NET座談会 学生時代に見た映画        12月クラブ有志

皆様より賛成のお便りがあり、張漢卿君、大野晴里君、松村次郎君、佐藤丈夫君、貴志子さんなどの方々よりメールを頂いておりますので、モンタージュを続けて行きたいと思っております。

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Date: Thu, 30 Jan 2003
12月クラブの皆様                        
                     山崎 坦             
             
私1月20日に都心の某会合に出席しましたところ、たちまち風邪にうつり、 一週間ほど不快な思いを致しました。
インフルエンザ予防注射をしておりますので寝込む事はなく軽くて済む様です。
肺炎(抗双球菌)の予防注射(万有製薬)もあるのだそうで、近々やる予定です。
「年寄は人ごみに出ない事」,外は冷蔵庫の中に居るような気温ですから、 暖かい茶の間にいて、 パソコンでみなさまと対談(鼎談、座談)するに越した事はないと思っております。

そこで、孫に話してあげるような積もりで、学生時代の事を、語り合っては、 如何でしょうか。
往復が盛んになって、たまった所で、編集して、HPに入れたいと思います。

差し当たりテーマは「映画」としてはどうでしょうか。

先年、(シューベルト生誕200年の際)トロントの張君に映画「未完成交響曲」のヴィデオをお送りしたところ、 大変感激されました。
予科に入ったのが1936年17歳でしたから、その時分に見ましたね。
「会議は踊る」と二本立てで、ギャラプレヴューとかで、帝劇で見たんです。 赤い絨緞を踏んで階段を上がりました。
大変ゴージャスな気分だった事を思い出します。
勿論映画の内容、音楽に感動しました。

長く書くのは大変だから、断片的に、例えば俳句・川柳の様に、
「雷神が取り持つ恋のパリ祭」というような按配で如何でしょうか。                                                                                         よろしく
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Thu, 30 Jan 2003 23:25: トロント、カナダ                           
Dear Yamatan,
感冒なされたとのこと、何卒ご大切に。 こちらでも流行っているので、出ないよう にしています。
毎朝気温がマイナス20度ですから、出たいとも思いません。
人込みは、避けた方が良いですね。 

時節柄、回教の歴史に興味をもち、"ISLAM: Arts and Architecture" という重 さ3キロ半、厚さ650頁の豪華な美術書を手に入れて毎日少しずつ読んでいます。  ドイツの研究者達が書いた原本をケンブリッジで英訳し、パリで印刷したという念 の入れかたです。
ページ毎に、1ー3枚のカラー写真が有って、見るだけでも楽し い。
それにしても、嘗てこのような誇らしい文明をもった回教圏に対して、アメリカが今 いきり立っているのは、傍から見て冷や冷やせざるを得ません。 これだけ積み上げ た文化財が一旦廃虚になった後、鉄筋コンクリートで固めた博物館さえ建ててやれば、 それでご破算とアメリカは考えているのでしょうか。

貴兄発案による昔の映画の話は大賛成、

舞踏会の手帳

すぐ思い出される名画は「舞踏会の手帖」。
手帖のサインを頼りに、昔踊った相手を探して見たら、一人は神父、一人は警察に 逮捕され、やっとヒュッテに住む男と昔話に耽ようと思ったら、雪崩れが突発して、 彼も遭難者の救助に飛びだす...と。 失望して、コモ湖畔の豪奢な邸宅に戻り、 始めて舞踏会に出かける息子の襟を直しながら、それを見送る。 我々の住む社会と は、かなり遠い話しで有りながら、そこに描かれた人情の機微には、大いに同感した ことを覚えています。

この度オランダに住む次女夫婦が、仕事でミラノ郊外に家を構えました。 落ち着い たら5月頃にでも2ー3週間ほど、イタリー旅行をしようかと計画しています。 地 図で見るとコモ湖は、ミラノから30キロの近くらしいですから、あの名画の風景を 偲びながら、湖畔をひと回りして来たいと思っています。 貴兄の旅行記にコモ湖の話しがあったと覚えています。 素晴らしかったことでしょ う。   ED 
         (「30周年文集」舞踏会の手帳 五組山崎坦 参照)
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Date: Thu, 30 Jan 2003 20:18:44
Bonsoir monsieur Yamatan
大野です。
60年前の映画、もう少し前は活動写真、武蔵野館か。
キーを叩いているのは私、当時想像も出来なかった18才の私。
風邪を貰わぬ為のメール、とつて84才、楽しくなつ て失礼まで。

