キャンパスの緑、キャンパスの雰囲気
伊丹敬之
(昭42商・昭48博商 東京理科大学教授 一橋大学名誉教授)
まだ若い頃、スタンフォード大学に合計二年間、滞在したことがある。 1975年4月から76年3月までと1982年4月から83年3月、の二度に亘ってスタンフォード大学ビジネススクールの客員教授として教えていた。 滞在期間が日本の学年歴に合わさってるのは、こちらが無理を言ってお願いしたものだった。
それが思わぬ効果をもった。 3月の末に日本に戻ってきて、国立の桜のシーズンに間に合うのである。 そしてすぐに新緑が始まる。 「一橋大学のキャンパスと大学通りの緑は素晴らしい」と二度の国立帰参の度に思った。 一橋大学は、キャンパスといい、周辺の町の佇まいといい、日本一の大学だと心から思ったのである。
スタンフォード大学も、キャンパスとその周囲の町(パロアルト)の佇まいの素晴らしい所である。 全米でも指折りだろうそこと比べても、スケールにおいてはかなり劣るが、佇まいの良さでは匹敵する程素晴らしいと思う。 そう思えるような大学、大学町に暮らすことを心底幸せに感じられた。 そう感じている自分が嬉しかった。 時が春だったこともあるのだろう。 桜の花から桜の芽が出て赤い新葉が出てくる頃の大学通りとキャンパスは、雨の時のけぶるような空気の湿潤さと多様な緑色のグラデーションが、実に美しい。
スタンフォードの美しさは、かなり種類が異なる。 キャンパスの中の緑をとっても、細やかな美しさではなく、広々として天が抜けるような美しさとでも言おうか。 ユーカリの巨木があちこちにあり、アメリカンシーダーとヤシが同居している。 サンドストーンの石造りの本館は確かに美しいが、スペインである。 直截的でドライ、しかし緑も多いが何よりも茶色のグラデーションの美しいキャンパスであった。
尤もキャンパスといっても、「大学のアカデミックな施設の在る空間」だけがスタンフォード大学の用地ではない。 大学の所有地はそうしたキャンパスを含んで、遥かに大きな面積に広がっている。 確か、サンフランシスコ半島最大の地主がスタンフォード大学だった筈である。 日本で言えば、国立から小金井・武蔵境辺りまでの中央線沿線地域が軽く含まれる位の大きさではないか。
一橋大学の場合は、大学の用地と言えば、狭い意味のキャンパスとほぼ同義であるが、スタンフォード大学の場合は、その用地の中にハイテク工場や企業の研究所、ショッピングセンター、マンション群からゴルフコース、そして広大な山林までが、一まとまりの土地の中に収まってしまっているのである。
スタンフォードゴルフコースは、素晴らしいゴルフ場だった。 私は教員だったので、メンバー扱いできわめて安価にゴルフをやることが出来た。 75年4月のマスターズのテレビ中継を見ていてどうしてゴルフがやりたくなり、中継が終わった後直ぐにゴルフ場に行ったことを覚えている。 トム・ワトソンとタイガー・ウッズがスタンフォード大学の卒業生だが、トム・ワトソンのことは当時、ゴルフ場で一緒になるプレーヤーから度々聞いた。 タイガーは未だ生まれていなかったかも知れない。
起伏がかなりあるゴルフ場で(つまり、スタンフォード大学用地はサンフランシスコ半島の背骨の山の方へ広がっている)、アメリカンシーダーの高い針葉樹とセコイヤがあちこちに森を作っていたと思う。 そして、カリフォルニアオークがあの曲がりくねった巨体で枯れ果てた丘陵のスロープに点在していた。 枯れた草の色とカリフォルニアオークの濃い緑の葉が、いいコントラストをしていた。 勿論、雨期である冬から春にかけてはその丘陵が一斉に緑に変わる。 冬とはいえ、カリフォルニアは暖かいし、案外雨があるのである。
最近、東京バーディという青梅にあるゴルフ場に行った時、何処かで見たようなゴルフ場の景色だと思った。 スタンフォードゴルフコースを思いだす風情があった。 北カリフォルニアの雰囲気なのである。 フロントの資料で見ると、設計者は北カリフォルニア在住の日系アメリカ人のようであった。 「成程!」と思った。 針葉樹はセコイヤを多用している植栽だったのである。
スタンフォード大学の美しさは、その大学町であるパロアルトの美しさでもある。
パロアルトにも、University Avenue という名前の大通りが、大学から町の中心を抜けるように走っている。 その周囲は、素晴らしい住宅地である。 マグノリアの並木がほとんど鬱蒼と言ってもいい程に茂り、その通りから大きな芝生の庭の先に白い広々とした平屋の住宅の玄関がある。 絵に描いたようなカリフォルニアの高級住宅街であった。(もっとも高級住宅街という意味では、パロアルトの北隣のアサートンという町は、真のお屋敷町だった。 一つの敷地が巨大で、通りからは門が見えるだけ等というお屋敷が並んでいた)
その高級住宅地の一角に、一軒家を借りて住んでいた。 アメリカの高級住宅地に住む機会などもう二度と無いかも知れないと思って、思い切って借りたのである。 確かに家賃は高かったが、バブルになりかかりの日本の不動産価格からすれば、まだ割安に見えた。 確か、50万ドルでその家が買えたはずである。 今はもう、その10倍近くになっているのではないか。
そうした住宅街から、マグノリアの並木を抜けて、大学へ通う。 勿論、車である。キャンパス自体も巨大で、パロアルトの町からとても歩いて通えるような距離ではなかった。 その通勤の道すがら、パロアルトの町にもキャンパスの中にも、さまざまな花が咲いていたことを思い出す。 じつに美しい町であった。 中でも、雨期の後の3月頃のスタンフォードが一番美しいように思った。
その美しいスタンフォードから国立へ帰ると、たしかに町全体はパロアルトの方が豪華感があったし、大学のキャンパスもスタンフォードの方が広々としており、整備もされていた。 建物も、兼松講堂や図書館は外観は素晴らしいが、内部の整備はスタンフォードの方がかなり上だったと思う。
しかし、国立には雰囲気がある。 いかにもアカデミックな荘重さと緑の豊かさが狭い空間にパックされて、それはそれでいい雰囲気なのである。 その雰囲気を保ちつつ、一橋大学は東キャンパスをこの十年ほど開発してきた。 私は小平から前期が移転してきた時の商学部長で大学執行部の一員だったが、前期の学生達の教室の建物(東1号館と2号館)を建てた時、幾らかの木を切り、多くの木を残して建物を新築した。 その建物が、新築の瞬間からいい佇まいで収まっているのに、驚いた覚えがある。 普通は、新築の大学の建物の周囲は小さな植樹で暫くは殺風景なままなのに、それが多くの緑に囲まれて恰も何十年も前からその建物があるような感じになっていたのである。
そういう風に建てて欲しいと執行部としてはお願いをしたのだが、それが実現できる実力を国立東キャンパスの緑は持っていたのである。
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