリカ」の環境問題でした。キリマンジャロ山の雪が年々減少している、チャド湖が年々小さくなっている、などショッキングなスライドが続きます。日本に住んでいて、しかも都内で勤めていると、正直、気象の異変は感じられても、環境そのものの激変については全く目に入ってきません。リオの環境会議の後も、どんどん環境劣化が、特に、アフリカでは、進んでしまったんですね。。今後グローバリゼーションが進めば進む程、アフリカにかかる負の負荷は、増大せざるを得ない、一体どうしたらいいんでしょうか。ただ、講義の最後のほうで、希望を感じるテーマがふたつほど。ひとつはアフリカの森林について。世界の森林は毎年730万ヘクタール消失しているんですね。その原因のうち大きいものが、焼き畑や薪(燃料)の採取によるもので、森林破壊は焼き畑をする農民のよるものだ、という認識で私はいたんです。ところがFairhead&Leach両氏の共著による研究書によると、アフリカの森林が(面ではなくて)点在の状態にあるのは、随分昔から変わっていないそうです(気象条件のせいでしょうか?)。つまりは、農民がその状態を保ちながら上手に自然とつきあってきた歴史があって、森林がなくならないで済んでる(所もある)ということが研究の結果、分かったそうです。今後さらに研究が進んで、そういう自然の利用の仕方をシェアできるとよいですね。

  次に、環境活動におけるアフリカ女性の活躍です。講義の最後に紹介された書物がアフリカの環境保全のNGO活動をされてる女性が著者で、題名は、"The Green Belt"。アフリカでは、女性が仕事として薪集めや水くみをしているから環境の変化に敏感で、そのため、活動の中心的役割を女性が担う、そうです。女性ならではの感覚を活かされて活躍されてるんですね。ポイントは、日常的に自然とおつきあいがあるという点、でしょう。私個人の印象としては、日本では、残念ながら、「自然が遠くに行ってしまった」感があります。(人の自然に対する)気持ちも遠いし、(利便性の高い"自然"がどんどん宅地などに置き換えられて視界から消えて)物理的にも遠くなってしまった、そんな感じでしょうか。関東平野にいると、まわりに山も見えないので、その感が強いです。自然が"遠く"なると、自然のおかげで生活ができてるってあたりまえのことが、なんか頭の中から吹っ飛んでしまったまま日常生活が進んでいってしまう、そんな気がしています。
  自分ひとりで何ができるわけではないですが、受験の時に習った英熟語を無理矢理使うなら、"keep in touch with 自然"、を日常心がけたいな、と改めて思いました。今回のフォーラムで、自然科学系の知識も食わず嫌いせずに耳学問して、自然について、知らないことをちょっとでも知りたいな、と思いました。

 
© 一橋植樹会