Wednesday, February 19, 2003 7:26 PM
Subject: 「舞踏会の手帳」
みなさんご承知のこの話ちょっと思い出して見ます。

「舞踏会の手帳」(1)
この映画が封切りされたのが1937年
ヒロイン クリスチーヌを演ずるマリーベルは37歳。
彼女(クリスチーヌ)が、20年前、16歳の1919年(チョット計算が微妙に違う が) 6月14日の舞踏会にデビューした時の回想なのですね。
1919年といえば私が生まれた年だし、この映画を見たのが18歳頃 となると、感激も一入だったことが頷かれますね。
彼女は舞踏会の後、心にもない年配の大地主と結婚、20年後、主人がレターペー パー に意味ありげな言葉を書き記している途中で急逝してしまう。
主人を失ったところで、彼女が、さて、このあといかにしようかというところから、この話 が 始まる。   (続く)

Monsieur Yamazaki, Bonjour.
                               大野晴 里
Subject の画面が白黒で脳みそに写り、女性が手帳を手に、そしてダンス会 が。
60数年前のInputを引き出す手がかりが無く残念です。 貴メールの(続き)が嬉しい次第です。  -----


     大野 晴里 様                     
                                山崎 坦

「舞踏会の手帳」 (2)
そうなんですね。白黒なんです。
わたしがヴィラデステ(エステ侯のやかた)え行ったときの印象は、ヒロインの住む館。清澄なコモ湖、糸杉、階段、笠松、夾竹桃でしょうか。

学生時代、井藤半弥教授が映画を語るに当っては制作会社、プロデューサー、制作費、監督、観客動員数、映画収益を語らねばーーーーとは、はて厄介なことになるなー、でした。

あの映画は、やはりあのロマンチックなワルツの曲に支えられているでしょ う。
あの曲は「パリ祭」の曲を作ったモーリス・ジョベール の作で、いちど作った曲を逆回ししたとかでした。
スロモーにした舞踏画面に合わせたスローなワルツ。「灰色のワルツ」というんだそうです。

監督はジュリアン・デュヴィヴィエ。 1932年の「にんじん」から1967年頃までに30本近い作品を残しているんで すね。
「舞踏会の手帳」(Un Carnet de Bal)「望郷」(Pepe−le−Mo ko)Peのeには’がついていなくては(ペペルモコ)にならないね。−−デュ ヴィヴィエは当時のフランス映画を語るには欠かせませんでしたね。
ルネクレール、ジャックフェーデ、などとともに−−−。 会社はTobis。(この作品はTobisではないんです。)             


Monday, February 24, 2003 6:27 PM
Subject:「 舞踏会の手帳」 (3)
「たそがれの維納(ウイーン)」というオーストリア映画があったのをご記憶と思 い ます。
原題はMaskerade=仮装舞踏会、 カーニバル(謝肉祭)の夜行われる舞踏会。
アルプスの北の冬は、夏の白夜の正反対で、朝も昼もたそがれなのです。
シュヴァルツワルト(黒い森)ウイーンの森、アルプスの裾の森、のウイーンの冬 は、常に、たそがれ、なのですね。
暗いドイツから、其の憧れを「君よ知るや南の国」と、少女ミニヨンに歌わせた ゲー テのイタリヤはもっと南のイタリヤ。
冬のミラノは一寸先も見えなくなる霧の都。水に沈むヴェネチア。
コモ湖は更に北のロンバルディア・アルプスの湖。
映画「舞踏会の手帳」の画面は暗いものでした。
暗い冬を舞踏会の季節にしたのは昔の欧州社交界の智恵だったのでしょう。(今の時期ですね。)
最近TVで詳細に紹介されましたが、ウィーン国立オペラハウスで、催おされるOpernbalは男性はホワイトタイ(燕尾服)、鹿皮の手袋携行。女性は純白のイブニング(ローブデコルテ ?)正装。
この年の最初の舞踏会で「上流階級」の若者の社交界えのデビュウが行われる、優雅 にポロネーズを踊ることによってお目見えをするという、なんとも心踊るものなの ですね。

