9月度寄稿文
「故郷としてのキャンパス」
法学部4年
三輪健太朗(学生理事)
本稿を執筆している本日をもって私の学生生活も残すところ7ヵ月となりました。(無事に単位を取得でき、卒業論文を書き上げれば、の話ではありますが。)振り返ってみれば、一橋植樹会をはじめ多くの方の御蔭で、様々な活動を経験させていただいた私の学生生活はとても幸せな3年半でした。このキャンパスを離れ、社会に出ていくことに寂しさを感じずにはいられません。この場をお借りし、昨今、私個人の想うところについて駄文を書き連ねさせていただきたいと思います。本稿をきっかけに皆様の植樹会の活動に対するモチベーションの向上に繋がれば幸いです。
今年の初夏に、私は卒業した高校のキャンパスを訪れる機会がありました。私の高校は神奈川の郊外にキャンパスを構え、校歌の題が「緑なす相模野の野辺」であることに象徴されるように、とても緑豊かな(換言すれば、田舎の)キャンパスでしたが、卒業から3年が経った当時も木々は吸い込まれるような新緑に包まれ、豊かな自然に囲まれていました。在学していた当時は都会の学校に憧れることもしばしばありましたが、卒業して思い返せば、新学期には桜が咲き、初夏には緑が茂り、秋には紅葉を楽しみ、冬には富士を眺め、卒業式の季節には梅が花をつけるという季節の移ろいを感じることのできるとても素晴らしいキャンパスであったのだと心の底から感じることができました。キャンパスの自然に触れ、そこで過ごした日々や季節の移ろいが目に浮かぶようであり、このようなキャンパスをいつまでも残してほしいと感じました。
尤も、高校のキャンパスの整備に直接私自身が関与できる機会はありません。その点、一橋のキャンパスの美化に卒業生、在校生が直接参加できる植樹会という窓口が存在していることはなかなかに恵まれているのかもしれない、とも感じました。大学に関して言えば、私はまだ在校生という身分ですが、近い将来、高校のキャンパスを訪れ感じたように、「卒業生」として母校となった国立のキャンパスを訪れ学生生活の思い出を偲ぶこととなるでしょう。そうなったとき、「一橋のキャンパスは思い出で美化されていただけで、たいしたことはなかったのだろうか。」とがっかりしないように、5年後も10年後も現在のような、もしくは更に綺麗になったキャンパスであってほしいと願っています。
高校のキャンパスと同様に、近い将来、私にとっての故郷となる国立のキャンパスには卒業生・職員の方々・在校生による「三位一体」の一橋植樹会という力強い裏方が存在します。残り少ない学生生活を学生理事として、また卒業後も故郷の緑を想う一会員として、植樹会の活動に励みたいと思っております。
最後に、蛇足ではありますが、来たる11月には一橋祭にて植樹会は学生理事を中心に「森のクラフト教室」を例年通り開催しますので、皆様からのご指南、ご協力のほど、どうぞよろしくお願いします。
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