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卒業記念アルバム
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30周年文集

 

 

 和 田 一 雄 

 一橋会を背負って活躍した間宮健一郎君には心の底からの友情を感じて居たが、彼から与えられた三つ目の難題が卒業アルバムの編輯出版の委員長の仕事であった。昭和16年正月早々の事である。

 確約してないつもりで呑気で居た其の3月、彼から「3年生になったら早急に仕事に掛からないと、出版も難しくなるかも知れぬ」と云われて漸く覚悟のほぞを決めたが、当時既に国は大東亜戦争を準備して居た為か、全ての物資は欠乏し諸物価の値上がりが急で、急いで例年の卒業アルバム出版を引受けていた銀座の文祥堂を訪れる事にした。

 有難い事に其の文祥堂の支配人は二見正之君の御尊父であった。
 老練なる同氏の絶大の御協力とアドバイスで、市場から既に姿を消して居た、英国製の用紙、印刷インク、銅版等を押える事に成功して、漸く資材面の心配は無くなった。

 併し乍ら、我々は急に12月卒業に繰り上げが決まり、翌17年の2月1日には大半の学友の入営が決定した情勢下で、学友諸兄は卒論作製等で出欠尋常ならずの裡を、彼等を学園で掴まえて出来るだけ多くのホットのフォートを撮る仕事は、想像以上に困難を極める大仕事であった。特に軍に入る以上は生死の程も予測出来ぬ事態が考えられるだけに、卒業式の日には何としても全員に、アルバムを手渡し度いものと云うのが至上命令であり、我々の悲願でもあった。

 委員全体の必死の努力と協力は、予期以上の立派な出来上がりで、表紙の装丁を例年のビニール張りのチャチなものでは無く、高級洋服用麻布の着地を使用して、時局柄を思わせぬ見事な出来栄えと自讃満足はしたが、学友全員の感想評価を全く頂戴する暇も無く、遂に今日に及んで仕舞った事が何よりの心残りである。

 最後になるが、至らぬ委員長を輔けて万事美事に片付けて呉れた木村増三兄の総務委員、資金面での心配は一切無用で、最後の全アルバム委員解散パーティーを新宿の幸楽で、豪華版でやり上げた費用は半年間の定期の利息でお釣りが来て、一部20円の徴収代金から約180円を本学図書館に寄附出来たと云う嬉しい遣り繰りの名人であった光永八太郎会計委員の美事な働きは今だに忘れ難い思いである。 

 以 上 

 

 

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