ヒロイン・クリスチーナ(マリーベル)の夢見る光景でした。           

Mr.Yamazaki.
Thank you very much for your kind mail---Omnibus--
                         Harusato Ohno
:
Wednesday, February 26, 2003 6:32 PM
Subject:「 舞踏会の手帳」 (4)
大野晴里様
                               山崎 坦
この映画のなかに入らないで周りをぐるぐるとたのしませて貰っています。

ブルボン王朝やハプスブルグの貴族達は爛熟した生活をエンジョイしていた様で、 そ のころの「舞踏会の手帳」(Un Carnet de Bal)はきわめて上等 な手帳で、表紙に”D’amitie”(友情・好意・親切)などと書いてあり、美妃 の ポートレイトが入っている。
皮製?金の縁取りがしてある。
オーストリア国立美術史 美術館所蔵のものをみました。
舞踏会で貴族の女性はこの手帳をぶら下げており、ダンスを申しこみたい男性はこ の手帳に名前を書きこみ、女性は其の中から好みの男性を選ぶというのだが?
この映画の場合は白い簡単な手帳に紐がついていてぶらさがっていた。
ヒロインが 踊った男性の名を記したものと言うことでした。
つるした手帳が写されて男性の名前が出る。
次ぎから次ぎえと、男性を訪ねて行く、オムニ バス形式になっている。
マリーベルをめぐって、男性が次々に変わって行く。
いわば 光 源氏を巡って女性が変わっていく、といった風の工夫をデュヴィヴィエが考えたん だろう。

「舞踏会の手帳」 5
フランスのデュヴィヴィエ監督がイタリア北部、湖水地方(コモ湖)を第1の舞台と して、オムニバス・ストーリーをスタートするんです。
どちらかと言うとオーストリア・ウィーン風の舞踏会を想って。
この感じ日本人には本当はよく解らなかったんでしょうね。    ?むしろ解ったというべ きか?
そしてその若者達は、一様に、”Je t’aime toute la vie”   toute la vie. toute la vie. ----
(トゥートゥ ・ラ・ヴィー 8回かな?  8話あるんです。 8×無数の「生涯かけて君を愛します」 との囁き。
彼女の耳にその言葉は生涯残っている。 瞼に若い男女が舞う舞踏会の様子と共に。
紐で下げられている白い Carne de Bal にはクリスチーヌと踊った若者達の名前が記されている。
その第1行目にスポットライトが当って相手の名前が出る。 仕掛けは色々と凝っていますね。

第一話は、
24歳のジョルジュ。しかし彼は現れない。 彼の母親が彼女を受ける。 クリスチーヌに恋焦がれていたジョルジュは彼女が心にもなく老地主と結婚してし まった事を知って、絶望のあまり、舞踏会からは6ヶ月後の12月18日に自殺して しまっていた。
そのジョルジュが亡くなったことを知らずに、クリスチーヌが彼を尋ねてゆく。
息子の自殺の為、狂っている母親(!名女優フランスワーズロゼ!)。 あの時で母親の時間は止まってしまっていた。
20年前に戻ってクリスチーヌに応対する。

あのころゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んでいましたね。

Date: Mon, 3 Mar 2003 11:53:08
「舞踏会の手帳」 6
土曜日の午後9時からTBS・TVに「世界・ふしぎ発見!」という番組、何時も見てい るんですが、たまたま、3月1日(土)にこの番組を見終わったところで、「名作の 風景」という5分間のミニ番組を見ていたら、「舞踏会の手帳」の舞台はイタリアの コモ湖だった.。
とて鮮明な風景画が出て、映画の断片も出たんです。
早速インターネットで検索したんです。 この番組は名前のみで内容はありませんでした。
別にコモ湖イタリアで検索してみると、沢山出てくるので驚きました。写真も出てき ますし、あの湖が深度420mもあり、ヨーロッパで一番深い湖、などと言う解説、 その他ヴィラデステのホテルの泊まり方までアドヴァイスしてくれるんです。

