一橋植樹会入会半年を経て
理事 五島 康晴(昭44経)
そもそもの発端は2年前の如水会館での昭和44年卒業40周年記念パーティに遡る。延々と続くパーティーの熱気に少々疲れて会場の外に出たところで先輩らしき二人の紳士(田中顧問と国持理事だったと思います)に声をかけられ、植樹会への勧誘を受けました。如水会々報を通じて植樹会の活動に少なからず関心を持っていたので前向きに話を聞いたように記憶しています。その後自宅に正式の勧誘の書類も送付いただいていましたが、平日に行われる植樹会のボランティア作業には現役の身では参加出るわけもなく日時だけが経過していました。
現役生活を終え生活の軸足を会社から地元へ移動する必要を感じ、これまで顔を出したことが無かった地元の如水会支部(八王子支部)の新年会に参加したのが今年の2月でした。そこで出会った諸先輩の中に籏野一橋植樹会会長がいたというのが入会の直接のきっかけとなりました。そこで籏野会長から植樹会への入会を強く勧められたわけではありません。私の気持ちの中には如水会館で強く入会を勧められたことに対し結論を出さないまま先延ばしにしてきたという思いがあり、ここで思いがけず籏野会長に会ったのも何かの縁、植樹会に入会しようと決心した次第でした。
最初のボランティア作業への参加は2月でしたが第一印象は余り良いものではありませんでした。というのは参加にあたっては事前にインターネットで参加申し込みもしたので、初参加ということで皆さんへの紹介なり名札の準備等も、私が毎月参加している同じような里山を守る会のボランティア活動の経験から、有るんだろうなと思っていたところにどちらも一切なし。特に名札については、新参者でもあり早く名前を覚えてもらわなくてはという思いから、自分で作ろうと思いましたが名札ケースも紙の用意もないという状況でした。しかし、作業自体は予想した通り私の経験が生かせる内容で、早速それなりの戦力にもなりえたようで、気持良い汗をかき、交流会でのビールもおいしく飲ませてもらい満足して30分の道のりを孫の自転車で帰りました。
第2回目の参加があの大震災の3月11日でした。大震災が発生したその時私はチェーンソウの使い方のデモンストレーションで大きな丸太を切断しているところでした。切断中に急に目眩がしたような気がして切断作業を中断しようかと当惑している時に側の体育館から学生が飛び出してきて地震だと認識した次第です。
第3回目の4月の作業日に籏野会長から5月からの新体制に役員として参加する話があり、突然であり全く予想外のことでもあり即座に返事はできませんでした。このような自然と緑を相手にする作業は好きですしそれなりの経験・要領も心得ているつもりで一ボランティア作業員としてはそれなりの自信も持っていました。一方、一橋植樹会という組織の運営の一端を担う立場というのは、全く考えていなかったし、得意だとも思っていないので、お断りしたいというのが本音でした。しかし、断る大義名分も無くなんとなく断りにくい雰囲気を感じなんとなくお引き受けしたという、何とも締まらない感じで伝統ある一橋植樹会の役員を引き受けることになりました。
役員となってからの直接の変化は、月一回の活動日がこれまでのボランティア作業だけの半日仕事から午前中の幹事会を含めた一日仕事になったことでした。しかし、それよりも大きな質的な変化が私の意識の中に生じました。当初は植樹会を月に一回のボランティア作業としか見ていませんでしたが、幹事会に参加することにより植樹会の運営なり理念なりを再認識することになり、私の中で植樹会の存在が入会時とは比較にならないほど大きなものになってしまったということです。
もう一つ入会前に想定していなかったことで、入会後に感じている大きな喜びは学生との触れ合いです。植樹会活動を主としてOBの活動として見ていた私にとって、この半年間で植樹会活動における学生の位置づけを見直すと同時に、この半年間の学生との触れ合いは非常に新鮮で私の現代の若者観を変えさせるものでした。いつの世も年寄りにとって若者は不満の対象になりがちなものですが、作業に取り組む学生、作業後の交流会で歓談する学生を見るにつけ、若者をステレオタイプな見方しかしていなかった自分を恥ずかしく思っているところです。今後はこれまで以上に学生との交流に努めて、彼らの若いエネルギーを吸収して、老いゆく気力体力の維持増進を図り、出来るだけ長くボランティア作業に従事できるようにしたいと思っています。
最後に触れておきたいのは、色んな人との触れ合いのすばらしさです。学生は勿論のことOBの諸先輩の顔と名前も十分覚えきれていない私ですが、アルコールを通しての作業後の交流会とその後の二次会はもう病み付きになりそうです。最初のうちは幸か不幸か二次会の存在を知らず、交流会で軽くビールを飲み、毎月のボランティア作業に通うために投資した電動自転車で帰宅していました。二次会の存在を知り、そこでの色んな人との触れ合いを経験してしまったら、お酒宴会大好き人間の私としては、二次会での酩酊は避けられず、投資した電動自転車が交通安全の観点から無駄になりそうなのが今一番の悩みです。
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作業中の五島氏 |
交流会 |
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