(5) で第1話の結末をつけていなかったんです。
息子の失恋自殺で気のふれていた母親が息子の死亡通知の束が棚から落ちて散乱する と、母親は豹変してクリスチーヌを追い出す。クリスチーヌそそくさと退散。第二話 え。

Date: Sat, 1 Mar 2003 17:18:07:
みなさま
「舞踏会の手帳 6」 追伸
思い出しました。
故小林悦生君がイタリア三菱社長でミラノに何年か勤務していたんですよね。奥様は健在です。 色々面白い話が聞けたと思うんですが。私が聞いたんでは、ミラノから北に30分も走ればスイスで、スイスにゴルフをプレイし に行ったとか。
イタリアも北にはピアアンジェリのような洗練された美女がいるけど、南はアラブに 侵入されているからソフィアローレンのような体格の立派な女性が多いとか。
なるほどコモからは雪のアルプスが見えるんです。
コルチナダンペッツオで冬期オリンピックが開催されたことがあるんだけれど、これ はずっと北のオーストリアに近い方です。
真夏に其処を通った事があるんだけれど、ご婦人が毛皮のコートを着ていました。寒 いんです。
イタリアは勿論南の方はもっと良いし、第一古代から現代まで、文化が面白い。だか ら私はイタリアが大好きなんです。
「そうだろう」と悦生がよろこんで、彼が誘って くれて日伊協会に入っていました。
舞踏会の手帳第4話がアルプスの山男の話だけれど、
第2話のやくざのキャバレー・オ ウナーの話も面白かった。 (続けます。)            よろしく

Date: Mon, 3 Mar 2003 14:02:52
「舞踏会の手帳 7 」
第二話は名優ルイジューベ登場。 彼(ピエール)は学生の頃、ヴェルレーヌの詩を口ずさんでいた。

「凍てつける公園を、影二つ過ぎ去りぬ」

弁護士になった彼は悪事を働いて、3年独居していたが、出所していまはジョーと言 われるキャバレー・オウナー、ギャングの親玉。
クリスチーヌが訪ねていったキャバレー。 彼女が生活に困って訪ねてきたと誤解する。

彼との語らい。 --20年前の話に--- 初舞踏会の頃---
(ジョーでないピエールの話に)
昔君を抱いて---16歳の頃---二人きりで散歩に出た−−川辺を橋の下まで−−あの 水の流れ--- 夕暮れ時---純情だった---何も語らず震えながら君の首筋にキッスをした---私は目 を閉じたまま−−純情なものだった。
未来を語り---  ジャムの詩に因んで私をクララと呼び---  こっちはいくじなしで---


(P)「青春を忘れずにいたら純情でいられる。」
生きる為には人はおかしな道もたどる 。
(K)貴方は変わっていた。
(P)時は流れ今は別世界にいる。 ピエールは「ヴェルレーヌの詩」を思い出す。  


凍てつける公園を影二つ過ぎ去りぬ  
唇は色あせて声もたえだえに
過ぎし愛を今も思うや  となぜ聞きたもう
わが名に胸の高鳴るを
我を夢にみしや    かの幸せの日々よ
唇に−−−    ---唇を寄せて--    空は青く希望の大きく---

希望は暗き空に消え    二人は草わけてゆきぬ
風のみぞ知る二人が交わせし言葉


彼は彼女の前で手入れの官憲に検挙される。大物らしく悠然と引かれて行く。
----連行されるのはジョーだ。 ----ピエールは君に---  と言い残して       
                   
第二話は好きです。                                               (続く)
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(閑話)小学校5年生の孫が私に言うんです。 白酒はのんでいいの?ホンとはいけないんでしょ。
だけどひな祭りの時だけは良いんだね。と。

バスのなかで、ある子供が「煙草を飲むのは悪いんでしょう、だから子供は呑んじゃ いけないんだけど、大人も呑んじゃいけないんでしょ。」と親に話していました。**

at Tue, 4 Mar 2003 02:07:22 -0500
Dear Yamatan,
今日は日本では雛祭りだというのに、トロントではまだ氷の世界で、朝 八時の気温が零下26度、正午が零下15度、「住めば都」とはいうものの、「後悔 先に立たず」の感無きにしも非ず。 可愛いお孫さんが、ひな祭りらしい質問をして、お祖父さんが返答に窮 したとは、想像するだに微笑ましい。 ニュージャージー州に住む、うちの孫娘は、 グレード4ですが、先日電話の中で、「イラクの地下にあるオイルが、なぜアメリカ のものにならなければならないの?」と聞いて来ました。
大人と子供の世界の相違は 何処でも同様ですね。 ーーーーーーーー

「舞踏会の手帖」のご解説、一回ごとに興味を深め、勉強になりました。 ヴェルレーヌの詩には、接触するチャンスが少なくて残念でしたが、引用なさった詩 を読んだだけでも、うっとりします。
  学校時代、バルザックの『人間喜劇』全集の翻訳を、グリーンの革表紙 に金模様あしらいの豪華版で、河出書房かどこが出版したが、同じ出版者から同じよ うな体裁で、フランスの詩集が出た時は、神田まで出かけて買いました。
そのとき、始めてボードレールの詩を読み、なかなか難しくて苦労した が、繰り返して読んでいるうちに、少しづつ味わいが出て来ました。 特に彼の詩集 『悪の華』から選んだ『旅への誘い』(L'invitation au Voyage) は、題名だけでも ロマンたっぷりです。

(大勢の方々が訳を試みておられます。「巴里の憂鬱」にもありますが、訳は読みにくいです。クリックしてご覧下さい。)
村上菊一郎訳(悪の華:旅へのいざない)
鈴木信太郎訳(悪の華:56旅のいざなひ
三好達治訳(巴里の憂鬱:18旅への誘い)

詩句が素晴らしい程美しく、学校卒業後その本をなくしたこと を、今でも残念がっています。
『悪の華』原作の初版が出たのは1857年で、ヴェルレーヌはまだ小 学生でしかなかったが、その後彼の詩作にボードレールの影響が有ったと考えても、 不自然ではないことでしょう。
トロントに来て間もなく、小生も Le Livre de Poche 版で一冊買いま した。
『旅への誘い』の一篇に関する限り、私の記憶に残る日本語の訳詞が原作の詩情を如実に伝えていると、感心しました。
原詩でボードレールが、"Mon enfant, ma soeur, ..." と切り出したの を、「愛し子よ、わぎも子よ」と訳した点だけを見ても、訳詞の優美さの程が明らか になります。
 同学諸兄の中で、その訳詞の全文をお持ちの方は居りませんか?
                                              ED

Date: Sun, 16 Mar 2003 12:21:51
「舞踏会の手帳 8」
オムニバス・ストーリーは寅さん映画シリーズの様に続け様とすれば、延々と続けら れるんですね。
監督が変わって、交代して、続けて行く映画などもあります。
次ぎの話は、一寸変わっていて、新鮮な驚きがある。といった按配の緩急、変化がな ければ、まあ エンターテインメントだから、面白くない、で終わりですね。
話は変わりますが、あの映画が上映されたころ、まだ町にはカフェーなどもありまし たが、一部の喫茶店えも「学生さんお断り」の張り紙があって、入店が禁止されてい ました。
学生補導協会とかいうものが、学生の行動を監視していましたね。
ダンスホールなどがあって、爛熟した、所謂堕落した元禄時代のような時代が大正デ モクラシーといわれる時代なのでしょうか。
私共の時代より一世代前の時代ですね。 何か今の世に似ている様で、今の若い人は良いな、等と思ったりもします。
戦後ダンスホールの盛んに出来た時代がありましたね。(今はディスコというので しょうか。)
ジャズ・バンドとタンゴ・バンドが交代で演奏していました。
30分演奏すると、チェンジング・ワルツになり、その演奏の半ばから次ぎのバンド が引き継いで、ワルツが終わると、タンゴ・バンドの演奏という按配でした。
そして越地吹雪の「ラスト・ダンス」にあるように、この曲だけは恋人と踊る。「GOOD NIGHT SWEET HEART」till I meet you  tomorrow の曲で 終演。
歓楽尽きて哀愁新たなり。
「Linger awhile」 という曲で退場。
戦時中、上海で同様な光景を垣間見ました。シャンハイ・バンスキング。
ワルツにも「舞踏会の手帳」の”灰色のワルツ”。ウィーンナ・ワルツや、チェンジ ング・ワルツなど。---

次ぎのメールで第三話以下に入りましょう。***

Date: Sun, 16 Mar 2003 23:48:45
「舞踏会の手帳 9」

第三話
名優アリボールの扮する神父ドミニク登場です。 ウィーン少年合唱団のように、腕白盛りの子供達を指揮しているのが、たっぷりした 彼です。
あの頃既に40歳だったアラン、新進作曲家で、演奏会で演奏した「希望の日のソナ タ」は十六歳の彼女に捧げる積もりであったが、席の彼女は隣の男性と談笑してい て、曲を聞いている風ではなかった。彼は絶望して、そのときから世捨て人になって しまった。
妻帯していないのです。
一寸映画「未完成交響楽」に似ていました。
取次ぎに渡した女優マリーベルの名刺には ”CHRISTINE SURGERE”とあり。
「パリに住んでいるのか」と問われた彼女は「この15年来ナポリに住んでいる」と答えています。

何れの話も、失恋で、明るい物ではないですね。

第四話、
これも名優ピエール・リシャールウィルム 扮する山男。
話半ばまでは、この話は明るいかと思はれたが、雪崩事故遭難救助とな ると、
彼の恋人は今では山になっていた、という話でした。

第五話。
田舎の町長になった彼の結婚式当日に訪ねてしまう。
しかも花嫁は召使、デ ブの田舎女。犯罪人の養子がからんで、禄でもない話。

第六話がすごい画面で、話題になりましたね。 (つづく)

----- From: "Ed Chang"To: "Hiroshi Yamazaki" Sent: Tuesday, March 18, 2003
Subject: French Movie Actor アリ−ボール
Dear Yamatan,
Your series on "Carnet de bal" is getting more and more absorbing by episode.
Our dear Monsieur Prunier, if he were alive today, would be very proud of you reading these stories.
He would be very happy to note that his former student loved, and studied seriously, so much about French literature and French movies.
I  always think of those French Sensei of ours with warm feelings: M. Prunier, Yamada Kuroh, Negishi Kunitaka, ........
They were all very kindhearted souls.

In Episode 9, you brought up the name of "アリ−ボール". To me he was one of the best foreign actors I had seen, either European or American, and was comparable to Charles Laughton who played Henry VIII and the Hunchback of Notre Dame.
Only after coming to Toronto did I find his full name in French was "Harry B......" but I forgot the spelling of his surname.
It could have been Bohl or Beaure, or anything. Could you help me find out? Thank you.
"Harry" is a popular English name, so he could even have been an English actor.
In the role of Father Dominique in "Carnet de bal", he was addressed by the lady visitor as: "Monsieur....." but he quickly stopped her putting his finger over the lips to whisper: "Mon Pere,....".
That was dramatic!
Even more memorable to me was the part he played in the French movie rendition of Dostoevski's "Crime and Punishment" in the role of the prosecutor.
The axe murderer of the old pawnshop proprietress went to visit the prosecutor pretending to be just a college boy interested in the case.
The prosecutor explained the case to him with unusual patience and details.
Then with a raised finger, he slowly swung his arm around as if he was pointing at a mosquito flying near the wall behind his desk, saying: " Strangely, a criminal could become so curious about what happened after his crime, and would get closer and closer to the place he should not be, just like a bug flying closer and closer to the fire, .......and then, Bang!"
The prosecutor suddenly turned around and pointed his finger straight towards the movie audience, which means the suspect himself. At that very moment,
I almost jumped out of the seat.
                           ED

Wed, 19 Mar 2003
Dear ED ,
アリボール(Harry Baur)が演じたのは Papillon---Po!! じゃなかったかな? 懐かしいですね?
貴前便とも(ボードレールの詩集お探しのこと) 編集してHPにいれましょう。
暫くお待ち下さい。 「一休さんと辻さん」も入れましょう。よろしく                      YAMATAN

Sat, 22 Mar 2003
「舞踏会の手帳 10」
順序としては、最初に書くこと、だったのでしょう。
今更の様に気がつきました。 この映画、この頃の映画はモノクローム(白黒)だったんですね。
なんとなく暗くて、殊更明るくとろうとしている、喜劇的な第5話「村長の結婚」の 話にしても、フランス映画らしく、犯罪人の、どうしようもない養子の息子が出てき て、婚礼の日の父親に、ゆすりのような、無心に来る。
人生の悲しさが、モノクロだ からこそ、良く描かれたのではないでしょうか。
そう言えばあの頃の映画には、人生の哀歓が流れていて、墨絵の詩情が感じられましたね。
黒い燕尾服に白いイブイングの裳裾がひるがえる、 白黒で印象的、夢にみる初舞踏会の幻想的な場面が生きる。

第六話
騒々しいクレーンの音で始まります。
終始画面は斜めに傾いています。汽笛 の音が入って、港なのだとわかります。
名優ピエールブランシャール。
もぐりの堕胎医なのだとすぐ気がつきます。
労してこんなところに流れついた。
むかしはサイゴンにいたこともある。 当時はサイゴンは佛印(ベトナム)の首都だった。
手術の時に異物が眼に入って、片目を失っている。
邪険なかみさんとの惨めな生活から抜け出そうとしている。
定期船の船医になる契約 をしたところだ。
病気持ちで(テンカン?)発作が起きる。
クリスチーヌが訪ねた時、彼は無理して食事を振舞おうとして,ワインの栓を抜き、 彼女のカップに注ごうとしたとき、発作が起きる。
かみさんがクリスチーヌを追い出す。
彼は追いすがるが、かみさんに遮られる。
彼は絶望して、引出しから取り出した拳銃でかみさんを---------- 鬼気迫る画面というのだろう。

どの話の男も、彼女16歳の頃は、前途有望な夢を持った青年達だった。それが彼女 に恋をしたばかりに夢の様には行かなかった。というような話ですね。

第七話
には救いがあるのかな。
彼女には幻滅なんだけれども。 名優フェルナンデル扮する美容師です。
舞踏会のあった故郷の町です。 彼には愛妻との間に可愛い男の子と二人の女の子がいる。女の子の名前はクリスチー ヌと名付けました。 彼は昔のままの会場にクリスチーヌを誘います。 20年前の同じ会場です。 (つづく)


Mon, 24 Mar 2003 19:17:51

     12月クラブの皆様
                                    山崎 坦

随分暖かになりましたね、アンニュイの季節です。
皆様お元気ですか。 世はフセイン討伐、いや戦争反対で騒いでいますね。不景気もどこなのか。

「舞踏会の手帳」も今回で終わりにして、次ぎに佐藤さんのお便りにもあった「巴里 祭」に行きましょうか?

「舞踏会の手帳 11 」
第七話
故郷の、舞踏会に初出場した、その会場に、あのとき踊ったパートナーの一人フェル ナンデル扮するファビアン、--素人のトランプ手品を得意とする美容師、よき子持ち のご亭主--にエスコートされて出席します。
前6ッの話のおさらいのように回想の会話が交わされます。観客は新しく登場した ファビアンよりも、前6人の其の後の動静を、クリスチーヌとともに、よく知ってい るわけで、交わされる会話が良く解ります。 前の話が全部伏線になっている。
-------------- 意気地なしのピエール
            難しい曲を作ったアラン
            彼は自殺したそうだ
            いや神父になりました 
            死んだようなものだ
            金山を探しに言ったティエリー---
            内妻を射殺した彼は、新聞種になった --------------
舞踏会場に入ると、フォックス・トロットの曲が流れてくる、幻想的ではない。
舞踏場の風景。 母親に連れられてきた美少女に青年が踊りを申しこむと、母親はこれを遮って、---年寄 と踊らせる。
            (私の孫娘が社交ダンスを習おうかしら、といったのに対して、母親が「おじいちゃまとならよろしい」と言ったのだそう             で、大笑い。
            ”ローマの休日”でもオードリー王妃に踊りを申しこむのが皆年寄なので、おかしかった。)
クリスチーヌの脇にきた娘は、16歳で初舞踏会でした。クリスチーヌの16歳の時 のように、興奮し、夢心地。
クリスチーヌがファビアンに「灰色のワルツ」の演奏を頼んでくれと望みます。
ファ ビアンは「あんな神経衰弱の様な曲をか?」といいますが。
例の曲をファビアンと踊り始めると、ファビアンは当時を思い出して、あの時ジュ テーム トゥートゥラビーと言ったのだ。と。
舞踏場の様子は、といえば、あの曲が、管の音がぐっと前に出て、ジンタのように聞こえ る。
女性は平服で踊っている人も大勢いる、男性は、ホワイトタイ(燕尾服)か、ブラッ クタイ(タキシード)で、ばらばら。
クリスチーヌの幻想からはかけ離れている。 クリスチーヌは目をつぶって幻想の世界を踊る。
弦だけのスローな幻想的な曲にあわせて、スローモーシオンのような円舞。燕尾服と 白いイブニングが舞う。

現実に呼び戻された彼女は幻滅の思いで、気持ちが悪くなり、そそくさと彼に別れを 告げる。

第八話
エピローグ(ギリシャ語でエピ=あとで、ローグ=言う)神エピ-メテウス(後で考 える、後悔する) を連想しました。

クリスチーヌは館え帰って、「なにも残らなかった。残ったのは手帳だけ」といいますが。
行方がわからなかった唯一金髪の美男子ジェラールの消息が、なんと、湖の対岸だった事がわかり、
未練が残らぬ様、訪ねて見ます。
前庭の泉水の縁に腰掛けている彼に声をかけますが、それは彼の息子で、彼は既に、この世を去り彼の家屋敷も他人の手に渡る,
息子は天涯孤独というわけです。
彼女は息子ジェラール・ジュニアーを引き取ります。 息子の役は美男俳優ロベールリナン。
(私の家内の友人の中には彼に熱を上げる方がいたようです。ハンサムです。)
息子は当時の海兵か海軍士官のような、素敵な格好をしていました。
これから初舞踏会 に行くところです。
彼女が言います、初舞踏会は 「初めて吸う煙草の味のようなもの」 と。-----------         
                                           FIN

蛇足:
モーパッサン”女の一生”の最後の言葉 「世の中は、人の思うほど善くもなく、悪くもない。」 を思い出しました。
名匠デュヴィヴィエの作。 説明はなく、ストーリーは自然に運ばれました。必見。1937年 
                                             ☆☆☆☆☆。

Thu, 27 Mar 2003

舞踏会の手帳 追伸 12
家内から、肝心な事が抜けている、との指摘がありました。

映画の始め プロローグの場面
(プロ=先に、ローグ=言う)(プロ・メテウス=先に考える、先見の明)

訪問の決心をして、コモ湖の彼方に雪のアルプスの見える、広い白い階段をゆっくり 上って、部屋に帰って,クリスチーヌは手帳を見て回想します。 「灰色のワルツ」が流れています。

ベッドの向こうの、天蓋の薄いカーテンの間に、ジェラール(ロベールリナン)が来 て跪いて”Je t’aime  toute la vie”と言います。彼女の夢、幻なんです。彼女の恋人は ジェラールだったんですね。

そして7つの挿話のあと、エピローグにジェラールの息子(ロベールリナン)の話が 来るわけです。
デュヴィヴィエの構成の見事なところでしょう。
失礼しました。               又拝